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看護師に嫌われても【石原さとみ】のことは嫌いにならないでください!

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 最初からカワイイな、素敵だなとは思っていた。でも、ただそれだけ。ちょっと気になるクラスメイト、そんな感じ。でも、いつの頃からだろう、彼女の存在は、僕の心の大半を占めるようになっていた……。

 なんだか売れないケータイ小説のような出だしになってしまったが、しかも勢いで一人称を普段使っている「私」から「僕」にしてしまったが、ともあれ、今回は石原さとみの話である。

 ただ前述の通り、私が石原さとみを好きになったのはここ2~3年の話だ。

 自慢じゃないが私には先見の明がない。よって、売れる前の原石に目をつけるということができないのだ。もともと知っていてもブレイクポイントあたりで急に好きになるという、押しも押されもせぬ一般人。ちなみにシャ乱Qは「シングルベッド」、THE虎舞竜は「ロード」をリリースしたあたりで「こいつら売れる」とうそぶいていたクチである。

 そんな私の言うことだから、あてにならないかもしれないが、石原さとみの人気が今のような爆発的なものとなるきっかけは、2012年のドラマ『リッチマン、プアウーマン』あたりからではないだろうか? そして15年のドラマ『5→9~私に恋したお坊さん~』(共にフジテレビ系)でピークに。

 ただ、『5→9~』以降あたりから、急にアンチの声も目立つようになってきた。

 彼女が、トーク番組『しゃべくり007』(日テレ系)に出演した際、「30代にやりたいことは?」という質問に「看護師になりたい。もし(芸能界を)干されたらわからないから……」と答えたことで、現役の看護師や看護学生と思われる人たちが「看護師なめんな!」とネット上で大激怒。

 まあ、そんな憤っている人たちの中にも、看護師を目指すきっかけになったのが『N’sあおい』(フジテレビ系)だったという人も少なからずいると思うのだが、どうだろう。それに、「なりたい」と言っている人に対して、そんな現実的な視点で目くじら立てなくてもいいじゃないかとも思うのだ。

 そして、現在放送中の石原さとみ主演ドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』(日テレビ系)においても事件は起きた。現役校閲者たちから「設定が現実と乖離している。校閲なめんな!」と批判の声が上がったそうだ。

 これに至っては、石原さとみのせいではないのだが、じゃあ現実に即しているという点において『あぶない刑事』(日テレビ系)はOKだったのか? という話である。

 リアルか、リアルじゃないか。

 そんなことを言いだすのは、真木蔵人かハードコア系のラッパーくらいかと思っていたが、最近は一般の人も気にするようである。

 映画『シン・ゴジラ』においても日系アメリカ人役を演じた石原さとみの「英語がひどい」という批判が挙がっている。面白いのは、『5→9~』で英会話教室の講師役をやっていたときには、こんな批判は上がらなかった。そう考えると、にわかに起こった一連のアンチは、名実ともにトップになったがゆえの代償なのかもしれない。

 ただ、いくら擁護派とはいえ、石原さとみの英語は本当にひどいのか、実際に確認する必要はある。

 あるのだが、残念ながら私は、怪獣映画を観ることができないのだ。怖いから。

 40歳の中年男が何を言っているのかとお思いになるだろう。私とて、本当にゴジラがいるとは思っていない。ただ、作品の中でリアルに存在するものとして描かれているゴジラが、丁寧に描かれれば描かれるほど、大画面に映し出された瞬間「本当に存在するもの」と錯覚してしまい、逃げ出したくなるのだ。これはガメラでも同じである。怖いの、ねえ怖いの!(『101回目のプロポーズ』の浅野温子のテンションで)

 このように、受け手がリアルを求め、作り手がそれにこたえていくことによって作品の質は上がっていくが、一方で観られなくなる人も出てくるということを忘れないでほしい。

 もちろんこれは、演者の方にも影響する。昨今のリアル至上主義を意識してのことだろうか、石原さとみ自身、『5→9~』で相手役として共演した山下智久との交際が10月20日発売の「女性セブン」にて報道された。

 演技を超えて本当の恋愛に。ファンが求めたリアルの顛末がこれである。チキショー!

西国分寺哀(にしこくぶんじ・あい)
石原さとみが、NHK朝ドラのヒロインをやっていたことを最近知った40歳会社員。たとえDVD化ではなく、レーザーディスク化されていたとしても購入する所存。

【映画監督・堤幸彦インタビュー】「共犯意識を持ちたい」“多作の人”の自己分析

――堤幸彦といえば、押しも押されもせぬ日本の超有名映画監督・演出家だ。『ケイゾク』『TRICK』『SPEC』『20世紀少年』『BECK』……手がけた作品を挙げればきりがない。その堤幸彦が今年の7月クールドラマ『神の舌を持つ男』で、まれに見る低視聴率を記録し、話題になった。堤幸彦は一体どうしてしまったのか?同作の劇場版公開を控えた監督本人に、じっくり尋ねてみた。

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(写真/河西遼)

――12月3日に新作映画『RANMARU 神の舌を持つ男』が公開を控えています。前提としてこの作品は、今年7月クールにドラマ版が放映されていましたよね。失礼ながら、視聴率が低い(平均視聴率5・6%)と放送中から話題になりました。これをご自身ではどう振り返りますか?

堤幸彦(以下、) まさに不徳の致すところですね。今年はオリンピックもあって、視聴率はかなり厳しいだろうと想像していたんですが、どこかで自分の作り方が数字的にまだいけると思っていた。

――視聴率は気にされますか?

 気にしますね。それはプロですから、当然。“ヒットメーカー”なんて言われますけど、私はこれまでそんなに連戦連勝ではなく、むしろ数字は低かったことのほうが多い。実験的なことをしてうまくいかなかった作品も多々あります。ただ今回の『神の舌を持つ男』がその流れかというと、ちょっとそうではない気がします。

――堤監督作品には、難解だけどコアな一部のファンに支持されるタイプの作品と、わかりにくいのにヒットするタイプの作品があるように思います。今回は数字を取りに行こうと思ったのか、コアなファンに受ける方向を狙ったのか、どちらなんでしょう?

 それはまず前提が間違っていますね。数字を取りに行かないことはないです。難解さを自覚している作品であっても、数字は0・1%でも多く欲しい。正直、これだけ本数を重ねていても、数字の取り方はいまだにわからない。今回は、自分たちが面白いと思っているものに、ある種の確信を持っていたので、アゲインストな空気感の中でもいけるかと思った結果の敗北でした。ただ、それで作品の価値が減ずるものではないとも思います。

――「数字は必ず取りに行っている」というお話ですが、一方でテレビドラマを視聴率で語ることへの批判も世の中ではなされていて、数字が悪くても話題になったり、DVDが売れる作品、映画化につながる作品もありますよね。そういう意味で、数字には表れない評判の部分も同様に重要だと思いますが、その面での反応は『神の舌を持つ男』では監督のところに届いていますか?

 僕ができる作り方の手段をほとんどすべてぶっこんだという実感があって、これまでの自分の作品と比べてパワーが落ちている感じは全然ないですし、周りの評判やツイッターなどネットの反応を見ていてもそれは伝わっていると思います。ただ数字で厳然と見せられると、どうなんだろうな? と不安にはなるものです。数字を切り開く力があればもっと伸びていたという反省はしています。

――今回の『神の舌を持つ男』は、当初から劇場版ありきのドラマの企画だったんですか?

 いや、映画ありきではないです。「映画になったらいいですね」って話をずっとしていて、かなり早い段階で松竹さんからゴーサインが出たので、ドラマを撮影しながら映画の構想を練り、ドラマ終了後にそのまま映画の撮影をしました。

――堤監督ほどドラマシリーズから映画化という流れを経験している映像作家はいないと思いますが、その最初の作品である『金田一少年の事件簿』(97年)当時は、一般的にドラマ作品の映画化はそれほど多くなかったですよね。

 そうですね。まず当時は、ドラマはビデオで撮影し、映画はフィルムで撮影していたので、収録するメディアが違っていたんですね。それが90年頃に、撮ったビデオ映像を容易に映画に転用できる初めてのハイビジョンカメラが開発された。その実験的な作品として、オノ・ヨーコさん主演の短編映画『HOMELESS』(91年)を撮りました。この経験を踏まえて、『金田一少年の事件簿』は半分ビデオ、半分フィルムで撮った。今見ると中途半端な折衷作品ですが、そういうふうにビデオで撮ったドラマを映画にできるという技術的な壁を乗り越えてきました。その後、ドラマの映画化というアプローチは一般的になって、『ケイゾク』の時には映画とドラマを撮影するカメラがほぼ一緒という時代になった。

――『ケイゾク』(99~00年)も、ドラマ版は決して高視聴率ではなかったにもかかわらず、映画になってヒットしたというように記憶しています。

『金田一』の視聴率は29・9%だけど、『ケイゾク』はずっと14%くらいでした。最初の『TRICK』に至っては平均7%ですからね。『TRICK』は2クールやっても視聴率はほとんど変わらなかったんだけど、やたらDVDが動いているということで映画化してみたら大ヒットした。その勢いでドラマの放送時間帯を11時台から9時台に移したら、ものすごい視聴率になったんです。

コント1000本ノックで得た笑いの質が反映されたスタイル

――『TRICK』がまさにそうでしたが、『金田一』からずっと、堤監督のヒット作には特殊能力を持ったキャラクターが出てくる一話完結のバディ・ミステリーものが多いです。これがご自身のスタイルだという意識はありますか?

