お隣さんと大喧嘩、そして銃声が31回鳴った――ご近所トラブルが“戦争”になった日
殺されたゲイリー(左)と、予審中のウィリアム(右)。
「これは戦争だ。俺は兵士で、この戦争の勝者だ」
迷彩のズボンを履き、腕に星条旗のタトゥーを施した男は、無機質な警察の取調室で、捜査官に向かってそう言い放った。男はこの直前、隣人に向かって31発の弾丸を発砲し、2人を殺害、1人に重傷を負わせたばかりだった。
男の言う「戦争」とは一体何を差すのか? 些細なトラブルから発展した「お隣さん襲撃事件」の内実に全米が震撼した。
■無二の親友だった隣人とその一家
フロリダ州タイタスビルに住むウィリアム・ウッドワード(当時43歳)は、妻と2人の幼い娘と暮らしていた。湾岸戦争を経験した退役軍人である彼は、PTSDに苦しみながらも、温かい家族と、自宅の庭で飼育する20羽以上の鶏に癒され、ささやかな生活を送っていた。
一家の隣に住むゲイリー・ヘンブリー(当時39歳)は、ウィリアムの良き理解者であった。長年に渡る親友だった彼は恋人と、その間に生まれた子どもと暮らしており、ウィリアム一家とは家族ぐるみの交流を持っていた。お互いの子どもたちを連れ、馬車の荷台に干し草を積んで街中を巡ったり、ウィリアムの妻が購入した滑り台の下にはいつも子どもたちが集まり、毎日のように顔を合わせていた。あるいはゲイリーの家に修理が必要な時はウィリアムがお金を貸すなど、2つの家族は良き隣人として強い絆で結ばれていた。
アメリカのどこにでもあるこの美しい郊外の風景が“戦場”に変わるのは、ほんの些細な出来事からだった。
■パーティーのプレゼントは誰が盗んだのか?
2012年、事件はウィリアムの娘が12歳の誕生日を迎えた夏に起きた。
ウィリアムは娘の誕生日パーティーを自宅で開いた。ゲイリー一家はもちろん、他の地元住民も招待し、盛大にお祝いが行われるはずが、その結末は最悪のものになってしまう。ウィリアム達が娘へのプレゼントから目を離した隙に、何者かにそれを盗まれてしまったのだ。そのときウィリアムが疑ったのは、ゲイリーの娘だった。泣きながら否定する我が子を見たゲイリーは、ウィリアムの行動に怒り狂った。
この事件を切っ掛けに、隣人同士の関係は完全に決裂してしまう。そしてゲイリー一家と、その家で共に暮らしていた友人カップル、さらにゲイリーの反対隣に住むカップルから、ウィリアム一家は毎日激しく罵倒されるようになった。
罵倒は日々エスカレートした。退役軍人であったウィリアムに対して「偽G.I.ジョー野郎!」と罵り、時にウィリアムの父親にも「バットでぶん殴るぞ!」と脅すまでになった。身の危険を感じたウィリアムの父親は、軒先に防犯カメラを設置。ウィリアムもウィリアムで中指を立てて応戦し、犬の散歩をする際も拳銃を携帯するほどだった。
激しくお互いを牽制しあう両者の元には、一日に何度も警察が仲裁に入る日もあった。それでも罵り合いは終わらない。やがてゲイリー側は、ウィリアムの心の支えであった鶏をからかい始めた。車で鶏の柵の横を通るたび、クラクションを鳴らすゲイリー。事態は悪化の一途を辿った。
そして、決裂から約1カ月後、ウィリアムとゲイリーは裁判所に出廷することになる。それぞれ「隣人からの身の危険を感じている」として保護命令を申し立てたのだ。しかし、裁判所はこの両者の申し立てを却下。その後、裁判所の駐車場で鉢合わせた2人は激しく興奮し、ウィリアムはゲイリーに暴行を働いて逮捕されてしまう。
■"戦場"に変わった閑静な住宅街
裁判所での一件があってから5日後の、12年9月2日。
国民の祝日であるレイバーデイ前日に、ゲイリーと仲間達は、自宅の庭でバーベキューパーティーをしていた。
ウィリアムは、暴行事件で逮捕された直後に釈放されたものの、相変わらず続く隣家からの激しい罵倒に悩み続けていた。そしてこの日も、パーティーの騒音に混じって大声で罵ってくるゲイリーたちに、ウィリアムの怒りは限界まで達していた。
日付を跨いだ頃、ウィリアムはついに行動に出てしまう。家族が寝静まったのを確認すると、上下軍服に着替えてハンドガンを握りしめた。父親が設置した自宅の防犯カメラが捉えたのは、まるで戦場の兵士の様に、身をかがめてゲイリーの家の庭に忍び込むウィリアムの姿だった。そして彼は、バーベキューを楽しむゲイリーと友人達に向かって発砲した。
閑静な住宅街に鳴り響いた銃声は合計31発。ウィリアムはハンドガンの弾が切れると、弾倉を変えて撃ち続けたのだった。この銃撃によってゲイリーと友人は死亡。1人が重傷を負った。ゲイリーの息子から通報を受けた警察は、現場に急行。ウィリアムは自宅で逮捕された。
■引き合いに出された「ブッシュ・ドクトリン」
「戦争は終わった」
頭を抱え、取調室の机の上でうなだれるウィリアムは、逮捕後の取り調べで捜査官にそう呟いた。事件の詳細について尋問を続ける捜査官に、ウィリアムは「俺の家族は威嚇され続けていた」と、家族に“命の危険”が迫っていたと語り、襲撃は正当防衛によるものだったと主張を始めた。しかし、威嚇のような暴言こそあったものの、襲撃の日はゲイリー達は直接危害を与えることなく、バーベキューをしていただけ。さらに襲撃当時、ゲイリー達は銃はおろか、ウィリアムに致命傷を与えるような武器を持っていなかったというのだ。
ウィリアムの襲撃は正当防衛に値するものなのか? 彼の弁護士は、この襲撃を「ブッシュ・ドクトリン」に準えて、正当性を主張した。
「ブッシュ・ドクトリン」とは、02年にブッシュ元大統領が発表した、テロとの戦争において、自衛のために先制攻撃をする自己防衛方針のこと。つまり、ウィリアムはゲイリー達から襲撃される前に先制攻撃することで家族を守った――つまり、「殺られる前に、殺れ」を実行したというのだ。だがこの弁護士の主張は、丸腰の相手に31発もの弾丸を発砲したウィリアムが有罪判決を受けるのは間逃れられないと判断した苦肉の策ではないかと思われ、世間の納得を得るもではなかった。
結局検察は ウィリアムを殺人罪と殺人未遂罪で起訴。極刑をも視野に入れ、法廷で闘う姿勢を示した。ウィリアムの弁護士は、これに待ったをかける。通常、予審で事件を公判に付すべきか否かを決めるのは裁判官なのだが、その決定権を陪審員に委ねたいと申し立てを起こしたのだ。これによって、予審すら開かれないまま2年半の月日が経ってしまった。そして、昨年ようやく行われた予審では、結局裁判官がその決定権を持つこととなり、ウィリアム側の申し立てを却下。事件は公判へと付されることになった。
些細な出来事から、殺人事件へと発展してしまった「ご近所戦争」の結末――現在、ウィリアムは公判に向けての準備を進めている。
井川智太(いかわ・ともた)
1980年、東京生まれ。印刷会社勤務を経て、テレビ制作会社に転職。2011年よりニューヨークに移住し日系テレビ局でディレクターとして勤務。その傍らライターとしてアメリカの犯罪やインディペンデント・カルチャーを中心に多数執筆中。