ありふれた離婚…ブログから読み解くおちまさと&越智千恵子の破局がリアルすぎる
テレビ番組の制作を手がけるプロデューサーのおちまさと(49)と、タレントの越智千恵子(28)日が11月21日、それぞれのブログで離婚を発表した。
「私、おちまさとは越智千恵子さんと先日二人で話し合いの結果 すべて円満に合意し離婚致しました。娘は私の強い希望により 自分が育てる事となりました」(おちブログ)
「私、越智千恵子はおちまさとさんと先日二人で話し合いの結果 すべて円満に合意し、離婚致しました。娘は父親の強い希望により 父おちまさとさんが育てる事となりました」(越智ブログ)
双方の名前を入れ替えたのみの同じ文面であり「一つだった直線が いつしか僅かではありますが 角度がついた二つの直線となり 時間が経つ程に直線の先の幅が 大きくなって行くのであればと 早い決断をした次第です」とも書かれている。すれ違いがこれ以上大きくなる前に、と早い段階で決めたわけだが、「すれ違いがこれ以上大きくなる前に修復しよう」となる夫婦もいるわけで、なんとでも言える離婚理由である。報告文にあるように、5歳になるひとり娘の親権はおちが得た。
2008年8月8日、末広がりの縁起のよい日に入籍してから7年、特に不和が伝えられることもなく、芸能人夫婦としては地味なポジションだった彼らの突然の離婚発表。22歳離れた歳の差夫婦で、おちの前妻から越智が略奪婚を果たしたものだとも言われたが、当時のコメントで越智は「年齢差を感じたことがない、双子みたい」とのろけている。09年4月に挙げられたふたりの式は、FENDI表参道店をその時間だけ全フロア貸切にするというセレブ感満載なもので「FENDI婚」などと報じられた。越智のドレスはFENDIとCHANELのデザイナーを務める、あのカール・ラガーフェルドがデザインしたという、これまた豪華なものだった。結婚後は芸能活動を控えるようになった越智だが、10年5月に長女を出産後、『旦那さん弁当』『旦那さん定食』『離乳食レストラン』など料理本を6冊も出している。
さて、芸能人夫婦が離婚となると、スポーツ紙が週刊誌などが事前に「離婚寸前」の情報を流し、離婚理由なども書かれることが多いが、この夫婦の場合は唐突であったうえ、一般的に母親が子の親権を得ることが多いなか、父親が親権を得ているため「どういう事情があったのか?」とネット民の関心を集めている。特に、「いくら父親の強い希望があっても、母側が子供を手放すケースは珍しい」「ネグレクト母だったとか?」「新しく男でもできたか」と、妻側が有責の離婚だったのではないか、という憶測コメントが多い。こうした邪推をできる限り避けるための予防線として、「父親の強い希望により」と双方ブログで記載したのかもしれない。
ふたりはそれぞれにブログで娘との仲睦まじい生活を綴っており、どちらも育児関心は高かった様子が伺える。少なくとも両親のどちらかが娘と折り合いが悪い様子は見受けられない。現実的に考えて、まだ20代と若い越智は、もう50代になろうとするおちよりも、今後ふたたび子供を産み育てる可能性がより残されているから……ということも考慮されたのだろうか。
◎「家族」だけど「愛ある夫婦」ではない関係になったら
さて、「すれ違いがこれ以上大きくなる前に」別れた2人だが、肝心の「すれ違い」はいつ頃生じたのだろうか。8月8日の結婚記念日についてのブログ記事を遡って行くと、変化が訪れた時期がうっすら見えてくる。
元妻・越智のブログでは2013年の結婚5周年記念日記事で、こう綴られている。「5年前の今日ブログに書いた主人への『尊敬』の気持ちが 娘が生まれた事で、育児をする中で、また更に大きく深いものへと変わってきているのを日々実感しています。ママのパパが、パパで良かった(*^^*)これからも妻として母として 人生のパートナーとして 少しでもプラスの力になれるよう 精進したいと思います(*^^*)」。が、翌2014年には一転、結婚記念日の記事はない。3日後の8月11日にアップされた記事では、越智と娘でママ友&子供たちと下田旅行を楽しんできた様子が綴られていた。そして今年も結婚記念日の記事はなかった。
一方、元夫・おちは、越智がママ友親子との下田の旅行の記事をアップしていた2014年にも、結婚記念日の記事をアップしている。同日は3本の記事があり「僕と娘と先生(チワワ)という手の掛かる子供三人を いつもありがとう!妻は我が家の太陽なのでいつまでも輝いていてね!今年もよろしく!」と感謝を綴り、別記事では「結婚記念日ディナーは海岸でサンセットBBQ」と家族3人でのBBQを写真たっぷり載せで綴っている。「考えれば 結婚記念日一周年の時以外は娘がいるんだなぁ」と、娘とのにぎやかな記念日になったようだ。とはいえ前年の2013年、おちは「娘をシッターさんにあずけて 結婚記念日デート」とハワイで夫婦2人だけのディナーを楽しんだことを明かしている。「今日まで 数え切れないデートを重ねているが妻の美しさも増すばかり」など、この年は恋人として妻を愛する気持ちが文面からも伝わるが、2014年のBBQはファミリー感が強くそこは伝わりづらい。越智がこの年は記念日の記事をアップしていないこともあわせると、2013年~2014年の間に関係に変化が生まれたのではないかと推測できる。
おちは過去に何度かブログで「別に打ち合わせした訳ではないのに内容が被る」と書いており、それが真実かは分からないのだが、確かに2013年の結婚記念日までの2人の記事はとても似ている。写真も文面もである。まさにふたりが一つの直線だったことを物語っている。
2013年後半から2014年上半期までに『角度がついた二つの直線』となってしまったのか? さらにブログを見ると越智は2013年の末に夫婦だけでディナーしたことを記事にしているが、おちは夫婦ディナーについて特筆せず、「娘と2人で香港旅行」したことを7つもの壮大なシリーズ記事にしていた。越智のブログでは2014年に夫婦にまつわる記載がほぼ皆無となり、娘のお弁当について、自身のパンケーキ屋「88 huit huit」(結婚記念日にかけたネーミングが今となっては悲しい)について、ママ友親子と一緒にお出かけした事について……とシングルマザーのブログのようになっていく。おちも娘のことを多く書くようになり、完全に夫婦が娘という“かすがい”ありきで成り立っている雰囲気を感じさせる。越智の2013年末の夫婦ディナー記事の締めには「子育てを共感し合える人が身近に居る事、今日また改めて心強く感じました。」とあり、それまでような夫を恋人として尊重するような記述が見当たらないことも気になった。
恋愛結婚だったとはいえ、子供が生まれて親として生活していく中で、男女の情愛が薄れて家族愛に変化するとよく言う。彼らのパターンもまさにそれだったのだろうか。おそらく、このままでも夫婦は、娘を加えたひとつのチームとして継続させることができただろう。しかし、そうすることをやめたのは、もうお互いが恋人から“娘を育てる仲間”に変貌していったことから、夫婦として一緒にいる意味を見出せなくなったのかもしれない。「それでも娘のためを思えば、共に暮らす家族でい続けるべきだ」という意見はあるだろうが……貴方はこうした離婚をどう考えるだろうか。
(ブログウォッチャー京子)