名ライブハウス『屋根裏』が閉店 数多くのアーティストから愛された理由とは?
【リアルサウンドより】
東京・下北沢にあるライブハウス・下北沢屋根裏が3月31日をもって閉店することが決まった。
同ライブハウスは、1975年に渋谷で創業し、1986年8月には下北沢へ移転。1997年9月には再度渋谷にも店舗をオープンし、2店舗での営業を開始するものの、渋谷店は2013年6月に営業を休止、下北沢屋根裏は今回の閉店で29年の歴史に幕を閉じることになる。創業以来の40年に及ぶ営業で、浜田省吾やTHE BLUE HEARTS、KENZI&THE TRIPS、BARBEE BOYS、レピッシュなど、多くの有名アーティストを輩出した。
同ライブハウスの閉店について、過去にステージに立ったこともあるというライターの冬将軍氏は当時の思い出をこう語る。
「初期の渋谷屋根裏時代は、昼は原宿ホコ天(歩行者天国)、夜は屋根裏、というバンドブームに繋がっていくシーンが出来つつありました。有頂天やばちかぶりなど、ナゴムレコードの印象も強く、原宿で購入したフリフリの洋服を着る屋根裏のナゴムギャル、黒服で身を固める目黒の鹿鳴館のトランスギャルという対象的な関係もありました。今のヴィジュアル系ファン“バンギャル”のはしりですね。下北沢に移転後は、Queや251にブリットポップの影響を受けたようなギターロックバンドのシーンが出来はじめる中、THE BLUE HEARTSのイメージが強い屋根裏にはパンキッシュなバンドが多く出演し、『下屋根系』という独自のムーブメントを作っていました。代表的なバンドとしては、ザ・マスミサイルやHIGHWAY61、STANCE PUNKS、アカツキに藍坊主ですね。アカツキは150人くらいしか入らない屋根裏に300人ほどの観客を入れたという伝説も持っています(笑)。同シーンは同じ系列でもあるライブハウス、東高円寺二万電圧辺りに派生していきました」
続けて、同氏が印象に残ったライブについては、ベテランバンドの凱旋ライブや熱狂的すぎるがゆえのトラブルを挙げた。
「屋根裏を根城にして、巣立っていったあともライブを行うバンドが多かったですね。スキップカウズが25周年イベントを行ったり、The ピーズも20周年ライブの場所に選んでいました。また、先に挙げたHIGHWAY61のライブに、JUN SKY WALKER(S)の宮田和弥さんが乱入したり、会場も狭く、空調も換気も良いとは言えないので、藍坊主のライブで酸欠になった人を何人も見た覚えがあります」
また、屋根裏のステージに立ったことのある同氏は、舞台や楽屋の様子についてこう語る。
「あの時代に作られたライブハウスは、今と比べれば良い音響設備があるわけではないんですけれど、なぜかハコとしての音の鳴りが良かったんです。特に屋根裏はお世辞にもきれいとは言えないのに、一層良く感じましたね。あと、楽屋がステージの横ではなく、階段を上がった先にあるんですけど、靴を脱いで上がる畳部屋で、ぐちゃぐちゃになった古い畳にゴザを敷いて座ってました。あと、キックボクシングジムが下にあって、夏になると下から汗の臭いが上がってきたので、夏はすごく臭かった。あれはお客さんも結構辛かったと思います」
最後に、同ライブハウスがミュージシャンやファンから愛され続ける理由をこう代弁した。
「屋根裏は、下北がバンドマンの町と言われる前からずっとあり続けたこともあり、ベテランバンドにとっては安息の地として、若手バンドにとってはまず目指すべき憧れの場所として機能していました。また、昔は夜のライブに出るために、テープ審査や昼間のオーディションなどもあったため、出られることに喜びを感じるバンドマンも多かった。現在のノルマさえ払えば出演できるようなライブハウスとは違う、登竜門的存在がなくなるのは非常に惜しいですね」
時代の移り変わりと共に町も変化していくなか、長年バンドマンに愛されたライブハウスとして29年の歴史を終える下北沢屋根裏。今後の下北沢はどのライブハウスと共にシーンを作っていくのだろうか。
(文=編集部)