光GENJIからSMAPへ。そしてSexy Zoneやももクロへ…現代のアイドルは「王子様」「お姫様」か?
――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、芸能報道を斬る。男とは、女とは、そしてメディアとは? 超刺激的カルチャー論。
「Sexy Zone写真集 Be Sexy!」
去年の紅白以来、どうもSexy Zoneの中島健人が気になっています。中島健人は今度の3月で22歳になるそうですが、ヘタすればそのくらいの年の子どもがいてもおかしくない年齢の私。さすがに、Sexy Zoneをガッツリ応援している10代から20代くらいの女の子たちと、同じ注目の仕方をしているわけではありません。
私が注目せざるを得なかったのは、なんと言うか、「中島健人が自分で設定しているハードルの高さ」でした。
紅白で自分たちの持ち歌が終わってすぐ、次の出番の伍代夏子の『東京五輪音頭』の応援パフォーマンスにうつったSexy Zoneですが、中島健人は、決して有名な曲とはいえない伍代の持ち歌の、3回のサビ部分がすべて微妙に違っていたのに、完璧に口ずさみながら踊っていたのです。その後、細川たかしや藤あや子の応援パフォーマンスをしていたAKBやNMBグループの誰ひとり、こういうことはしていません。ただ、別にAKBやNMBの肩を持つつもりもないのですが、延べ時間でほんの数時間しかないだろうリハーサルで、若いアイドルたちが教わっているのは「踊り」であって「歌詞」ではないはず。「教わったことを教わった通りに遂行する」ことは、悪いことでもなんでもありません。
中島健人のその様子がどうにも気になったので、あとで紅白を見返してみたら、天童よしみの『人生一路』(美空ひばりの名曲のカバー)でも、なんとか一緒に歌おうと頑張っていました。誰に命令されるでもなく、自発的に「1曲でも多く!」と、他人の曲の歌詞を頭に叩き込んで本番に臨んでいた21歳。芸能への「覚悟」みたいなものを、この年齢ですでに持っている。それに気づいて以来、歌番組やバラエティ番組などで中島健人が出てくると、ついつい「今日はどこまで仕上げてきているか」と、目で追ってしまう自分がいるのです。
Sexy Zoneは過去に握手会を開いたことがあるそうで、そこでの中島健人のファンサービスの様子は「中島健人 握手会」といった単語で検索するとザクザク出てきます。ファンの子たちの、やや無茶ぶりが入ったコメントにも、ひとつひとつオリジナルな、「相手の想定以上に相手を喜ばせよう」という意志が見える言葉で対応していく中島健人は、当時20歳前。返答の8割を「ありがとうございます!」だけで押し通したところで、ファンの誰も文句をつけたりはしないだろうに、そこに甘んじなかったからこそ、ある種の伝説として語り継がれているのではないか、と。
こうした振る舞いは、「王子様」としての振る舞いなのか。そう尋ねられたら、私は「NO」と答えます。人によっては過剰とも感じられてしまうほどのサービス精神の高さは、むしろ「血中王子様濃度」の低さゆえのもの。その濃度が高い人は、自分のハードルを高くしないものです。諸星和己が21世紀になっても「俺は人気者だから、できないこともある」的な姿勢を崩さないのは象徴的。言葉は悪いですが、「サービスしすぎなのは、庶民のやり方」だと思っているフシが、王子様を自認する人には見られます。
それに王子様キャラは、突き詰めすぎると、「ネタ」に寄っていってしまうもの。それを逆手にとって独自の味わいを醸し出したのが、かつての及川光博であり、今の中島健人なのでしょう。「ネタ」に寄っていくことを受け入れられるのは、冷静さが必要なものですから。逆に、勘のよさで「王子様化」を避けて通っていたのが、本来誰よりも王子様ポテンシャルが高い堂本光一だと思います。デビュー当時から今に至るまで、コテコテの関西弁で通したのは「王子様扱いはイヤだ」という意志表示でもあったのではないか、と思ったり。
現在のアイドルは、「キラキラ」しながらも、「王子様自意識」が非常に低い。たぶんその先駆者になったのはSMAPの中居正広ではないかと思うのですが、AKBグループでなんだかんだ言ってもいちばんの注目を集める指原莉乃が、「姫自意識」の低さにかけてもグループの中でトップを走っているのは、なんだかしみじみしてしまいます。
前回、前々回のこのコラムでもふれましたが、「アイドル」は、単に「歌ったり踊ったりできる、若くてかわいい子」のことではありません。スポーツ選手をアイドルにする人、活動家をアイドルにする人、現実にはいないキャラクターをアイドルにする人…、本当にさまざまです。私にも、若いころ、自分のアイドルがいました。アイドルがキラキラ輝いたり、壁を超えたり破っていく姿を見て、「私の人生もちょっとはキラキラするかもしれない。自分の壁を、ちょっと超えられるかもしれない」と感じたのを、昨日のことのように思い出せます。そう感じられたとき、「生きていく」ことの怖さを忘れることができたのです。
その経験があるから、私は、大人になった今でも、「自分だけのアイドル」を信じる女の子、男の子の気持ちを尊重したい。そして、その子たちの思いを引き受けるアイドルたちも、幸せであってほしいと願っているのです。アイドルの幸せと、まだまだ若い一般の子たちの幸せは、絶対につながっているからです。
正直、私はもういい年ですから、芸能界にどれだけのアイドルがいるか、まったく知りません。ただ、何度も繰り返すようですが、ひとつだけ思うのは、運営側がアイドルたちに余計な試練や屈辱を与えたりするのは本当にやめてほしい。そんな様子を「試練」として提示されても、一般の人々の心は無駄にざわつき、傷つくだけなのですから。
アイドルが受ける試練(それは、若い一般人がそれぞれの人生で受ける試練と地続きのものです)は、「その高い壁を超えたとき、彼らがもっとキラキラできる場所に行けるため」の試練であってほしい。「グループ存続」とか、その程度のレベルのことで発動されるものであってはなりません。それはそのまま、若い人たちに「生きていく。ただそれだけのことなのに、こんなに大変なの?」と思わせることにつながりかねないからです。
私が、今の女子アイドルならば、ももいろクローバーZに目を引かれてしまうのは、彼女たちの「試練」は、「それを乗り越えたとき、ものすごく大きな目標に近づく」という「物語」までが一緒に提示されているように感じられるからです。かつて『ASAYAN』という番組がテレビ東京系でオンエアされていましたが、その番組内で、モーニング娘。は、デビューから『LOVEマシーン』を出すあたりまで「試練」ばかりを課せられていました。しかし同時に、「乗り越えたところにある、大きな果実」も、明確に提示されていたのです。アイドルはそうでなくてはいけません。若い子の人生はそうでなくてはいけないのです。
私は、自分が若いころ「いまどきの若いモンは」とさんざん言われて、心からうんざりしてきたクチですので、同じことは言いたくない。今の若い子たち(アイドルも一般人も)は、むしろ私が若者だったころに比べ、ものすごく一生懸命な子が多いと感じています。王子様・お姫様的な自意識を持つには、あまりにも冷静で真面目なのです。そういう真面目で一生懸命な子たちが、不要な「試練」を丸ごと受け止めていく姿を見るのは、大人としてつらすぎる。だから、ももクロのみんなにも、モーニング娘。のみんなにも、中島健人およびSexy Zoneのみんなにも、オバちゃんは幸せになってほしいのよ。
高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という書籍となって好評発売中。