ストリートチルドレンから銀座のホステスになった女性が告白する壮絶人生! 清原和博やワコール社長のことも…
生島マリカ『不死身の花』(新潮社)
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
中学生で親に捨てられ13歳でストリート・チルドレンになり、14歳で北新地、そして16歳で銀座のホステスに。超大物財界人を贔屓に持ち、さらに当時、人気実力とも絶頂期にあったプロ野球選手・清原和博と恋人関係になった過去――。年の離れた男性と愛人関係となる。結婚、離婚を繰り返し一人息子をもうけるも、2度の癌に侵されてしまう。友人からの裏切りにレイプ、親友の自殺。
そんなとてつもなく壮絶な人生を歩んできた女性の自叙伝が話題を呼んでいる。生島マリカの『不死身の花』(新潮社)がそれだ。
そもそも、彼女はなぜ13歳でストリートチルドレンとなってしまったのか。
1971年、在日韓国人の両親の元に大阪で生まれたマリカだが、母親は幼いマリカを顧みることはなく暴力を振るうこともあった。一方の父親も事業で成功していたものの不在がちでマリカは両親の愛を知らずお手伝いさんに育てられていく。だが、実の両親が顕在だった頃はまだましだった。
マリカが13歳の時、実母が若くして病死すると、その3カ月後に父親が再婚。マリカの人生の歯車は大きく狂っていく。義母は再婚するなりマリカを疎みこう言い放ったという。
「もうこれからお父さんとわたしが起きている間は三階に上がってこないでね」
地下1階の3階建てに住んでいたマリカだが、キッチンとリビングはその3階にあった。父と義母がいる間は食事はするなということだった。朝は2人の食事が済んでから、夜は2人が寝入ってから食事をしろと義母は言った。お風呂にはいることさえままならなかった幼いマリカだが、それに従うしかない。
〈水も飲めない状況だったが、とにかく耐えた。パパとお義母さんが寝室へ移動するまでの我慢や! 何度も廊下へでて、三階の電灯を確認する。あかん。まだ電気が点いているわ。テレビ視てるやん。早く寝て!
家に居る頃は毎晩お腹が空いて死ぬかと思った。〉
そんな家庭環境だからマリカは夜の外出が増え、朝帰りもするようになる。すると義母は今度はマリカが遊び歩くのは私のせいだと近所が冷たい目で見ると泣いて父親に訴え、そのため父親はマリカに家を出るよう命じたのだ。
「あのね、あんたも、もうこの家にいるよりは外に居て、友達といるほうが楽しいんじゃないの? 実は、ミッチ(義母)は妊娠しているんだ。おまえがいると腹の子が心配だ。どこか、友達の所でも行ったらどうだ。もう、この家から出て行ってくれ」
若い再婚相手に泣きつかれた父親は、何のあてもない13歳のわが子を無一文で放り出した。しかも娘が勝手に家出したと世間体を繕うためにアパートを借りてくれることもなかったという。
友達のあてなどもちろんない。こうして行き場を失ったマリカは13歳で"浮浪児"となり街を彷徨うことになる。
その間、路上で焼肉を食べないかと誘ってきた男の車に乗りどこかに連れ去られそうになったり、工事中のビルを探して中で眠ったり。あまりの空腹にパンを万引きし、残飯をあさることもあった。
「本当にお腹が空き過ぎて、生命の危機を感じた時にひらめいたのが、オートロックのないハイツやアパートや団地に忍びこむことだった。(略)日本人のマナー意識や衛生概念も今ほどではなくて、出前の食べ残しをそのままの状態で玄関先に放置している部屋が多数あったのだ。その、誰のものとも知らない残飯を食べて生き延びた」
現在の子供の貧困、社会問題化するネグレクトの原点を見るようだが、しかしマリカの特筆すべき点は、その後、様々な人々との出会いを糧に、その運命を自力で切り開いていったことだろう。
浮浪児となった13歳のマリカは、街を彷徨った後、知り合いのつてもあり年齢をごまかしてミナミのホステスとなり、200万円ものバンス(前借り)と家を確保することに成功する。だがほどなく仕事をさぼるようになったマリカは追い込みをかけられるが、「黒服の帝王」と言われる人物やクラブを任されていた潤子ママ、そして後に脱税で逮捕されることになる年上の"愛人"などと出会い、どうにか生き延びていくのだ。もちろんそれは様々な大人の欲望に巻き込まれながらだったが。
「当時はまったく気が付かなかったが、きっとあたしは、自分の知らないうちに、借金を自分の身体で返済していたのだろう」
その後も鑑別所送りになったり、46歳くらいの年上男との性愛に溺れるなどの10代とは思えない波瀾万丈の生活を送るマリカだが、そんな生活から抜け出すため、16歳の時、東京に出ることを決意する。そこではさらなる衝撃的出会いがあった。