 そうでもあり、そうでもないですね。そのスタイルは、日本のエンターテインメント系作品の作り方としてある種の王道です。僕はもともと音楽の映像の監督をやっていて、「ビデオクリップなどの表現手法をドラマに転用できないか」というオーダーで『金田一』を始めた結果、このスタイルが非常に作りやすいと自覚したわけです。でもこれまでに多くの作品を撮ってきて、例えば『ぼくらの勇気~未満都市~』(97年)のように近未来的な大きな仕掛けのものもあるし、『I.W.G.P』(00年)だって全然違う。映画においては、自ら言うのも格好悪いけど『天空の蜂』(15年)のようなシリアスで社会派なものもある。いろんなタイプの作品に、毎回方法を変えて演出家・監督としてどう真摯に向き合うか、考えています。

――『ケイゾク』や『SPEC』など、堤作品ではキャラクター自身がメタ的なノリツッコミをして、キャラが立ってくることも多いです。堤監督が作ったとまでは言いませんが、キャラクターでドラマを見せるという手法も特徴的ですよね。

『踊る大捜査線』や『相棒』など、キャラクターを重視したドラマは同時期にもいっぱいあった。自分がそういう手法の先駆者という自覚はまったくないです。それも日本のエンタメの定石であって、そこから激しく逸脱して堤的な個性をキャラクターに付与したつもりもまったくなく、やっていくうちに自然にそうなっちゃった。

 僕はバブル以前、リミッターのない鷹揚な笑いを許してくれる体制がテレビ局側にもあった時代に、テレビディレクターとして初めて責任を持たされてとんねるずのコントを作っていた(『コラーッ!とんねるず』85~89年)。1000本近いコントをノックを打つように作り続けて、その頃に得た笑いの質みたいなものが一生の宝物になっている。それをドラマの中で形にできないか? というのがずっと基本にあって、そこがキャラクターメイキングに反映されています。

 あの頃のはっちゃけた感じというのは、私を含めた同時代のクリエイターには脈々と流れていて、一緒に作っていた仲間でもある秋元康さんの作詞の中にもある。彼らの仕事の中に、その感覚が今でも生きている片鱗を見ると、「よし、まだ死ねないぞ」と思いますね。

――一方で、堤監督の映画作品でもっともヒットしたのは『20世紀少年』(08~09年)ですよね。あれは人気マンガが原作で、有名な役者がたくさん出るオールキャストの大作であって、いわゆる堤監督本来のスタイルやテイストが好きなファンとは違う層に届いたと思います。『20世紀少年』前後で、自身の作品の客層が変わった感じはありますか?

 そのあたりは特に変わらないですね。でも、どこに球を投げるかというのは常に意識しています。例えば、『20世紀少年』は明らかに原作ファンに球を投げるしかなかった。特に第1部では「原作と同じ構図を探してみてください」というくらい、原作マンガに沿った作り方をしていた。あるいは、『BECK』(10年)という作品も同じように撮った。ただ、最近はネットを武器にした好事家の声が大きいのもあって、この2つの作品では賛成票も多ければ反対票も多いというのを経験しましたね。特に『BECK』は、ラストに向けた過激な表現が原作ファンから全面否定されたりもした。ファンの愛し方にもいろいろあるわけで、その声は意識もするし「次に作る時はこうしよう」という意欲にもなる。賛否両論の否の声には相当耳を傾けるべきで、それはエンターテインメントのプロとして当然だと思っています。

――「好事家」ということでいうと、堤監督はそれこそ好事家の多いジャニーズ主演の作品もかなり撮られています。ジャニーズファンからの評価も高いですが、相性がいいんでしょうか?

 ジャニーズ作品は毎回タイプが違って、「あのアイドルがこんなことしちゃった」だけではダメだし、ベタベタなアイドルらしさだけでもダメで、正直なところ、作り方は意外と難しい。もちろんジャニーズ作品にも一般性の高いものはいっぱいありますが、基本はお客さんに喜んでいただかないと仕方ないんじゃないか、と僕は思っています。それはある種、いわゆる映画的/演劇的な批評性とは相容れないものもある。『ピカ☆ンチ』という作品では、公開形式が非常にクローズドなこともあり、主演の嵐と、嵐を愛する人が腹の底から笑って楽しめればいいと思って球を投げました。マニアックなコントを撮っていた時代を彷彿とさせて、私の本音に近い、面白い作り方でしたね。

――堤監督の作品は、一貫して作家性をはぐらかしながら撮っているところがあるように思っていたんですが、実は『ピカ☆ンチ』が一番作家性を感じました。

『ピカ☆ンチ』の1作目はお台場の屋形船を沈めるというめちゃくちゃな話でしたけど、やっぱりお台場の海辺に立って屋形船を見ると、「なんで天ぷら食って踊っているんだよ」って頭にくるんですよね(笑)。そういった僕の思いを、嵐の皆さんにそのままやっていただいたところに絶妙な面白さがあるなって。それを受容してくださったジャニーズ事務所の方々は、本当に心が広いな、と。

「確信を持って作った 面白いものは伝わると信じる」

――今年の映画業界は、テレビドラマの映画化が減って東宝の一人勝ちという状況ですが、テレビと映画の関係も変わってきていると思われますか?

 変化というよりも、映画という表現だけでなくいろんなジャンルのものが自由に選択できる時代になって、何かひとつの要素にヒットの可能性があるとは相対的に言えなくなっている気がするんです。その中で、クリエイターとしては自分たちが確信を持って作った面白いものは絶対に伝わると信じて疑わない。結果として、『神の舌を持つ男』も視聴率的にはちょっと寂しいかもしれないけれど、映画の数字はまた違うものだと思っています。

――では、映画『RANMARU 神の舌を持つ男』について、失礼な言い方ですけど、テレビシリーズを観てこなかった人にはどのようにアピールすればいいと思いますか?

 何も考えずに観て面白いので、お気楽に観てください、と。冒頭から、本当に大笑いできるギャグをちりばめてあるし、ドラマからずっと練り込んできたキャラクターが大爆発している。それだけではなくて、今の日本や世界が持っているある種の問題もうっすらと底に流れていて、自分で言うのも気持ち悪いんですけど、見ごたえのある上質のミステリーになっているエンターテインメント作品なので、老若男女関係なく観てくださいと訴えたいです。

――先ほどおっしゃった通り、ヒットする前提で作っている?

 もちろんそうです。『RANMARU』については、皆さんと共犯意識を持ちたいな、というのがありますね。「ほかの人にはわからないんじゃないかな?」っていう、そのお客さんと堤の共犯意識を楽しんでもらえる仕掛けがそこかしこにあるので、それは楽しいんじゃないかな。それこそ80年代のとんねるずのコントにあった共犯意識のような。

――非常に多作な堤監督ですが、今後撮りたい作品はありますか?

 やりたい企画はすごくあります。特に自分の賞味期限はあと10年あるかどうかなので、この10年でやらねばと思っている企画は10個以上ありますね。

――それは映画や舞台、テレビドラマにかかわらず?

 テレビドラマはスピードが要求されるので、さすがに還暦を過ぎると肉体的にかなりキツイんですね。頑張ってはいるけれど、率先してテレビドラマの演出家と言い切るのは、なかなか無理がある。だったら、主に映画作品でひとつのテーマをきっちり決めて、自分なりの投げたい球を研究して投げたものを、この10年で作りたいと思います。

(インタビュー/速水健朗)
(構成/須賀原みち)

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堤幸彦(つつみ・ゆきひこ)
1955年、愛知県生まれ。演出家、映画監督。オフィスクレッシェンド取締役。法政大学中退後、東放学園専門学校に入学。放送業界に入る。ADを経てテレビディレクターとなり、『コラーッ!とんねるず』(日本テレビ)などを手がけたのち、秋元康と「SOLD OUT」を立ち上げ。プロモーションビデオやCM、ミュージッククリップなどを数多く手がける。オムニバス作品『バカヤロー! 私、怒ってます』内「英語がなんだ」で劇場映画デビュー。ドラマ『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系/95年)で一躍有名になり、以降の活躍は知られている通り。

カトパンの同僚女子アナがLDHメンバーと熱愛疑惑で注目度急上昇中!

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フジテレビアナマガHPより。

 フジテレビ『みんなのニュース』でキャスターを担当している椿原慶子アナの株が急上昇している。これまで同期のカトパンの陰に隠れ、地味な存在だったが、ここにきて公私ともに俄然注目を集めている。

「入社以来、報道ひと筋で、APECをはじめ、海外取材の経験も豊富。アナウンス能力も高く、スタッフからの信頼されています。番組上は先輩の生野陽子を立てることもありますが、実質的なエースは椿原というのが実情。『ミスターサンデー』で共演する宮根誠司の評価も高く、椿原を手放したくないようです」(フジテレビ局員)

 そんな椿原だが、人気ダンスグループのメンバーと熱愛が囁かれており、各誌が取材に動いているという。

「三代目J Soul Brothersのメンバーと交際しているという噂がありますが、どうやらNAOTOが有力のようです。週刊ポストが同僚アナとの飲み会の様子を報じましたが、肝心の相手は現れなかった。他誌も取材にに動いていますが、いまだ男性の影すら掴めず、交際の事実そのものを否定する声もあります」(スポーツ紙記者)

 今後の取材の動向を見守りたいところだが、当の椿原アナ本人は、特に気にしている様子もないという。

「熱愛騒動について、同僚局員に突っ込まれてもあっけらかんとしたもので気にする素振りすらありません。もともと芦屋のお嬢様で、入社当時から浮世離れした大物感がありました。芸能人が数多く住む広尾の超高級マンションに住んでいますが、これも実家の持ち物で女子アナが住む物件じゃない。実は局内でもアンタッチャブルな女子アナなんです」(前出・フジテレビ局員)

