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「日本女子、惨敗」とか、笑わせないで! 浅田真央、宮原知子、本郷理華の輝きと、私が「アイドル」を信じる理由

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、本サイトで絶賛連載中の「オトコとオンナの裏の裏」。いつもは芸能報道に斬り込んだ内容をお届けしていますが、今回は番外編。フィギュアスケートに造詣が深い筆者が、熱戦を繰り広げた「世界フィギュアスケート選手権2016」を【男子編】【女子編】2回にわたり振り返ります。

前半の【男子編】はコチラ

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『浅田真央公式写真集 MAO』(徳間書店)

 閉幕してほぼ1週間が経つのに、私ったらいまでもフィギュアスケートの世界選手権の映像を流しっぱなしです。特に、女子シングルはショートプログラムもフリープログラムも、過去に例のないほどの激戦で、何度見ても興奮を抑えきれません。
 そうは言っても、試合からすでに5日も6日も経って、それぞれの演技を詳しく解説するだけではさすがに「遅すぎ」ですから、今回はもう少し広い視点から「私がどうしてフィギュアスケート選手をアイドルにしているのか」ということも含めて書きたいと思います。
 まずは試合全体の印象、そして3人の日本人選手について…。

◆ロシア対アメリカ
 今大会、ロシアとアメリカが、それぞれ、何をもって『いいスケート』と考えているか。それがより明確になったような気がします。
 ジャンプの前後の凝ったエッジワークや、エッジワークと連動する、指先までも含めた体の動きに主眼を置いたロシアの若き大器、エフゲニア・メドベデワ。16歳で、「力」ではなく「ひざと足首の柔らかさをいかした体重移動」で、あれだけエッジを使えるのは驚くばかりです。この1~2年で、スケーティングがあれだけ急成長を遂げたのもすさまじい。回転不足をとりようのないジャンプと、着氷後に流れがやや悪くてもエッジワークを入れられる強さも特筆ものです。まあ、「タノジャンプ(片手を上げて跳ぶジャンプ。アメリカの男子シングル選手、ブライアン・ボイタノのトリプルルッツが有名、というか名前の元)の回数制限の議論は起こりそうだわ」という思いもありますが…。

 対して、アメリカのアシュリー・ワグナーとグレイシー・ゴールドは、「スピードと流れ、エフォートレス(まったく力が入っているように見えないこと)で明確なエッジワークこそがフィギュアスケート」という「答え」が、演技全体からほとばしっていました。特にグレイシー・ゴールドのショートプログラムの、「フォア・バック」「イン・アウト」計4つのエッジの滑らかな移行っぷりには目を見張る思いでした。
 やはりアメリカの「理想のスケート」はミシェル・クワン、それも1996年後半から1998年あたりのクワンなんだなあ、としみじみ。ゴールドのコーチはミシェル・クワンを世界チャンピオンにした人でもありますが、その影響もあるのでしょうか。シャーロット・スパイラルもクワンの影響バリバリに受けている感じでしたし(シャーロット・スパイラルはワグナーも使っていましたね)。

 ロシアとアメリカ、どちらが正解か。どちらも正解です。それに順位をつけなくてはいけない審判たちは、本当に大変だったろうと思います。

◆日本勢について
 どこかのメディアが「惨敗」と評したようですが、とんでもない話です。日本勢に限らず、本当に多くの選手が素晴らしい演技をし、スコアの差は本当に小さいものでした。来年の世界選手権はどうなるか、まったくわからないほどの大激戦。これを「惨敗」と評すことは、スポーツそのものをバカにすることと同義だと思います。

●宮原知子
 1シーズンごとに着実に成長している選手です。そして今回、「どの場面を切り取っても、美しい」というスケーターになったと思います。「ピクチャー・パーフェクト」という言葉が英語にありますが、ほんと、「すべてがシャッターチャンス」というスケーターになったなあ、と。特に、ジャンプ着氷時の上体の使い方、フリーレッグのさばき方、しなやかなアームなどは全選手中のトップに挙げたい。体線の美しさ、ポジションにめちゃくちゃ厳しい海外の解説者、ディック・バトン(オリンピック男子シングル2連覇を果たした80代の方)ですら手放しで絶賛するのでは、と思ったほどです。左右どちらでも自然に回れるスピンやツイズルなどの技術もますます上達しているのが素晴らしい!