上京のため新幹線に乗ったマリカは偶然隣の席に座った男性から声をかけられ、ブラジャーのメーカーを聞かれた。
〈「ええと、今日はワコール」
「ええー、ほんまかいな」
「......ほんまですよ。それが何ですか」
「いやあ、ほならちょっと背中触らせてくれる? ホックのとこ」〉
変態オヤジが隣り合わせた16歳の少女に下心を抱いてのわいせつに近い行為。誰しもそう思うはずだが、しかしこの男性から手渡された名刺には「日本商工会議所副会長 塚本幸一」の名が記されていた。そう、実際にこの男性は本物の「ワコール」創業者塚本幸一氏(当時68歳)だったのだ。その後、マリカが銀座のクラブで働き始めると、初日から通うなどマリカの庇護者となり、食事をしたり、一緒にマッサージをするという関係になんていく。そして2人の関係について意味深なエピソードも描かれる。
〈一度だけ、塚本さんの定宿であった東京プリンスの部屋にルームサービスを呼ばれに行った時のこと。(略)
「今夜は泊まっていくか」
吃驚して、しどろもどろに「ううん、帰る」と答えたら、今度は大声で笑われたな。多分、赤面したあたしをからかって、面白がってたのだと思う。〉
本書を読むかぎり、塚本氏とは男女の関係にならなかったというマリカだが、しかし21歳の時、ある大物スポーツ選手と恋愛関係になった。それが元プロ野球選手の清原和博だ。本書には清原との関係を"恋人"と断定し、しかも実名で描かれるのだが、クラブホステス好きとして知られる清原の口説きの様子が描かれ興味深い。
東京から一度大阪に戻り、北新地のクラブ「アナベラ」につめていたマリカの店にある時清原が来店した。1991年当時、24歳だった清原は西武の花形選手であり、90年には自己最多の37本塁打を記録、1億円プレイヤーをとなるなど絶頂期だった。しかも独身。そんな清原に対しホステス全員が聞かれもしないのに、競うように名刺に電話番号を書き渡したという。そんな中マリカは清原争奪戦に巻き込まれることを避けて、場の雰囲気作りに徹した。
〈翌日、出勤するとすぐに電話がかかって来た。ボーイがにやついて、
「マリカちゃんに電話。清原やで」
えーなんやろ。照れ隠しに戯けてみせた。
「はい。マリカですが」
「もしもし、清原です」
「ああ、はい。昨日はどうも」
「明日は店に居てる? そっちに行こうかと思うねんけど」〉
こうしてマリカと清原の遠距離恋愛が始まったがその間、清原は「毎晩十一時には、どこで何をしていようと必ずお店に居るあたしに電話をしてくるというルールを一度たりとも破らなかった」ほど律儀で優しかったらしい。
マリカにとって清原は繊細で傷つきやすく、正直で、弱いものを庇い、正義感溢れた思いやりの塊みたいな人物だったという。そしてたまに深いことを言う。
〈土、日と彼の自宅で過ごし、月曜日のお昼。いつものように、お店にでるため大阪に帰る支度をしていたら、
「おまえ、お金持ってんのか。大丈夫か」
と彼。ひと月に何度も大阪〜東京間を往復するあたしを気遣った言葉だったのだろうが、私も若かったから素直になれなくて、つい意地悪を言った。
「いつも女の子にそんなこと訊いてるん」
彼は球場に行く準備をしながらあたしを睨んだ。
「おまえはアホか。何で俺が体を張って稼いだ金、そこらの女にやらなアカンねん」
「へえ〜そうなん」
あたしは嬉しさに、自分の顔が綻んでいたが隠した。
「当たり前やんけ。俺らは身一つで勝負してるねんで。打ち所が悪かったら怪我もするし、障害が残った先輩もおるんじゃ。なんでそんな金をしょうもない女にやるって言わなアカンねん」〉
そんな関係は1年足らずで解消されたというが、このエピソードは清原のその後を思うと興味深い。
他、モデルとして荒木経惟の写真集に出たり、三和銀行の頭取、全国の暴走族をまとめた日本狂走連盟初代総長、暴力団幹部など、多くの大物と出会うが、マリカはある男性と事実婚状態に。一人息子をもうけている。
しかしその後も、マリカは離婚と結婚を繰り返し、恋人や夫に裏切られ子供を連れて放浪生活を余儀なくされたり、2度も癌に侵されたりと波瀾万丈な生活は続き、そのためか2012年には真言宗で得度もしたという。
にわかには信じがたいような壮絶人生の記録だが、そのセンセーセショナルな内容の一方で、同書には、現代社会が抱えているさまざまな問題が顔をのぞかせている。貧困、国籍、ネグレクト、虐待、病魔、シングルマザー、被差別部落......。
同書がきっかけになって、普段、目をそらされているこうした問題に光があたることになればいいのだが......。
(林グンマ)