 しばらくは椿原アナから目が離せなくなりそうだ。

地の果て・アラスカ州から殺人旅行を繰り返したシリアル・キラー

――犯罪大国アメリカにおいて、罪の内実を詳らかにする「トゥルー・クライム(実録犯罪物)」は人気コンテンツのひとつ。犯罪者の顔も声もばんばんメディアに登場し、裁判の一部始終すら報道され、人々はそれらをどう思ったか、井戸端会議で口端に上らせる。いったい何がそこまで関心を集めているのか? アメリカ在住のTVディレクターが、凄惨すぎる事件からおマヌケ事件まで、アメリカの茶の間を賑わせたトゥルー・クライムの中身から、彼の国のもうひとつの顔を案内する。

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アラスカのシリアル・キラー、イスラエル・キース。

 2012年2月1日午後8時頃、アラスカ州アンカレッジにある小さなコーヒー店でアルバイトをしていたサマンサ・コーニック(当時18歳)は、店を閉める準備をしていた。すでに店の周囲は暗闇に包まれていたが、彼女のもとに最後の客が訪れた。顔を覆うスキーマスクを被った男は、コーヒーを注文。極寒のアラスカ州では、そうしたマスクを被る姿は見慣れた光景だった。彼女は男のために、この日最後のコーヒーを淹れ、カウンターへ運ぶ。

 そこで彼女を待っていたのは、銃口を向ける男の姿だった。男はサマンサの手首を結束バンドで縛ると、深々と降り積もる雪の中、誘拐したのだ。

 翌日、犯罪とは縁遠かった町で、市民と警察による大規模な捜索が開始される。3週間後、サマンサのボーイフレンドに、彼女の携帯電話からメッセージが送られてきた。

「コナー公園にあるアルバートの写真の下。彼女可愛いな」

 謎めいたメッセージをもとに警察がコナー公園に向かうと、掲示板に貼られたアルバートという犬探しのポスターの下に、サマンサの写真が入ったジップロックを発見。怯えた様子で目を見開いたサマンサと、数日前に撮影したことを示すためか、日付入りの地元新聞が写されていた。そこには、彼女の銀行口座に30000ドルを振り込むよう身代金を要求する紙も同封されていた。サマンサの両親は市民からの寄付金を集めると、すぐに現金を振り込んだ。娘が生きて帰ってくることを信じて。

 それから数日後、事件は急展開をみせる。アラスカ州から遠く離れたアリゾナ州で、サマンサの口座の現金が引き出された。防犯カメラにはサングラスで変装をした男の姿が捉えられていた。その後、男はニューメキシコ州、テキサス州と移動し、ATMから現金を引き出し続ける。警察は防犯カメラの映像をもとに捜査を進め、滞在先のホテルから車を走らせようとしていた男にたどり着いた。停車させた車の中で、サマンサの携帯電話とデビットカード、そして大量の現金を発見。男が提示した免許書には、イスラエル・キーズと記されていた。

 ここでついに、サマンサ誘拐の容疑者は逮捕された。だがこの時、イスラエルがシリアル・キラーであることは、まだ誰も知る由もなかった。

厳格な両親のもとで暮らした少年時代

 1978年1月7日、イスラエル・キーズは、ユタ州リッチモンドで9人兄妹の長男としてこの世に生を受けた。厳しいキリスト教原理主義者の両親は、子供たちの名前を聖書から引用し、彼にはイスラエルと名付けた。

 彼が生まれて間もなく、一家はワシントン州スティーブンス郡に移り住む。経済的に恵まれない環境だった一家は、林に囲まれた通り沿いに立つ小さな小屋で生活を開始。厳しい冬を迎えると、電気も通っていない小屋で薪を燃やして暖をとる生活を送った。イスラエルは学校には通わず、ホームスクールで教育を受け、神への冒涜と両親が判断すれば、映画や音楽などのポップカルチャーに触れることも許されなかった。そして週末になれば、両親と共に白人至上主義の色濃い教会に通い続ける日々を送った。孤立した環境で育ったイスラエルにとっては、それが普通だった。しかし、彼が初めて自分の“異変”に気がついたのは、彼が14歳の頃だった。

 友人と行動をするようになった彼は、空き家に侵入するという遊びを繰り返していた。ある日、忍び込んだ家の中で猫を発見すると、イスラエルは躊躇なく射殺した。気味悪がった友人は、彼を避けるようになっていったという。また、妹が飼っていた猫がゴミを漁ると問題になった時も、彼は猫を林に連れて行き、腹部に向かって発砲。死にゆく猫を見ながら笑った。

 常軌を逸した行動で、さらに孤立を深めていった彼であったが、後に彼が営む建設業の才能を見つけるのも、ちょうどこの頃だった。イスラエルが初めてキャビンを建てたのは、まだ16歳の頃だった。

 1990年代後半、一家は再び住まいを変える。母親は、キリスト教原理主義者からモルモン教徒へと変わる。だがその信仰は定まらず、今度はメーン州スミュルナに移り住み、アーミッシュ・コミュニティでの生活を開始。近代的な生活様式を営まず、昔ながらの農耕や牧畜によって自給自足をするこの集落で過ごす中、母親は環境になじめず、再び信仰を変えていく。2度3度と信仰を変える母親は、それゆえに周囲からは気味の悪い女性として変わり者扱いされ、カルト扱いされていたという。

 そうしたこともあって、イスラエルは17歳の頃、とうとう両親の信仰に嫌気が差し始めた。一家の絶対的な存在であった神の存在に苦しみ、無神論者となることを決意。彼の不信心を知った両親は、イスラエルを勘当する。彼は家族を捨てて旅に出た。

 1998年、イスラエルは自ら軍に入隊する。3年間の軍隊生活の末に除隊した後は、9歳年上のガールフレンドと再びワシントン州へと移り住み、幼少時代から培った才能を活かして、建設業を営み始めた。仕事は順調だった。結婚こそしなかったが、2人の間には娘が生まれた。

 2007年3月、2人は知人の勧めもあって、娘を連れてアラスカ州へと移住を決意。新天地でも建設業を営み、 寡黙だが確かな腕を持ち、指定した時間の5分前には準備を整えている彼の姿は、すぐに評判の職人として、地元住民に知られていった。彼を雇った住民は、一様に真面目で娘思いの男と太鼓判を押していた。サマンサ誘拐事件が起きるまでは……。

“殺人中毒”を自称する男が語りだした複数の犯行

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イスラエルが用いた殺人キット。

 2012年3月13日、誘拐容疑でイスラエルは逮捕されたが、依然としてサマンサの捜索は続いていた。連日続いた取り調べに対して、彼は沈黙を守り続けたからだ。しかし逮捕から18日後、FBIの捜査によって追い詰められたイスラエルは、その重い口を開き始めた。

「彼女はもう、死んでるよ」

 そして彼は、おぞましいサマンサ殺害の全容を、淡々と語り始めたのだ。

 イスラエルは彼女を誘拐後、ガールフレンドと娘が眠る自宅のガレージで強姦し、窒息死させた。身代金要求の為の写真を撮影した時には、すでに死んでいたことを告白。さらに、写真に写る彼女の見開いた目は、糸で縫いつけて強引に開けさせていたこと。死体をバラバラにし、ビニール袋に入れてマタヌスカ湖へと運び、厚く張った氷をチェーンソーで切り抜いて死体を捨てたこと。その場で釣りを楽しんだこと。そして、その帰りに娘の小学校へ向かい保護者面談に出席し、その夜、釣った魚を鍋料理にして娘に食べさせたことを滔々と語った。

「あなたが知りたいことを全て話しますよ。もっと話さなきゃきけないストーリーもあるんです」

 イスラエルは、捜査官にそう告げると、過去の犯行を語り始めたのだ。

 殺人が趣味と豪語する彼は、建設業で金を稼いでは全米を飛び回り殺人を繰り返していたというのだ。バーモンド州では、中高年の夫婦宅を襲った。寝ていた2人を起こして手首を縛って誘拐し、近くの廃墟にある地下室で夫を椅子に縛り、上の階で妻を強姦。2人を殺害し、地下室に遺棄した。さらに、複数の州に、銃や、ロープ、ゴミ袋、排水管洗浄剤などを入れた“殺人キット”を、あらかじめ用意しておき、手ぶらで訪れると殺人を繰り返していたのだ。自らを“殺人中毒”と表現するイスラエルは、そうした行為を働く為に、2007年から2012までの間に20回も飛行機でアラスカを出ており 、資金調達のために銀行強盗まで働いたというのだ。

 イスラエルは、14年間に渡って家庭的な父親と、冷酷な連続殺人鬼の二重生活を送っていたのだ。

崇められたいわけではないーー身勝手すぎる結末

「今、直面している問題は、誰かが私の事をバカバカしいテレビのトゥルー・クライム・ショーにしようとすることだ」

 イスラエルは取調室で、コーヒーカップを握りながらそう呟いた。

 過去に存在したシリアル・キラーの中には、自分の犯した罪によって浴びるスポットライトに快感を覚える者も少なくない。しかし、彼は自分の名が新聞や、インターネットに載ることに抵抗を示し、特にテレビ番組のネタに扱われることに嫌悪を示した。10歳になる娘が将来、自分のことをインターネットで調べるのを恐れていたのだ。

 また、彼はそうしたショーに、人々が夢中になることも知っていた。アメリカにはこうした実録犯罪物のテレビ番組が多くあり、人気を博している。一線を越えて、殺人鬼を英雄視する者も一定数存在する。手紙の交換をしたり、面会と称して直接会いに行く者もいる。有名な殺人鬼ともなれば、ファンクラブもあるほどだ。彼らを祭り上げるのは男だけではない。殺人鬼に恋心を持つ女性のことを「プリズン・グルーピー」と呼ぶが、ロックスターの追っかけのように、殺人鬼に夢中になり、中には獄中結婚をする者もいるのだ。

