母親に趣味を禁じられたOLが戦う、「女の子らしさ」という呪縛 丹波庭『トクサツガガガ』
こんにちは、さにはにです。今月も漫画を通じて女性の生き方について考えるヒントを探したいと思います。よろしくお願いします。
今回ご紹介するのは、丹波庭先生の『トクサツガガ』(小学館)です。2014年より『ビックコミックスピリッツ』にて連載中で、2016年3月30日に第6巻が発売されます。「このマンガがすごい!2016」のオトコ編17位、「全国書店員が選んだおすすめコミック2016」15位にランクインするなど、現在注目を集めつつある作品です。
『トクサツガガガ』は、商社に勤める26歳のOL・仲村叶が周りにバレないようにこっそり「オタク」な生活を楽しむ日常を描くコメディです。この設定だけでもいくつかの文脈と魅力を読み込むことができますが、まず挙げておくべきは、叶がアニメやゲームではなく特撮ヒーロー(作中の説明を借りれば「ヒーロー、怪人、怪獣、ロボットなどが活躍するアレ」)のオタクであるという点でしょう。特撮にもいろいろありますが、ゴジラやモスラ、ウルトラマンなどの「往年の名作」ではなく、子どもを対象にした現在放送中の作品を愛好しているという点は大きな特徴です。それゆえ、駄菓子やファストフードのおまけ、ヒーローショー、カプセルトイといった消費の現場に子どもに混じって参加するという「特オタ」の特殊事情を盛り込むことに本作は成功しており、大人や子ども、男性女性を交えた生き生きとした人間関係をさまざまな形で描写することを可能にしています。
また、本来「子ども向け」とされる特撮ヒーロー作品を大人が愛好する理由が作中で説得的に表現されている点も、本作の読み応えのひとつです。「子どもに向けられた物語だからこそ、優しい大人になりなさいという思いがたくさん込められている」「ずるい大人になってしまいそうなとき、自分のあり方にハッとさせられる」と叶は語ります。特撮に学ぶ人生を実践する彼女は、ヒーローさながらの熱いハートと行動力を発揮して、熱意を持って子どもにおもちゃを譲ったり、新たな友人を作ったり、職場の同僚・後輩を手助けするなど、活躍の幅を広げていきます。このような主人公の真っ正直なキャラクターが特撮というジャンルそのもののあり方と重なっている点が本作の魅力であり、読み物としての説得力を増しているように感じられます。
◎オープンオタクで多様な友人作り
2005年に講談社漫画賞や文化庁メディア芸術祭にノミネートされた木尾士目先生の名作『げんしけん』(講談社)や累計発行部数850万部を突破して現在大人気の渡辺航先生による『弱虫ペダル』(秋田書店)など、オタクを主人公にした作品は今日それほど珍しくはありません。かつてアニメやゲームが好きなだけで変わり者扱いされて排除されるような時代はあったのかもしれませんが、特定のコンテンツを愛好するという意味での「オタク」という生き方は、それだけで好奇の目にさらされるという根拠にはもはやなりにくくなっているようにも感じます。
しかし叶は自身がオタクであることがバレるのを極端に恐れており、本作でも、オタクを隠すためのノウハウやオタクのつらさ「あるある」の紹介に本作序盤の紙幅が多く割かれています。女性で「特オタ」という特殊状況を踏まえたとしても、気にしすぎなようにも思えてきます。
現代社会において女性かつオタクであることはどのような位置付けを持つのでしょうか。「特オタ」にピンポイントで迫ることは難しいのですが、アニメや漫画、ゲームなどを中心に社会状況の変化を把握することは作品の理解につながるようにも思います。さっそくデータを参照してみましょう。
【画像はmessyで!】
図1は2002年と2012年の調査においてあげた文化的トピック10個のうち、「最も関心がある文化ジャンル」として支持された割合を男女別に示したものです。2002年においてもっとも関心を集めていたのは男女ともに音楽で、テレビゲーム、漫画、アニメという「オタク」的なコンテンツはぐっと低くなっています。男性に比べて女性はさらに低い数字となっていて、ゲームやアニメは1%程度の人しか挙げていませんでした。
2012年になると、ゲーム、漫画、アニメが数字を伸ばすようになります。しかし男性に比べれば女性の数字は半分程度で、漫画はもちろん、アニメやゲームを「最も関心がある」とする女性は相対的に見ていまだ少数派のままといえるでしょう。経験的にも「そりゃそうだ」という気もしますし、現在26歳の叶が「自分は少数派だから隠れていなくてはならない」と考えるのも、数字的に考えれば無理もないのかもしれません(それにしては気にしすぎのようにも思いますが)。
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アニメ、漫画、ゲームを愛好する女性が相対的に少数派であることは、実は友達作りにおいてポジティブな効果を発揮しています。図2にみられるように、漫画やインターネットの動画の話題が「友達作りの役に立った」とする女性の割合は他に比べて高いという傾向がみられます。これは友達の作りやすさにつながるでしょう。アニメ、漫画、ゲームに「関心がある」としている女性だと7割を超える人が「漫画が役にたった」と回答していて、他に比べて20ポイントも多い結果になっています。つまり少数派であればあるほど、同じ趣味を持つ人と友達になる際にその趣味が役に立つと言えるわけです。