●本郷理華
 この連載の2つ前の回で「スポーツを観戦するというワクワク感をいっぱいに味わわせてくれる、躍動感あふれる本郷の演技も楽しみ」といった感じのことを書きましたが、期待をはるかに超える素晴らしさでした。個人的には、中国杯で演技が終わった瞬間にテレビの前で拍手をしてしまったフリープログラム『リバーダンス』が、今回はもう! なんと言いますか、「血が騒ぐ度」があのときよりもさらに上がったような。
 たとえば10年後に本郷のことを思い出したとして、私は間違いなく「あの『リバーダンス』は本郷理華のベストプログラムのひとつだった」と回想するでしょう。そして今後、その「ベストプログラム」がますます増えていくことを期待するばかりです。

●浅田真央
 ファンなので、冷静には語れません。以前にも書きましたが、私にとっては「第一線で競技を続けていること自体がありがたい」選手なのです。ただただ、「競技を続けてくれてありがとう。決断は容易なことではなかったはずですが、だからこそ、あの『蝶々夫人』を見ることができました」という気持ちです。

***

 私が、夏のオリンピック種目では体操競技、冬のオリンピック種目ならフィギュアスケートが好きな理由は…。そりゃ、美しいものは好きですが、それ以上の理由はたぶん「採点競技だから」なのかもしれません。タイムや距離といった「絶対値」を競うのではなく、「得点」を競うのではなく、ジャッジたちがつけた「評価点」によって、順位が決まるもの。好きな選手のスコアが伸びないことにやきもきしたり釈然としない気持ちを抱くファンがいるのも自然なことだと思います。というか、私自身、伊藤みどりの時代(特に87年のNHK杯まで)に、自分でも「なんでここまでの気持ちになるんだろう」と思うほどに、釈然としない気持ちばかりを味わってきました。その気持ちは、カルガリーオリンピックの会場の屋根が抜けるほどの大歓声で、美しく成仏したのですが。

 ただ、「フィギュアスケート選手全般をリスペクトする」応援スタイルになってから、また、自分が学生から仕事をするようになってから、変わったことがひとつあります。それは、「スケーターが信じている世界、スケーターが打ち込んでいる世界を、部外者である私も好きだけど、その世界の壁を打ち破ろうとする権利も、打ち破ったときに与えられる栄光も、すべてはスケーターだけに与えられればいい」という考えになったことです。

 比べるのもおこがましいですが、私の仕事も、他者からの「評価」のみで成り立っているようなものです。「何文字書いたか」という「絶対量」は、なんの判断基準にもなりません。私の書くものを「面白い」「つまらない」と評価するのも、私自身ではなく、編集者だったり読者の方々だったり。それが、私の選んだ仕事です。

 というか、世の中の仕事はだいたいそんな感じです。「絶対値」のみで仕事を成り立たせている人は、ごくごく少数のはず。営業成績のようなものも、「他者からの評価が数字になったもの」なわけですから。

 もう一度言います。「比べるのはおこがましい」ということは知っています。しかし、私にとっては伊藤みどりの時代から、スケーターは「他者からの評価の壁を、自分自身の努力やここ一番の集中力で破り、一段二段と高いところへ行く人たち」でした。その姿に、私は「自分ももうちょっとやんなきゃ。周りがどれだけなぐさめてくれたとしても、やるのは自分」という力をもらってきたわけです。そういう「気づき」とか「エネルギー」を与えてくれる存在が、私にとっての「アイドル」であり、今回の世界選手権でも、「気づき」も「エネルギー」もたっぷり受け取ったと断言できるのです。

 2016-17年のシーズンは、10月のスケートアメリカから本格的に開幕します。選手たちが、今度はどこまでの壁を破ろうとしているか、見えてくるのは約半年後です。そのときが今から楽しみでなりません。

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高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。