 しかし、イスラエルは、自分を崇める者達に興味を持つようなタイプのシリアル・キラーではなかった。彼は、一刻も早く、この世から去りたいと考え始めていた。

「俺はもう全てを終わりにしたいんだ。俺は刑務所から一生出れないことを知っている。俺にとって、それは死刑と同じなんだよ」

 そして2012年1月21日、裁判開始の3カ月前、イスラエルはカミソリの刃で手首を切り自殺をした。警察は少なくとも11件の殺人に関与していると見て捜査を進めていたが、イスラエル亡き今、その数は把握しきれていない。

 14年間に渡って殺人旅行を行ったイスラエルの被害者は、今も全米中に眠っているかもしれない。

井川智太(いかわ・ともた)
1980年、東京生まれ。印刷会社勤務を経て、テレビ制作会社に転職。2011年よりニューヨークに移住し日系テレビ局でディレクターとして勤務。その傍らライターとしてアメリカの犯罪やインディペンデント・カルチャーを中心に多数執筆中。

【磯部涼/川崎】在日コリアンラッパーが夢見る川崎の未来

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

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川崎区で生まれ育ったラッパーで実業家のFUNI。

「日本人/韓国人/フィリピン人/さまざまなルーツが/流れる/この街でオレらは/楽しく/生きてる」。21時、街灯も疎らな住宅街にある公園に足を踏み入れると、暗闇の中にぼうっと浮かぶ白い光が目に留まった。それは、東屋のテーブルに置かれたiPhoneの画面で、周りを少年たちが囲み、YouTubeから流れるビートに合わせてフリースタイル・ラップをしているのだった。すると、ひとりの男がサイファー(フリースタイルの円陣)に歩み寄り、言葉をつないだ。「フィリピン/コリアン/チャイニーズ/南米もいいぜ/ごちゃまぜ/人種ジャンクション……」。BPM90のビートに倍の速さでアプローチしていた少年たちの勢いに比べ、彼のラップはレイドバックしていたが、その言葉には説得力がある。「……集まる/この場所/長崎/じゃなくて川崎/ボム落とす/まるで原子爆弾/拡張してく頭/の中はサイコ/パス・ワードは0022/FUNI(フニ)/で踏み/区切り/誰だ、次」。促された少年のラップは、感化されたのだろう、先ほどよりも熱い。「言ってたな原子爆弾/ならオレらがここで元気出すか!」。ほかの少年たちが歓声を上げる。彼らは暗闇の中で、溜め込んだ気持ちを吐き出していた。

ヤクザに殴られる外国人を眺めて教会の屋上でサイファーをした

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川崎区の多文化地域・桜本にある在日大韓基督教会・川崎教会は、1947年に建てられて以降、
地元の在日コリアンの拠り所となってきた。

「この場所は、オレにとってシェルターだったんです。家にも学校にも居場所がないからここに来て、同じような子どもたちと遊びながら、良いことも、悪いことも覚えました。あと、ラップも」。郭正勲(カク・ジョンフン)――通称“FUNI(フニ)”は、灰色の空を見上げながら言う。視線をゆっくり下ろしていくと、煙を吐き出す工場群が、続いてのっぺりとした街並みが、そして、巨大な十字架の裏側が見えた。雨に濡れた梯子をおそるおそる登ってたどり着いたこの場所は、川崎区の多文化地域・桜本にある〈在日大韓基督教会・川崎教会〉の屋根の上だ。「家は厳しかったけど、『教会に行く』って言うと遊びに行けたんですよ。で、みんなでこっそりここでタバコを吸って。中2のときラップにハマってからは、サイファーもやってました。バビロンを眺めながら。すぐそこに不法滞在の外国人が隠れてるアパートがあって、ヤクザにボコられてる姿が見えたり」

 FUNIは、83年、桜本に生まれた。4人兄妹の次男。祖父は日本統治時代の朝鮮からやって来たいわゆるオールドカマーで、父は日本生まれの2世。一方、母は結婚のために韓国から嫁いだニューカマーであるため、彼は自身を“2・5世”と称している。やがて、6歳になると1キロほど離れた南大師へと移住。家族はそこで鉄加工工場の経営を始めたが、生活は苦しかったという。「今年、自衛隊の船の部品をつくる仕事が入ってきて、ギリギリ、潰れるのを免れた。つい、『戦争があってよかった』ってホッとしちゃいましたよ。『戦争反対』とか言いたくても言えない。原発立地帯と同じ。子どもの頃から工場で働かされてましたけど、『絶対に継ぎたくない、もっとデカいディールがやりたい、この街を抜け出してやる』と思ってましたね」

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左:FUNIの父親が描いた絵。なぜ、工場を題材にするのかと訊くと、「この街で一番美しいから」という答えが。右:休日の工場に佇む、FUNIの伯父と猫。

 しかし、地元は彼の人格形成に多大な影響を与えたようだ。「南大師に引っ越したら、桜本とそんなに離れていないのに、ガクンとプールが深くなるみたいに疎外感が強くなったんです。小学校で在日はオレひとりでしたし。で、週末になったら桜本の教会で在日の友達と会う。そのボーダーを行ったり来たりする感覚が自分にとって大きかったですね。当たり前だと思ってたことも、決して当たり前じゃないんだとわかった」。やがて、FUNIは川崎北部の高等学校に進学し、地元の特殊性をさらに思い知る。「この街って欲望がむき出しにされてるんで、子どもも大人になるのが早いんですよ。だから、北部に行って、『なんでみんなこんなに子どもなの?』ってビックリしましたね。勉強や部活のことばっかり考えてるのがカルチャーショックだった」

 あるいは、FUNIが川崎の不良のしがらみに足を取られることがなかったのは、うんざりしていた地元の、大人たちのおかげでもあったのかもしれない。「川崎の大人って『ああはなりたくない』ってヤツらばっかりで。でも、みんな、結局、そういう大人になってしまう。そんな中でオレは侮れない大人と出会えたんですよね。両親の民族教育の厳しさは常軌を逸してたけど、今は感謝してるし、あと、教会で牧師先生に、キング牧師やマルコム・Xのような先達の存在を教えてもらったことも大きかった」。また、前述した通り、彼はその屋根の上でラップを知ったのだ。「川崎って罪深い街なんで、聖書がよく合うんですけど、それ以上にラップが合う。ナズや2パックの訳詞を読んだときに、国も世代も違うのに置かれてる状況とか考えてることが同じで、しかも、表現がカッコいいことに感動した。で、オレもリリックを書き始めたんです」

新宿のタワーマンションを離れ川崎に舞い戻ってきた理由

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川崎教会の屋上から眺める川崎区の風景。遠くに臨海部に建つ工場の煙が見える。

 02年、FUNIはラップ・デュオ“KP”を結成する。相方で、世田谷区成城に住んでいた李育鉄(リー・ユンチョル)ことリユンとは川崎教会が縁で出会ったばかりだったが、03年、ラップ・ブームと韓流の勢いに押されるように、KPはいきなりメジャー・デビューを果たす。「ただ、“コリアンラッパー・デビュー”って触れ込みには、そりゃないだろって感じでしたね。『せめて、在日コリアンラッパーだろ、オレらアンニョンハセヨって言われたらブチギレちゃうよ』って」。周囲の無理解に憤った彼らは、若い在日コリアンのリアリティを積極的に打ち出していくが、それによって、依頼される仕事には、NHK『ハングル講座』のレギュラーや、舞台『GO』の主演など、常にエスニシティが付きまとうことになってしまった。「メディアにラッパーではなく、在日の代表として登場させられるんですよね。いつも、『もっとラップを聴いてくれ』と思ってました」

 一方、00年代初頭のラップ・ブームは早々と終わってしまったが、若いラッパーたちは才能を発揮する場所を自分たちでつくり、むしろ、そこからこそ、多くの名曲が生まれていった。「その盛り上がりはうらやましかったですよ。自分たちは下地をつくらずに世の中に出たんで、ヒップホップのうわべをなぞることになってしまった。だから、『シーンで名前を売るならやっぱりMCバトルだろう』ってことで大会に出て、それなりに成果を上げた。そのおかげで、『あ、KPのヤツってラップうまいんだ』って認知してもらえたと思う」。また、当時、川崎区からはA-THUG率いるSCARSが登場したほか、〈川崎教会〉にて牧師を務め、桜本のコミュニティ・センター〈ふれあい館〉も創設した李仁夏(イ・インハ)の孫息子のラッパー、INHAが評価を高めていた。FUNIは彼とプロデューサーのOCTOPODの3人でラップ・ユニット、MEWTANT HOMOSAPIENCEを結成、アルバムの制作を始めるが、そんな折、INHAはドロップアウトしてしまう。「オレとしてはそのアルバムが出れば、KPのセルアウト(売れ線)なイメージを脱却して、表現者としての地位を確立できると思ってたんですが……ヒップホップ・シーンとは、入口を間違えた分、何か常にうまくいかないなって感じがありましたね」

