高畑裕太にレッテルを貼ったのは誰だ!発達障害が増加した?“アスペ・バブル”の真相
――近年、発達障害が増えているともいわれる。それと関係しているのか、いつしか“アスペ”というワードが世間に浸透し、アスペルガー症候群のみならず、ADHDなど発達障害全般を一緒くたにした隠語としてネット上にはあふれている。つまり今、ある種の“アスペ・バブル”にあるといえるのではないか──。発達障害をめぐる精神医療の現場から、アスペルガー症候群を描いた映画・小説まで見渡しながら、この妙な盛り上がりの実態に迫っていきたい。
15年5月、発達障害のひとつの注意欠如障害(ADD)であることをカムアウトした栗原類。こちらは、彼の著書『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』(KADOKAWA)。
去る8月23日、俳優の高畑裕太が強姦致傷容疑で逮捕。この時、母・高畑淳子がテレビ番組で語った彼の少年時代の逸話などから、「高畑容疑者はアスペルガー症候群では?」との疑いが持ち上がった。週刊誌では高畑が性的暴行に走った原因を精神疾患に求める精神科医のコメントが載せられ、かたや主にネット上では高畑を“アスペ”認定し、半ば誹謗する動きも見られた。
こうしたケースは一例にすぎず、近年、メディアやネットでアスペルガー症候群をはじめとする発達障害がクローズアップされたことで、個人のコミュニケーション不全や問題行動が“アスペ”なる俗語の一言で頻繁に片づけられるようになった。本稿では、この“アスペ・バブル”ともいうべき事態について考察したい。
そもそもアスペルガー症候群とは自閉症圏疾患の1タイプで、知的障害を伴わないが対人コミュニケーションや社会性に障害があり、特定分野への非常に強い興味・こだわり、または反復的・常同的な行動パターンが認められる疾患。また、詳しくはページ下の図表に示したが、アスペルガー症候群は、かつては発達障害を構成する概念のひとつ「広汎性発達障害」のサブカテゴリーだった(ほかに「自閉性障害」、「レット障害」、「小児期崩壊性障害」、「特定不能の広汎性発達障害」が含まれる)。だが、2013年にアメリカ精神医学会による診断基準「DSM」の改定で、この広汎性発達障害に代わり「自閉症スペクトラム障害(ASD)」という名称が採用され、アスペルガー症候群や自閉性障害などの診断名は削除された。これは自閉症的な特徴を「スペクトラム=連続体」として捉え、軽度なもの(アスペルガー症候群)から最重度のもの(自閉症)まで様々な段階があることを意味する。
つまり現在、少なくとも医療の現場ではアスペルガー症候群は死語になりつつあるわけだが、一般には依然として“アスペ”が一人歩きしている。
「以前、“発達障害”というワードで新聞記事を検索したことがありますが、2000年前後から急激に増えている。なぜ増えたのか。その答えは、少年犯罪です」
そう語るのは、精神科医の岩波明氏。具体的には、00年の豊川主婦殺人事件、03年の長崎男児誘拐殺人事件、04年の佐世保小6女児同級生殺人事件のことだ。
「どの事件も、弁護側が情状酌量を狙って加害者はアスペルガー症候群だと主張し、家庭裁判所もそれを受け入れました。ただ、その診断には疑わしい部分もあり、豊川市のケースでは弁護側の主張はどう考えても診断基準には当てはまりません。事実、この事件では精神鑑定が2度行われ、最初の鑑定ではアスペルガー症候群の可能性が排除されています」(岩波氏)
この精神鑑定結果に世間やメディアは飛びつき、“少年犯罪=心の闇=アスペルガー症候群”という図式が生まれた。
他方で、アスペルガー症候群はポジティブなニュアンスで語られることもある。すなわち、アスペルガー症候群の人は「少し変わったところがあるが、特定の分野においては驚異的な能力を発揮する天才タイプ」という認識である。例えば歌手のスーザン・ボイルがアスペルガー症候群をカミングアウトし、世界中を驚かせたのは記憶に新しいところだろう。
アスペルガー症候群の診療ガイドラインはない
岩波氏によれば、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは、ASDだった可能性が高いという。
もちろん、バブルがもたらした困った傾向もある。ネット上で手軽にできるアスペルガー症候群の自己診断などに惑わされ、自分もアスペルガー症候群だと思い込む大人が増えた。この背景には、「発達障害は生まれつきの疾患で、成人してから罹患するものではない」という事実が意外と知られていないことや、コミュニケーション能力が過剰に問われる現代社会で、他者とうまくかかわれない原因を発達障害に求める心理もあるだろう。
「我々の病院(昭和大学附属烏山病院)には約10年前から成人向けの発達障害外来がありますが、受診される方のほとんどの主訴は対人関係の問題。しかし、実際にアスペルガー症候群(現在はASD)と診断されるのは約3割で、それ以外は健常者か、うつ病や対人恐怖症、統合失調症といった疾患を抱えるなど、本人の訴えと一致しない場合も多い」(同)
逆に、一部の医師やカウンセラーには、コミュニケーション不全=アスペルガー症候群という認識が広まってもいる。
「アスペルガー症候群の診断で一番多い間違いは、同じく発達障害の1分類である注意欠如・多動性障害(ADHD)との混同。ADHDはその名の通り不注意と多動、衝動性を中核症状とするので、アスペルガー症候群とは診断基準が明確に異なる。しかし、ADHDの人の一部には対人関係に問題があったりするので、表面的にはアスペルガー症候群と区別がつきにくい場合があります」(同)
先述の通り、発達障害の概念や分類は現在進行形で更新されている。それに医療の現場が追いついていないのか?