こうした趣味に基づいたネットワークは、同級生や同僚といった人間関係とは異なり、多様性があるといわれています。偏差値などであらかじめ選別された人の集まりである学校や職場の人間関係とは異なり、個人的な趣味でつながるネットワークはより広い範囲に開かれているからです。本作に登場する仲村叶の友人も、年上の女性「吉田さん」や塾通いの少年「ダミアン」、強面の男性「任侠さん」など、みな「オタク」であることは共通していますが、性別や年齢が異なる多様な人物が登場しています。こうした人々との交流を通じて、仲村叶が特撮という自分の趣味に対してだんだんオープンになっていくのが本作の読みどころのひとつにみえます。なぜなら、それは母親の呪縛からの解放につながるからです。
◎なぜ母親は子供に「ピンク」を押し付けるのか
実は叶が「隠れオタク」である理由に、「小さい頃から好きだった特撮を、母親から厳しく禁じられていた」という過去があります。自分の好きな道を選びたいと願う娘に対し、「もっと女の子らしくしてほしい」という固定的なジェンダー像を持って立ちはだかる母親は数多くの作品で扱われているテーマですが、この作品では特撮という題材を通じてその構図がうまく取り入れられています。
本作ではピンクやひらひらしたいわゆる「女の子らしい」服装を好む母親となんとかそれを拒否しようとする叶の攻防が描かれています。その中で叶が指摘するのは「押し付け」の問題点です。とある少女とのやりとりを経て「(これまで避けてきた)ピンクそのものが悪いのではない」ことに叶は気づきます。そして「ピンクがかわいいことと私がピンクを着たいかどうかは一切関係ない」と断じ、「特撮ではなくもっとかわいらしいものを好むべきだ」と母親からピンクを押し付けられたことで「ピンクに敵意を持ってしまった」のだと語ります。
ここでおさえておきたいのは、叶だけでなく、ピンクを押し付ける母親もまた性別役割分業の犠牲者であるという点です。「夫は外で働き妻は家庭を守るべきである」とする性別役割分業は社会が近代化する過程で成立してきたものに過ぎないとう事実は、広く知られている通りです。女性に与えられている「優しい」「暖かい」「子どもが好き」といったイメージはこの性別役割分業を起点としており、普遍的な女性の「本質」とは切り離して考えるべきものです。それにもかかわらず、私たちの社会で維持されている「女性たるもの<女性らしく>しなくてはならない」という前提が女性の生きづらさにつながっているのもまた、広く知られているところだと思います(もちろん男性も同様です)。
こうした前提の中で、叶は「女の子らしさ」を母親から押し付けられました。しかし子どもをコントロールしようとする叶の母親の姿も、「子どもの養育に責任を持つべし」という社会から押し付けられた「女性らしさ」に起因しているのです。その人が何を「好む」かは、最終的には本人の主体的選択によって決定されるべきことがらですが、そこに「子どもの教育・養育に責任を持つ」という母親としての役割が介在してくると話がややこしくなります。自分の子が親として納得できる趣味嗜好を持たなかった場合、その責任は管理者である自分にかかってくると信じてしまうからです。
家族社会学の知見によれば、「子どものありようの責任を母親が引き受けてしまう」という構図は、実際の原因の所在とは無関係に発生してしまう側面があるようです。家族社会学者である土屋葉は『障害者家族を生きる』(勁草書房)において、「障がい」を持った子を産んだ母親はその原因とは無関係に自分を責める傾向にあり、それゆえに介護や教育に没入してしまうメカニズムを紹介しています。そこにあるのは、科学的・客観的理由のいかんにかかわらず、子どもに関する事柄の責任の所在は自分にあると信じさせる性別役割分業であると、土屋は論じています。
叶が特撮にハマればはまるほど、母親もそれを否定するようになります。これは単なる「趣味をめぐる攻防」や「お母さんが固い」ということだけではなく、我が子が「人並み」ではないという認識は母親という役割を通じて自分自身が「人並み」ではないという攻撃されているような印象を母親自身にもたらすからです。まさにこうしたメカニズムのもとで、母親は「女の子らしさ」を叶に求めているのでしょう。
◎母親との最終決戦はどうなるか
「弱いものを助ける」、「友人を裏切らない」といった特撮ヒーローの教えは、男の子を対象とした文化の中で育成されたものかもしれません。しかし、その教えを実践する叶が持つ優しさにあふれた魅力は、むしろ人間らしい素直さがあるようにみえます。
男の子向けのおもちゃを欲しがって母親から叱られた少女に、叶は「変じゃない」「好きなものを好きだと言っていい」と語ります。彼女がこうした行動をする動機は「子どもの味方をするのがヒーローだから」というヒーローの教えです。特撮ヒーローという作品を通じてつくられる人間関係には「自分の好きなものに正直である」という共通点があり、それぞれの「好み」を通じて提示される人間性やその背景が、叶だけではなく登場人物全体の魅力につながっています。
人々との出会いを通じて自分の世界を確固たるものにしはじめた叶ですが、やはり最終的には母親と対峙し、自分の歴史に決着をつける必要があるように思えます。その先にあるのは、叶自身はもちろん、しがないバンドマンである兄と母親の救済でもあるはずだからです。作中で多くの人物を救っている特撮ヒーローの教えは、最大の敵である母親にどのように響くのでしょうか。これからの展開を楽しみに待ちたいと思います。