 そして、彼が成功を果たしたのは、ラッパーとしてではなくビジネスマンとしてだった。14年、FUNIはタワーマンションの自宅から新宿の喧噪を見下ろしていた。4年前、KPの活動を休止すると同時に、友人2人と始めたIT関連企業は、社員80人を抱えるまでに成長。仕事は多忙を極めたが、それも、愛するフィアンセのためだからこそできることだった。「川崎で、日系ブラジル人の女の子と出会ったんです。『同じ移民の子だね』ってお互い惹かれ合って、『民族にこだわるなんて古い、在日コリアンと日系ブラジル人で子どもをつくって、新しい世代を切り開いていこう』と約束した。『金が必要だ。じゃあオレ、ビジネスやるよ』って。でも、がむしゃらにやってるうちに、いつの間にかいかにも日本人的な働き蟻になってたんです。で、14年の大みそか、『あんた、ラップやってたときのほうが輝いてた』ってフラれてしまう」。次の日、彼は会社を譲り渡すことを決める。「どこかで『人生こんなもんか、いちあがりだな』って高をくくってたんですよね。それが真っ白に。でも、彼女には感謝してます。あのままだったら、つまらない人生になってたと思う」。やがて、川崎どころか日本に嫌気が差したFUNIは、放浪の旅へと出発した。

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川崎教会の倉庫に置かれていたドラム・セット。

 しかし、現在、FUNIは川崎で、相変わらず忙しい日々を送っている。例えば、南大師の実家に拠点を置きながら行っている業務のひとつに、〈ノーベル・ライフ〉や〈電話居酒屋〉といった、悩みや愚痴を聞く電話サービスの運営がある。「アメリカで依然として人種差別が横行している一方、ブラック・ライヴス・マター(警官によるアフリカ系アメリカ人男性殺害事件に端を発する反差別運動)が盛り上がってるのを目の当たりにして。でも、日本は変わらないんだろうなと思ってたら、川崎でヘイト・スピーチに対してカウンターが起こったと知り、『川崎、すげぇじゃん!』と見直して、帰ってきたようなところがある。それで、オレが桜本の教会に救われたように、どこかで苦しんでる人のためのヴァーチャルなコミュニティがつくれないかと思ったんです」。FUNIは子どもの頃のように地元を外から見ることによって、改めてその可能性に気づいたのだ。

 また、FUNIはラップも再開、川崎の子どもたちのために、同文化を使ったワークショップの準備を進めている。桜本・桜川公園のサイファーに顔を出した日は、その前に市立川崎高校で講演を行い、そこでも生徒を次々とステージに上げて、フリースタイルを交わした。あるいはFUNIは、子どもたちに、かつての自分の姿や、生まれてくるかもしれなかった自分の子どもの姿を重ね合わせているのではないか。「最近、INHAと連絡がついて、頓挫したアルバムを完成させたんです。MEWTANT HOMOSAPIENCEっていうのは、ミュータント・タートルズみたいに川崎の光化学スモッグを吸いすぎて進化しちゃった人間、って意味なんですね。川崎は日本の未来の姿だと思うんですよ。それは、東京が2020年に向けて目標として掲げるダイバーシティの課題でもある。だからこそ、オレも侮れない大人になって、キング牧師やマルコム・Xのように、未来を生きる子どもたちにオープンソースとして使ってもらえたらと」。10月20日より配信されるMEWTANT HOMOSAPIENCEのアルバムのタイトル、『KAWASAKI』の下敷きとなったのは、映画『未来世紀ブラジル(原題:BRAZIL)』だという。きっと、未来世紀カワサキでも子どもたちはサイファーを組んでいるのだろう。(つづく)

(写真/細倉真弓)

【第一回】
【第二回】
【第三回】
【第四回】
【第五回】
【第六回】
【番外編】
【第七回】
【第八回】
【第九回】

磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

フィギュアスケートシーズン開幕に思う、羽生結弦と宇野昌磨のチャレンジ精神

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、世にあふれる”アイドル”を考察する。超刺激的カルチャー論。

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「フィギュアスケートLife vol.7」(扶桑社ムック)

 フィギュアスケートの本格的なシーズンが始まりました。10月21日からのスケートアメリカ、その翌週のスケートカナダ、このふたつの大会を、私はラッキーにも自宅で見ることができました。癌の治療中でもありますので、「病室で見ることになるかも」と覚悟はしていたのですが、やはり病室の小さなテレビで見るのは味気ないもの。このところ体調も悪くなく、非常に楽しいテレビタイムになりました。

 どちらの大会もそれぞれ、手に汗握ったり、さまざまなことに思いをめぐらせたり、思わずテレビに向かって拍手したり…。とはいえ、見た選手全員のことを語ろうと思ったら分量的にとんでもないことになりそうですので、今回は、スケートアメリカの宇野昌磨、スケートカナダの羽生結弦のことを中心に書きたいと思います。ほかの選手のことは来年3月の世界選手権までに書くチャンスは何度も訪れるはずですので、もしこの連載を期待して読んでくださっている方がいらっしゃるなら、なにとぞご容赦を…。

●宇野昌磨
 以前、今年の3月の世界選手権を取り上げたとき、私は「宇野昌磨のミュージカリティの高さに感じ入った」と書きました。盛り上がりどころがつかみづらい曲を使っても、観客をきっちり引きずり込む力。今回のフリーでも、その能力を再確認しました。というか、さらにレベルアップした感じです。

 使用したのはピアソラのタンゴ。「ブエノスアイレス午前零時」と、ミルバのボーカルによる「ロコへのバラード」をつなげたもの。ピアソラとフィギュアスケートといえば、「リベルタンゴ」を使った1997年のグリシュク&プラトフのオリジナルダンス(ヨーロッパ選手権での演技が至高!)、「アディオス・ノニーノ」を使った1998年長野の陳露のショートプログラム、2008年世界選手権のジェフリー・バトルのショートプログラムが、私の中ではベスト・オブ・ベストという感じ。そうそう、ピアソラのナンバーをつなげた、1990年世界選手権のウソワ&ズーリンのフリーダンスも忘れるわけにはいきません。

「ブエノスアイレス午前零時」や「ロコへのバラード」は、「リベルタンゴ」や「アディオス・ノニーノ」以上に「踊り」に主眼を置いていない曲です。語弊を恐れずに言えば、ホールやジャズクラブなどで聴くためのタンゴであって、踊るためのタンゴではない。その曲をバックに、10代の選手が、あれだけの世界観を身体で表現していくのですから驚くばかり。曲のいちばんの「踊りどころ」でステップシークエンスに入るのですが、上体の動きの精緻さと、音符ひとつひとつにエッジワークをからめていく見事さには、思わずため息がもれてしまいました。

 ジャンプは、4回転のフリップがクローズアップされるのは当然ではありますが、私は、2回入れた4回転のトゥループを、それぞれステップから直ちに跳んでいたことに、より大きな拍手を送りたい。特に2つめのジャンプは、一度グッとバックアウトのエッジに乗って(ルッツジャンプのエントランスかと思ったほどです)、そこから滑らかなターンを入れ、跳んでいました。素晴らしい!

 トリプルアクセルからトリプルフリップまでをつなげるシークエンスが決まっていたら、200点は軽々超えていたでしょう。「完成形」を見るのが本当に楽しみです。

 あと…、これは私の勝手な推測ですが、宇野昌磨は、「平昌オリンピックに4回転ループを入れたプログラムをもってくる」のを目標にしているのかもしれないなあ、と。ほとんど「ステップの延長」くらいの軽さで跳んだトリプルループが、明らかに回りすぎていましたから。「練習ではもう、確認のために跳ぶトリプルループより、トライのために跳ぶクアドルプルループの数のほうが多いのでは」と思ってしまったんですよね。なんにせよ、ケガだけには気をつけてほしいと切に願っています。

●羽生結弦
 いやー、プリンスの「Let’s Go Crazy」を競技会で滑る選手が出てくるなんて。ボーカル入りの曲の使用がアイスダンス以外でも認められるようになったおかげですが、80年代の洋楽を今でもけっこう聴いている私にとっては、燃えますわね。この曲が収録されているアルバム『Purple Rain』では、「I Would Die 4 U」がいちばん好きなのですが、誰かエキシビションで滑ってくれないかしら。

ショートプログラムは、ジャンプがハマったら冒頭から最後までガッツリと観客を引き込むプログラムになっているのは確認できましたので、宇野昌磨に対する感想と同じく、「完成型」を見るのが本当に楽しみです。

 フリーは、なんと言いますか、「特にジャンプに関して、新しいチャレンジを詰め込んでいるなあ」という驚きがありました。箇条書きで挙げてみたいと思います。

◆今年3月の世界選手権が最初のチャレンジでしたが、4回転サルコウを2回に増やし、そのうちのひとつはトリプルトゥループとのコンビネーションで入れることに、本格的に取り組んでいる。
◆本来、4回転ジャンプの中では羽生結弦がいちばん確実に跳べるはずのトゥループを1回にしている(昨年のフリーは2回実施)。
◆トリプルアクセル~ダブルトゥのコンビネーションで、ダブルトゥのアームポジションを着氷後もキープしている。
◆「コネクティングステップから」というよりは、ほとんど「ステップシークエンスの終了と同時に」くらいの密度の中で、トリプルフリップを跳んでいる。
◆レイバックイナバウアーからの流れで、トリプルルッツを跳んでいる。

 これも私の勝手な推測ですが、体が万全の状態に戻ったら(平昌オリンピックには当然そのつもりで照準を合わせてくるでしょう)、フリーでは4回転を5回入れるつもりではないのかな、と。ループ1回、サルコウとトゥループを2回ずつ。「今シーズンは、その目標のために、4回転のサルコウのコンビネーションを体に覚えさせる時期でもあるのかしら」と。

 もちろん、本人のチョイスがどういったものであろうと、そこに異を唱えるつもりはありません。平昌オリンピックのフリーで、「4回転が4つ」だったとしても、不満を持つなんてことはありえない。現時点でも、とんでもない難易度に挑戦しているわけですから。ただ、これも以前書いたことではありますが、宇野昌磨にしろ羽生結弦にしろ、「自分を追い込む・追い詰める」傾向が非常に強い選手であると思います。「その傾向がいい方向に転がってほしい」と、一観客としてただただ願うばかりです。

 ジャンプ以外にも、羽生の「チャレンジ」はそこかしこに見て取れる。エッジワークの一歩一歩がさらに距離が出ているし、ショートプログラムでのトリプルアクセルのエントランスのステップは、昨年とはまったく違うものになっているし(昨年はイナバウアーからでしたが、今年はステップを踏んでいる距離も時間もさらに長くなっている)、フリーのハイドロブレーディングも、今シーズンはターンからの流れで入れている。そういったブラッシュアップを見ることができたのは、今大会の大きな喜びでした。

 フィギュアスケートの選手に限らず、すべてのアスリートに言えることですが、難しい技にはどうしてもケガがついて回ってしまいます。来年の世界選手権も、再来年の平昌オリンピックも、すべてのスケーターが万全の体調で迎えられますように。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』(小学館)で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。月刊文芸誌『小説すばる』(集英社)でも連載中。

ゲスを極めし川谷絵音! 活動自粛&発売中止はベッキー復活の狼煙か?