「もともと発達障害は児童精神科の領域の疾患なので、実際に患者に触れる機会がないまま医師になる方が非常に多い。医師ですらそんな状況だから、カウンセラーの方は推して知るべしです。また、成人の発達障害を積極的に診療しようという病院も徐々に増えていますが、絶対数はまったく足りていません。特に地方は深刻で、東京にある我々の病院に広島や和歌山から来られる方もいます」(同)
さらに、精神科のある病院でも、発達障害の患者を避ける傾向にあるという。その理由は、発達障害ではいまだ治療のスキーマが確立されていないからだ。
「うつ病も大変な病気ですが、薬の処方などについて一応のガイドラインが定められています。でも、アスペルガー症候群などにはそれがない。しかも、医師は薬で症状を改善するのが普通ですが、ASDに効く薬は今のところないし、治療にも非常に時間がかかる。だから、診療を断る病院がほとんどです」(同)
発達障害の診療の需要は増したものの、とても供給が間に合っていないのだ。
ADHD治療に使う“クスリ”の是非
今年、公開されたディズニー/ピクサー映画『ファインディング・ドリー』。主人公の魚・ドリーは“極度の忘れんぼう”だが、どんなときも明るく前向きという長所があった。デジタル先行配信中。11月22日にMovieNEXもリリース。発売:ウォルト・ディズニー・ジャパン (c)2016Disney/ Pixar
ところで、そもそも発達障害は小児期に診断されることが多い障害。では、子どもの診療方法とは? 主に小学校入学前の幼児の療育を行う横浜市南部地域療育センター所長の井上祐紀氏はこう話す。
「私どもの療育センターでは、グループ療育や専門家による個別指導などもしていますが、もっとも大きな課題は、お子さんが普段置かれている環境の適正化。具体的には、その子が通う幼稚園・保育園を職員が巡回し、現場の様子を見ながら保育士さんに生活上・教育上の工夫についてアドバイスしています」
発達障害は、IQテストのような検査で測れない(IQテストでわかるのは、知能の遅れのみ)。特にASDはコミュニケーションや行動パターンに特性が見られるため、子どもの挙動と共に、取り巻く環境もじっくり観察する必要がある。
「例えば、幼稚園・保育園でお子さんにとっては苦痛となっているなんらかの規則があったり、家庭での親御さんの接し方が適切でなかったりするために、問題行動が見られるケースもあります。よって、単に外見上の問題行動で判断するのではなく、社会が設定する枠組みとお子さんの相性を見立てた上で、慎重に診療していかなくてはなりません」(井上氏)
子どもだからこそ慎重な診療が求められるわけだが、療育現場でもっとも大きな問題になるのは薬物療法。先述の通り、ASDの特効薬は現在はないが、ADHDの治療では00年代後半にコンサータ(メチルフェニデート徐放錠)とストラテラ(アトモキセチン)が厚生労働省の認可を受け、処方されている。
「ADHDのお子さんは落ち着きがなかったり、授業中に急に席を立ってしまったりと、運動面の抑制が効きにくくなっています。それはドーパミンなど脳内の神経伝達物質に関連した脳機能の問題があると考えられており、コンサータもストラテラも、それら神経伝達物質の血中濃度を上昇させる効果があります」(同)
ただ、いずれの薬もすべての人には効かず、効き方にも個人差があり、副作用もあるため、薬物療法はあくまで補助的な方法として捉えているという。逆にいえば、ADHDの特徴が極めて明確で、周囲の工夫や配慮だけでは療育が難しい場合に限り、薬物療法に踏み切るのだ。
「その際も、最終的には本人が苦しんでいるか否かが重要な判断材料になります。医療はそもそも自覚症状を緩和するためのものなので、例えば本人は教室でどんな気持ちで椅子に座っているのか、どんな気持ちで席を立たざるを得ないのかを徹底的に聞きだしていく。本人も授業中はじっとしなきゃいけないのはわかっているのに、自分でコントロールできない。その葛藤や懸念が見て取れれば、薬物療法をお勧めします。もちろん、本人とご家族の意向を尊重した上ですが」(同)
そして、子どもの発達障害でも、個々の医師の診断技術にばらつきがある可能性は否めないと井上氏は危惧する。
「厳しいことを言わせてもらえば、診断のみを行うのは片手落ちで、やってはいけないことだと私は思います。発達障害の人は子どもも大人も、生活上の工夫と周囲の配慮が必要な場合がほとんどです。であれば、その工夫と配慮について助言できる医師にだけ診断してほしい」(同)
井上氏は実際に幼稚園・保育園や小学校へのアドバイスをしたり働きかけをしているが、それが必ず実るとは限らない。
「残念ながら、発達障害だからといって特別扱いはしない方も多くいらっしゃいます。先生方からは、我々のような対応は子どもを甘やかしすぎだと受け取られる場合もあり、そこはお互いの子ども観、教育観で齟齬が生じる部分でしょう。ただ、『幼児教育はかくあるべし』といった枠組みが強固すぎると、その教育現場に合わない子はずっと合わないままになる。そうした懸念は常にあります」(同)