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ゲスの極み乙女。オフィシャルHPより

 10月3日、川谷絵音がボーカルを務めるゲスの極み乙女。(以下、ゲス極)とindigo la Endの活動自粛が発表された。それに伴い、所属レコード会社のワーナーミュージック・ジャパンは12月7日に発売予定であったゲス極の3rdアルバム『達磨林檎』【1】の発売一旦中止をアナウンス。自粛の理由は、川谷が未成年者と飲酒をしたことが明るみに出たためだ。この未成年者とは、川谷の新恋人であるタレントの〈ほのかりん〉。彼女は今回の一件でレギュラー番組や出演予定だった舞台を降板するハメになり、成人になるまでの、たった数カ月を待てなかったばかりに、彼らは窮地に立たされることとなった(ちなみに彼女は川谷が活動自粛を発表した翌日4日に20歳の誕生日を迎えた)。芸能事務所幹部が明かす。

「『週刊女性』(主婦と生活社)9月13日号に掲載された、川谷の三軒茶屋のバーで“20代前半の美女”のお持ち帰りスクープですが、この相手がほのかりんでした。同誌の突撃取材に対し川谷は『僕は正直に話していますよ。(相手は20代前半の一般人なので)写真は撮らないでいただきたいです』と答えましたが、これが実は正直な対応ではなかった。事務所側は19歳との“恋愛”だけなら問題はないと本人の意思を尊重していたようですが、ほのかりんは未成年のため飲酒は違法行為。さすがに今回ばかりは所属レーベルであるワーナーとマネジメントのスペースシャワーミュージックも激怒し、厳重な処分を下したのでは」
 川谷といえば、今年1月にベッキーとの不倫が発覚し、生々しいLINEのやりとりが流出。当時、妻帯者であった川谷は集中砲火を浴びたが、それでもライブや新作の発表を行い、活動を自粛することはなかった。

「不倫報道が出た際、川谷には『人として道徳に反している』という意見が飛び交いましたが、活動自粛や商品の出荷停止などの措置は取られませんでした。ワーナーとスペースシャワー、そして本人で話し合いの場を設け、さらに関係各所の意見を元に『生まれる音楽に罪はない』という判断からだったと聞いています。これは川谷の不貞行為に限らず音楽業界ではよくあることで、刑事罰と見なされる事件を起こした場合のみ、発売中止や回収などが行われます」(レコード会社関係者A氏)

 一方、川谷の音楽の舞台とは違い、芸能界が主戦場のベッキー。世間からの鳴りやまぬバッシングによってレギュラー番組はすべて降板、CMの打ち切りと、芸能活動を休業したことは周知の通りだ。約3カ月後の5月に『金スマ』(TBS)で復帰を果たしたが、他局にとっては寝耳に水の背徳行為。それもそのはず、芸能界で幅を利かせていたベッキーだけに、謝罪会見の不誠実さや、その背徳行為によってサンミュージックは傲慢さを露呈してしまう形となってしまったからだ。結果、同社には多くの苦情が寄せられ、以降、マスコミとの円滑な関係を取り戻すために、サンミュージックは広報の体制を強化したという。

「ベッキーの休業中、これまで彼女が稼いでいた収入の補填と違約金をまかなうため、サンミュージックはほかの所属タレントたちを積極的に売り出しましたが、ブレイクしたのはメイプル超合金のみ。到底埋め合わせはできません。復帰後、以前までは決してオファーを受けることがなかった地方局のテレビ番組にまでベッキーを売り込んでいます。結果、JFN系列FMラジオの新番組のパーソナリティが決定。しかし、東京で聴くことができない番組への出演は完全な“都落ち”。ただ、ラジオ収録前には事務所の広報担当が懇意のマスコミ各社を呼んでベッキーを取材させるなど、その腰の低さには変化が見られた。今後、キー局のスポンサー各社がOKを出せば、立て続けに復帰が決まっていくかもしれません」(芸能プロ関係者)

 去る9月29日には宝島社の新聞広告で、トレードマークであったロングヘアをバッサリ切り落とし、“裸一貫”からやり直す決意表明か、一糸まとわぬ背中のヌードを披露したベッキー。

「ベッキーが起用された宝島社の企業広告『30段広告』【2】は、彼女の復活のイメージが宝島社の企業イメージに合致するとのことで、同社からオファーしたそうです。宝島社内でも幹部クラスしか知り得なかった案件で、一般社員は驚いたそうです。背中だけといえどもヌードとなると、以前ならサンミュージックの上層部が決してOKを出さなかった仕事ですから、一種の“賭け”でしょうね」(広告代理店社員)

 いまだ世間の厳しい声も散見されるが、復活への狼煙を上げるベッキーと、不倫騒動に懲りることなく、またしても問題を起こして自滅寸前の川谷。これまではベッキーに比べ、川谷はさほどダメージを負っていないようにも見えたが、形勢は逆転しつつある。なぜ、このような逆転劇が起きてしまったのか。大手レコード会社に勤務するB氏の話。

「不倫報道後、川谷はえらく反省していました。しかし、ネットに散らばる誹謗中傷にいら立ちを隠せず、停止していたブログやツイッターで『誰に謝ればいいの?』といった軽口を叩いて、すべてを台なしにしてしまった。そこで今回の騒動。さすがにこれでレーベルもマネジメントも『そもそも反省していなかったんじゃないか』という疑念を抱いたようで、その結果が活動自粛、発売中止と聞いています」

 活動自粛に際し、ツイッターで「必ず戻ってくるので、待っていてください」とファンに復帰を約束した川谷。しかし、今回ばかりは関係者らも激怒しているといい、その道のりは険しくなりそうだ。

「活動の自粛、リリース予定だったアルバムの発売を一旦中止という措置は、それだけワーナーが今回の件を重く受け止めている証拠です。同社のスタッフは『健全な状態でリリースしたい』と話していましたが、活動を休止すればファンは離れていくわけで、仮に自粛を経てリリースできるタイミングが来たとしても、必ずネットで叩かれるのは目に見えています。また、すでに決まっていた商品のリリースを中止にするということは、レコード会社にとって大きな痛手。地方でのリリース・プロモーションは白紙、プロモーションのために制作したグッズは不要となり、もっとも痛手となるのはレコーディングに伴う制作費用。不倫騒動でベッキー側が受けた損害額は約5億円といわれており、それと比較すればまだダメージは軽いかもしれませんが、見込めた売り上げなども考えれば、ワーナーも数億円の損害を被ったといっても過言ではありません」(前出・芸能事務所幹部)

 不倫騒動後、開き直りともいえる言動が目立ち業界内でも問題児扱いされてきた川谷。しかし、その一方で音楽性はいまだに高く評価されているのも事実。発売予定だった新作には、川谷渾身の一曲が収録されているともいわれているが、今回の騒動の動きによっては一旦中止ではなく、未来永劫リリースされない可能性もある。アーティスト名のごとく、今年1年で見事なまでにゲスを極めてしまった川谷には、誠実さの極みが求められている。

(編集部)

【1】ゲス極の3rdアルバム『達磨林檎』
本来であれば、11月にデジタルで先行配信し、12月にCDで発売予定であった新作。オフィシャルサイトではリード曲である「シアワセ林檎」の無料ダウンロードを実施し、YouTubeで公開されたミュージックビデオは、公開から1カ月も満たぬうちに100万回再生を記録している。これだけ世間を騒がせておきながら、低評価より高評価の数のほうが多いのは、彼らの音楽性が支持されていることの証左であり、所属レーベルのワーナーも50万枚クラスのヒットを期待していたが、夢に散ってしまった。

【2】宝島社の企業広告「30段広告」
広告・出版業界では有名な全国紙の見開き広告で、話題作りには最適といわれている。宝島社は今年1月に発表した樹木希林起用の「死ぬときぐらい 好きにさせてよ」30段広告において、読売広告大賞グランプリ、朝日広告賞グランプリ、日本新聞協会新聞広告賞など多くの賞を獲得。ベッキーも後を追えるか。

稀代の女エロ芸人【大久保佳代子】、ロマンポルノで真のエロに開眼す!

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(写真/黒瀬康之)

日活ロマンポルノが誕生して満45周年となる今年は、禁断の封印作解禁、ブルーレイ解禁、そして劇場新作の公開など、アニバーサリー企画が盛りだくさん。1971年、『団地妻 昼下りの情事』と『色暦大奥秘話』が製作・公開されて以降、わずか17年の間に約1100本が公開されるなど、世の男性たちを熱狂させ続けてきた同シリーズ。と同時に、「エロさえあればあとはなんでもOK」という自由度の高さから芸術性の高い作品も生まれ、相米慎二、金子修介などの映画監督を輩出したこともよく知られた事実だ。

 そんな日活ロマンポルノを、歯に衣着せぬエロトークでお馴染みのオアシズ・大久保佳代子さんはどう見るのか? 直撃した。

「実は大学生のとき一度だけ観に行ったことがあって……確か大学で映画の授業を取っていたんですよね。それほど映画に興味があったわけじゃないんですけど、『そういうのカッコよさそう』とか思って。その授業で神代辰巳監督を取り上げた回があったんです。それで、浅草の劇場に3本立てのロマンポルノをひとりで観に行って。『これは授業の一環だから』って、自分に言い聞かせて(笑)。そしたら薄暗い中に、おじさんが点々と座っていて……休憩のときトイレに立ったら、おじさんが缶コーヒーをくれたことを覚えています」

 そんな場でまでおじさまと交流を図るとは、大久保さん、さすがです。しかし、残念ながらその詳しい内容はあまり覚えておらず、以降現在に至るまで、ロマンポルノとは縁遠い生活を送ってきたとか。そんな大久保さんに今回観ていただいたのは、『ザッツ・ロマンポルノ 女神たちの微笑み』『団鬼六・監修 SM大全集』の2本。で、どうでしたか?

「まあ日頃からエロサイトとかエロ動画を観るのは好きなので、『なるほど、昔のポルノ映画ね』ぐらいの軽い気持ちで観始めたんですけど、正直ちょっと驚きました。古いから薄暗くて湿気の多い感じだろうって勝手に思い込んでたら、意外にもバラエティに富んでいて、真面目な作品もあるけど、ちょっとコントっぽい作品もあったり。エロをポップな笑いにしているものもあって、こんなに振り幅のあるものなのか、と」

 団地妻シリーズや時代物など、いくつかのジャンルはあるものの、3本立て上映が基本であったことも関係して、当時の流行や風俗を取り入れたものなど、ロマンポルノには多種多様な作品が存在する。さらに大久保さんがもっとも驚いたのは、いずれの作品にも共通する、作り込みの細かさと出演者の芝居のうまさだったという。

「私が普段観ている女性向けのアダルトビデオとは、明らかにクオリティが違うんですよね。よくよく見るとストーリーにヒネリがあったり撮り方が凝っていたり……何よりも役者さんの芝居がちゃんとしているので、思わず見入ってしまうんです。アダルトビデオのストーリー部分は、結構飛ばしちゃうんですけど。あと、時代性もあるのかもしれないけど、登場人物に野性味あふれる男の人が多いような気がして。いわゆるハンサムではないけど、どこか目つきがヤバかったり、ちょっと気になる男性が多くて。どちらかというと私、汚い男の人にグチャグチャにされるとか、そういう願望がなきにしもあらずなので、そういう意味で、ちょっと発情するところがありましたね(笑)」

 では、ロマンポルノでも屈指の人気シリーズである、団鬼六・監修のSMものはいかがだったでしょうか?

「あれはもう、完全な非日常ですよね。さすがに自分であれをやりたいとは思わないというか、私がまったく知らない世界があるのかもって思わせる何かがあって……でもああいうものって、ファンタジーじゃないけど、それぐらいの距離感で観るものなのかもしれないですよね。自分の日常とは明らかに違うけど、もし自分がその世界に入ってしまったら、どうなってしまうんだろうってワクワクしながら楽しむものというか」

 想像力によって無限に広がるエロの世界。大久保さんは最後、内省モードでこんなことを語ってくれました。

「エロに対してこぢんまりとまとまってきてしまっている最近の自分を反省しましたね。いつの間にか、ちょっと諦めてしまっているというか、『まあ、この程度かな』みたいに思ってしまっているところがあったけど、AVではないこういう映画作品を観ると、私も昔はエロに対していろいろ冒険的だったというか、想像力を持ってもっといろいろなことに挑戦しなくちゃダメだなって思いました(笑)」

 エロトークで大活躍する当代随一の女芸人をしてここまで言わしめる、日活ロマンポルノ。まだ未経験の方は、45周年記念で発売される作品群などを一気に視聴してみるのもよいかも!?

(文/麦倉正樹)
(ヘア&メイク/春山輝江)
(スタイリスト/野田奈菜子・アップワード)

おおくぼ・かよこ
1971年5月12日、愛知県生まれ。千葉大学文学部文学科卒業。92年、小中高の同級生である光浦靖子とお笑いコンビ「オアシズ」を結成、同年デビュー。芸能活動の傍ら、長らくOLとして一般企業に勤務していた。近年はコンビでの活動のほか、バラエティー番組を中心にピンでの活躍も目覚ましい。

45周年で再評価の機運高まる「日活ロマンポルノ」

初公開から45周年、ロマンポルノがついに、Blu-ray & DVDで解禁される。新しくも懐かしい、あの名作ロマンポルノ全80作品が順次リリース!

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『ザッツ・ロマンポルノ 女神たちの微笑み』HDリマスター版ブルーレイ 
「ロマンポルノ」全作品から女優を中心に選別された「官能アンソロジー」!
出演:白川和子、小川節子、田中真理 構成・監督:児玉高志 


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『団鬼六・監修 SM大全集』HDリマスター版ブルーレイ 
団鬼六が「SM映画のマリリン・モンロー」と賞賛した「SMの女王」こと谷ナオミをはじめとして、東てる美、麻吹淳子、志麻いづみなどロマンポルノに咲いた妖花たちの名シーンが満載。
出演:谷ナオミ、東てる美、志麻いづみ 監修:団鬼六 構成:加藤文彦


■さらにオススメの2作品!

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『色情めす市場』HDリマスター版ブルーレイ
監督:田中登 出演:芹明香

『悶絶!!どんでん返し』DVD 
監督:神代辰巳 出演:谷ナオミ


上記作品はすべて、発売元:日活株式会社 販売元:株式会社ハピネット (c)日活株式会社 価格:ブルーレイ4200円、DVD2000円(共に税抜)で好評発売中。ブルーレイ版では、バリアフリー字幕や「EIGA NO TOMO」からの貴重な関連紙面も復刻収録。さらに主演女優によるコメンタリーを収録したものも。ほかにCSやネット配信等でも常時600作品以上が楽しめるので、詳細は以下まで。
日活DVDサポートセンター:03-5227-1755
公式HP:http://www.nikkatsu-romanporno.com/

宗教者の最大の特徴は衣服なのか? 袈裟は先鋭的な“衣装”だった――仏教の宗教ファッション考現学

――日本人であれば、一度は葬儀などで、豪華絢爛の袈裟を身に着けたお坊さんの姿を見たことがあるだろう。その立場を誇示するようなこれらの袈裟には、ファッション的な視点でひもとくと、どのような意味合いがあるのだろうか?

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『美坊主図鑑~お寺に行こう、お坊さんを愛でよう』(廣済堂出版)

 宗教者は、いかなる要素をもって宗教者であると他人から認識されるのだろうか? もちろん、宗教者とは、寺院や教会で宗教者となる修行をし、聖典を読み込み、自らの中に宗教者たるアイデンティティを形成させてゆく。だが、ほかの人々がその人を宗教者として認識するに至らしめる最初にして最大の要素として、その衣服を抜きにして考えることはできないだろう。

 仏教の僧侶やキリスト教の神父、神道の神主など、宗教者はそれぞれにその宗派が定める衣服を身にまとっている。そして、それらの衣服を身に着けているからこそ、我々は一目でその宗教者が所属する宗教を特定することができる。それが衣服が宗教者のアイデンティティに深く関わっているゆえんである。

 後述の袈裟の一種「糞掃衣」を研究する国際日本文化研究センタープロジェクト研究員の松村薫子氏は、その著書『糞掃衣の研究』(法蔵館、2006)の中でこのように述べている。

「宗教に携わる立場の者を宗教者として見る共通認識が存在する社会において、宗教服を着ると、その人は、一般の人と区別され、〈宗教者〉として認識されるようになる。(中略)宗教服は、他者に対して、その衣服を着ている人が宗教に携わる宗教者であるということを示し、何の宗教者なのか、宗派は何か、ということを示す。また、それぞれの宗教の理念によって衣服についての規定があることから、その宗教の特色を表すものでもある。宗教服を身に纏うと、纏ったその人は、宗教的世界とつながりを持つ人として一般の人と区別される。つまり宗教服を着ることにより、聖なる人あるいは聖性を帯びた人として他者に認識されるのである。このように一般の人と区別し、聖なる人に変身させる機能を持った服が、宗教服であるといえる」

 宗教における宗教服の役割は、極めて大きいものであることが理解できるだろう。本稿では、宗教服のなかでも特に仏教の袈裟に焦点を絞り、宗教における衣服の役割を考察する一助としたい。

 宗教服は服装史全体から見ても、もっとも古代の衣服が保存されている分野であり、それらが安置された神社や寺は、染織史のアーカイブともなっている。そう解説するのは、宗教染織史が専門の、京都国立博物館学芸部教育室長・山川曉氏だ。

「東大寺の正倉院や法隆寺に代表されるように、日本では社寺に、世界的に見ても珍しいほどに古い時代の衣服が多く保存されています。通常、衣服というのは汚れたら着用できなくなったり、使い古したら布を再利用したりしてなくなってしまうのですが、これらの社寺では誰が着用していたのかという目録とともに、当時のままの姿で保存されている。外国の研究者と話しても、これだけ古い時代の衣服が多く残っている国は日本以外にないようです」