その意味では、発達障害は医療の問題であると同時に、教育の問題でもある。
「コミュニケーションや社会性の問題にだけ注目が集まるあまり、ASDに特徴的な“こだわり”の症状が見落とされています。例えば、電車や工事現場の重機などメカニカルなものを何時間も眺めていたり、自宅から特定の場所へ行くまでの道順を絶対に変えられなかったりするなど、儀式的・常同的な行動ですね。そんな特質を持っているにもかかわらず、知能は低くないので、問題行動を起こさない限りはあまり目立たない」(岩波氏)
本来であれば、学校教育でそういう子どもたちに適切な処置を施すべきだが、いかんせん日本では集団教育が主流であり、教師にも個々の生徒に目を配る余裕がない。結果、そこそこ成績がよくて素行に問題がなければ、発達障害の疑いのある子どももスルーされてしまうという。
「そうやって小中高、大学までは乗りきれても、就職の段階で不適応が表に出てしまう。あるいは、平社員のうちは適応できても、部下をコントロールする管理職になると、もう無理ですよね。ASDの人は技術職など専門分野では能力を発揮しやすいですが、日本の会社は技術職でも総合職的な職能を求めがちですから、なかなか厳しいものがあります」(同)
大人も子どもも、発達障害の人にとって“良薬”となるのは、周囲の理解と寛容な社会だといえる。その意味では、“アスペ”とレッテル貼りをして排除する行為は理解や寛容さの対極にあるだろう。それを踏まえた上で、明日以降公開の記事では、企業と発達障害、フィクションの中の“アスペルガー”について見ていきたい。
(文/須藤 輝)
各疾患の特徴とは?ASD、LD、ADHD……発達障害の概念
このような概念で構成される発達障害。一言で説明するのは難しいが、それぞれの障害の主だった特徴を見ていきたい。
発達障害
ここ数年で「アスペルガー症候群」や「発達障害」といった言葉が世の中に急速に浸透した。しかし、一口に発達障害といっても、その症状はさまざまである。というより、そもそも発達障害という用語は、アスペルガー症候群や自閉症を含む「自閉症スペクトラム障害(ASD)」、「注意欠如・多動性障害(ADHD)」、そして「学習障害(LD)」という3つのカテゴリーを包括する総称にすぎない。ここでは、カテゴリーごとの疾患の特徴をまとめてみた。自閉症スペクトラム障害(ASD) ※旧名:広汎性発達障害
自閉症とアスペルガー症候群などを包括した概念。かつては広汎性発達障害の下位カテゴリーとしてアスペルガー症候群や自閉症などが並存していたが、13年にアスペルガー症候群から自閉症までを「連続体」として捉える自閉症スペクトラム障害に更新された。この概念は、「社会的交流」「社会的コミュニケーション」「社会的イマジネーション」という「3つ組の障害」で定義され、この3つ組の障害が年齢や知的水準によって多様な表れ方をするのが特徴とされる。【アスペルガー症候群】
・言語発達および知的能力の障害が見られない
・対人関係が苦手で集団生活において問題を起こしやすい
・他者の気持ちや言外の意味を理解することが困難
・反復的で常同的な行動パターン【自閉症】
・他者の存在をきちんと認知していない
・言語によるコミュニケーションの障害が見られる
・相手の言葉をオウム返しで言う
・「外出の道順」「物の位置」など特定の事柄に対する強いこだわり学習障害(LD)
1999年の文部省(当時)の定義では、学習障害とは「全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力の習得と使用に著しい困難を示す、さまざまな障害」とされている。学習障害は脳の特定部位におけるなんらかの機能障害に起因すると推定されているが、明確な結論は得られていない。また、学校などで学習障害とみなされている子どもの少なくない部分が、実はADHDや自閉症スペクトラム障害であり、診断という観点から見直しを要する。・読字障害
・算数障害
・書字表出障害
・特定不能の学習障害注意欠如・多動性障害(ADHD)
自閉症スペクトラム障害と共に注目されている発達障害のカテゴリー。ADHDは通常「多動」「衝動性」と「不注意」の症状を持つといわれる。その原因は脳の構造的な異常によるものではなく、ノルアドレナリン、ドーパミンなどの神経伝達物質の機能障害に基づくものと想定されるが、明確な原因は特定されていない。ADHDは生まれながらのものであり、その症状は3~4歳で顕在化することが多い。また、発症には遺伝的な要因が関係していると考えられている。
・注意集中ができない
・手足をモジモジさせ、キョロキョロする
・授業中に席から離れる
・じっとしていられない参考:岩波明著『発達障害と生きる』(講談社)