 日本において社寺などの宗教的な場所は、最古のファッションが保存されているタイムカプセルでもあった。その中でも特に重要な位置を占めるのが仏教の袈裟だという。

「キリスト教では聖遺物といって聖人の遺体や身に着けていたものを信仰の対象とする伝統があったり、神道では古神宝といって神様のために奉納された装束が古い神社に保存されていたりもしますが、美術史を学ぶ人間にとって、一番研究の基準になるのは仏教の袈裟ですね。どのような社寺でも大抵ひとつか2つは保存されているし、誰が誰にあげたものなのかといったことが記録されているケースが多い。これ以上ない貴重な研究資料の宝庫となっています」

 仏教諸宗派の中でも、袈裟を尊び、大切に保存している傾向が強いのは、山川氏によると禅宗だという。そこには、禅宗に伝わってきたある教理的伝統が関係している。

「なぜかというと、禅宗ではほかの宗派と比べても特に師匠と弟子の人間的な出会いによる相伝を大事にしているからなんです。禅宗では不立文字と言うように、教えの真髄は文字では伝えられないという考えがあり、本当に大切なことは師匠が認めた弟子との関係によってのみ伝えられる。そして印可といって、師が弟子に教えを授けたことの証しとして、師が身に着けていた袈裟を弟子に譲り渡すのです。弟子にとってはこれが教えを受け継いだ証明になりますから、いつ誰から授かったかという記録とともに、お寺に大切に保存されているのです」

 かつて日本から中国に渡った僧が師から授かって日本に持ち帰った袈裟は各地の寺に存在していると、山川氏は説明する。そこでは、まさに袈裟が単なる衣装ではなく、法脈の基盤として機能し続けているのである。

『岩波仏教辞典』で袈裟の項を引いてみると、以下のような記述を目にすることができる。

「比丘(僧侶)の衣は塵埃の集積所または墓地などに捨てられていた布の断片を縫い合わせて作った糞掃衣が原則であったから、衣服についての欲望を制するために、一般の在家者がかえりみない布の小片を綴り合わせて染色したものが用いられたのである。

 仏教の伝播と共に、気候風土や衣服の慣習の相違から種々の変形を生じた。中国・日本では日常の衣服としての用法を離れ、僧侶の装束として法衣の上に着用し、特に儀式用の袈裟は金襴の紋様、縫い取りが施されて華美で装飾的なものとなった」

 現在僧侶の袈裟というと、葬式で目にする金襴で華麗な縫い取りの、高そうな服を思い浮かべるのが一般的だろう。ところが、もともとの仏教の教えによると、僧侶は一般の人が顧みない捨てられたボロ布を継ぎ合わせた袈裟を身に着けるのが正しい教えなのだという。その継ぎはぎの袈裟こそが「糞掃衣」である。そして、この糞掃衣にまつわる伝統は、今も一部の寺と、そこに集う人々によって受け継がれている。それを研究したのが、前出の松村薫子氏の著書『糞掃衣の研究』である。松村氏が言う。

「私は愛知県一宮市の曹洞宗常宿寺で行われている一宮福田会の糞掃衣作りを調査し、研究対象としました」

『糞掃衣の研究』によれば、一宮福田会では、曹洞宗の僧侶と尼僧、寺院の妻や活動に共鳴した一般の主婦ら15~20名が集まり、春秋それぞれ5日間の日程で袈裟を縫う。そのスケジュールは、泊まり込みで、朝4時45分に起床し21時に就寝。座禅や朝のお勤め、お寺の掃除なども行いながら、袈裟を縫う時間を持つという本格的なものだ。袈裟の中でも特別な袈裟とされる糞掃衣は、家庭で不要になった古い着物や帯などの裂を集め、はぎ合わせることによって、一枚の糞掃衣として縫い上げてゆく。松村氏が言う。

「現代の糞掃衣は、特定の僧侶に感謝の意を示すために、有志の人々が集まって縫われています。糞掃衣は集まって縫うだけではなく、裂を各家庭に持ち帰って家でも縫うのですが、一着縫うのにおよそ1年はかかります。その手間がわかるからこそ、糞掃衣を頂いた僧侶は、皆様の気持ちが込められた特別な袈裟であると考えるのです」

 松村氏が調査した福田会はそのようにして袈裟を作っている集まりだが、そこまでして作るのも、糞掃衣などの袈裟こそが仏典に書かれた正しい袈裟だという信念があるからだ。袈裟に関する仏教の教義での決まりについて、松村氏が解説する。

「袈裟は世間の執着を離れた衣を着けるのが基本だと仏典に書かれていて、壊色といわれるわざとくすんだ色を使ったり、点浄といって、袈裟の一部に汚れをつけたりします。裂自体も、もともと大きいほど価値が高いとされる染織品を、切って継ぎ合わせ、価値をなくして使います。世俗的な執着心を起こさない衣を身に着けなさいということなのです」

 そのような決めごとがある袈裟だが、実際の現在の仏教儀礼を見ると、僧侶は法衣店で50~100万円といった値段をつけられている、金襴きらびやかな袈裟を檀家から布施されて、身に着けていることが多い。葬儀などでも、そうした袈裟を身に着けている僧侶のほうが一般的だろう。だが、そうした金襴の袈裟は、本来の仏教の教えでは、欲心を起こす、着けるべきではない衣服とされているという。

「僧侶の方々は、金襴の袈裟が仏教の教えから外れていることはわかっています。しかし、檀家の方から金襴の袈裟を布施して頂いたら、その気持ちを大事に考えるので、着ないというわけにはいきませんし、葬儀でも『なぜうちには豪華な衣を着てくれないのか』と言われる場合もあります。仏教の教えと異なっていることは理解しているが、致し方ないという実情があるようです」(松村氏)

 結果、実態としては仏典に説かれる通りの袈裟よりも、本来は禁じられている金襴豪華な袈裟のほうが一般的になっている。さらには、仏典に説かれる通りの色・形・衣材・製法でつくられた如法衣といわれる袈裟(一般に如法衣といわれる袈裟とは異なる)が質素でありながら、むしろ希少価値を生み、ある逆転現象が起こっているという。

「仏典通りの染め方・縫い方の如法衣を法衣店に特別注文した場合、50~60万円はかかるそうです。そのような如法衣は老師が着ける格式のものなので、若い僧侶は身に着けにくいといいます。金襴のほうが華やかですが、正式な如法衣のほうが格が上というような感覚があるようです」

 まことに摩訶不思議な袈裟の世界だが、そのような奇妙な現象が起こるのも、袈裟に単なる衣服を超えた深い意味が託されているからだろう。松村氏が言う。

「古くから袈裟には功徳という不思議な力があると考えられてきました。袈裟を身に着けるだけで解脱が得られるとか、袈裟をまとうことで仏身と仏心が得られるなどといわれてきたのです。もともと衣服というものにはさまざまな象徴的な意味が込められていて、色で心理状態を表したり、社会的な意味づけがなされたりしているものですが、宗教服、なかでも袈裟は思想が衣服に込められているもっとも顕著な例と言えるでしょう。僧侶にとっての袈裟には、単なる衣服を超えた仏教の思想が織り込まれているのです」

 ファッションとは、本来的にその人がこうありたいと願うイメージや特性を顕現させる機能を持っている。そのことを考えれば、宗教者を宗教者たらしめている宗教服と、その典型的な例である袈裟こそは、ある意味で、もっとも先鋭的なファッションであり続けていると言えるだろう。

(取材・文/里中高志)

MUTEKIデビューの坂口杏里とバイきんぐ小峠の「復縁」をあの男が猛プッシュしていた!?

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ANRI公式Twitterより

 お笑いコンビ「バイきんぐ」の小峠英二が10月5日に放送された「リンカーン芸人大運動会2016」(TBS系)に出演。昨年6月まで交際していたタレントの坂口杏里が1日にAVデビューしたことを受け、「デビューしたからにはトップを取っていただきたい!」「一度愛した女として全力で応援しますよ。頑張ってください」とエールを送った。

「これには視聴者からも『男気がある』『一度愛した女と言い切ったところが好感が持てる』『顔はともかく心はカッコいい』と賞賛の声が飛び交いました。小峠はデビューDVDの中身もしっかり確認。元カノが自分以外の男と絡んでいる姿など普通は見たくないものですが、彼女の全てを受け止めようという強い意志を感じます」(週刊誌記者)

 坂口は新たな芸名「ANRI」名義でツイッターを開設。6日には、小峠のコメントを受け、「ビジネス交際とかマスコミ関係が騒いでたけどANRIちゃんとことぅーげさんの関係はビジネスじゃなくて真実の愛だったんだよ!って超大声で言いたい!!」と投稿。「大好きだったょ ビジネスじゃない」と、小峠とは真剣交際であったと語った。

 そんな2人の復縁を猛プッシュしている人物がいるという。テレビ関係者が明かす。

「坂上忍ですよ。彼は杏里の母で13年に亡くなった女優の坂口良子さんと生前にドラマなどで多数共演。杏里がデビューするときには良子さんから『共演したらよろしくね。ご飯とか連れて行ってダメなところがあったら言ってほしい』と後見人を頼まれていました。それもあって、杏里のAV転身についても『なんでそっちのほうに行くのかな』と複雑な思いでいた。坂上はかなり責任を感じていて、小峠に『お前がちゃんと支えてなかったからいけないんだ』と当たり、『もう1回復縁することができないのか』と説得を試みていたといいます。小峠はイエスともノーとも言わずに固まったままだったとか」

 坂口はAVへ転身するにあたって「親友、幼馴染以外全員切りました」と、過去を清算して臨んだことを明かしているが、内心は不安でいっぱいのはず。今こそ小峠の支えが必要だと思うが・・・・。

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