羽生結弦、宇野昌磨の「追い詰め方」が胸に痛い…「スケオタ」が見た世界フィギュアスケート選手権【男子編】

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、本サイトで絶賛連載中の「オトコとオンナの裏の裏」。いつもは芸能報道に斬り込んだ内容をお届けしていますが、今回は番外編。フィギュアスケートに造詣が深い筆者が、熱戦を繰り広げた「世界フィギュアスケート選手権2016」を【男子編】【女子編】2回にわたり振り返ります。

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フジテレビ「世界フィギュアスケート選手権2016」公式HPより

 フィギュアスケートの世界選手権の開催中、案の定、私はテレビの前に座り込む勢いで試合を見ておりまして、原稿がたまりにたまってしまいました。サイゾー以外の会社で新しく連載も始まるというのに、この体たらく。自分の仕事をなんだと思っているのでしょうか…。

 ただ、捨てる神あれば拾う神ありと言いますか、サイゾーの担当編集者に「世界選手権のこと、好きに書いてください」と言ってもらえたので、今回は「オタの独り言」という体裁であれこれ書かせていただこうと思います。ちなみに私、「スケオタ」という単語を使用するのは初めて。周りに語れる人がそうそういなかったもので、そういう単語を使う機会もなかったわけです。

 ただ、スケオタとして心に浮かんだすべてを書いてしまうと膨大な量になってしまうので、男子と女子のシングルだけ、それも日本選手と海外の有力選手中心でいきたいと思います。まあ、書く前から分かっていますが、それでも大変な分量になるでしょう…。

◆男子・ショートプログラム
「氷のコンディションが悪いのかも」と思ったのは、ハン・ヤンの演技の時。解説の本田武史も指摘していましたが、ジャンプの着氷の瞬間、「このままエッジに乗ってこらえられるはず」というところで、氷のほうからエッジを弾いてしまい、転倒へとつながる傾向が、ほかの選手にも見られました。デニス・テンなんてダブルトゥで転んでいたし。そんな状態でも「いい演技」のために全力を尽くさなくてはいけない。大変よね…。

●ミーシャ・ジー
 ウズベキスタンの選手というカテゴリーでは、私にとっては歴史に残したい名ルッツジャンパー、女子シングルのタチアナ・マリニナ(1999年の世界選手権のフリーは特に素晴らしかった)以来のお気に入りです。

 すべての要素を美しくまとめたプログラム。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、多くのスケーターが使っていますが、盛り上がりのある第1楽章か第3楽章を入れる選手がほとんどです。静かな第2楽章のみで構成したもので印象的なのは、中国・陳露の1996年世界選手権のフリープログラム。久しぶりに思い出しましが、あれも本当に素晴らしいプログラムでした。

●ボーヤン・ジン
 NHK杯や四大陸選手権での「素晴らしい」というより「すさまじい」と呼びたい演技があったので、「氷の状態を考えたら、よくここまでまとめたな」という印象。4回転ルッツ(!)でオーバーターンがあったにもかかわらず、トリプルトゥをつけられるのは驚異的です。

 ただ、今回気づいたのは、「ジャンプの出来が、ほかの要素にもダイレクトに影響を及ぼすタイプなのかも」ということ。今シーズンだけでもメキメキと上達したはずの、はつらつ・キビキビした動きが明らかに精彩を欠いていたような。コーチ陣もたぶん今後の大きな課題にすることでしょう。

●パトリック・チャン
 スケーティングの「1歩」の伸び、スピード、そして極めて複雑なエッジワークなのに「観客席のいちばん後ろからでも、また、360度どこからチェックしても、『いま、どのエッジをどれくらいの深さで使っているか』ということが明確に見えるはず」という技術、どれをとっても史上最強だと思います。私にとって「スケーティングの神」といえば、女子は佐藤有香、男子はパトリック・チャンです。

 チャンがほかの選手にくらべてトリプルアクセルが特に苦手であることは、スケートファンなら誰もが知っていることですが、今回も…。ただ、繰り返すようですが、プログラム全体にわたって、「この人しかできない」スケーティングを堪能しました。

●ハビエル・フェルナンデス
 サルコーとトゥループ、4回転でも得意なはずのサルコーで転倒。さすがにビックリしました。ただ、ここ数シーズンのスケーティングの上達ぶり、そのスケーティングと振付の見事な融合ぶりがくっきりとアピールされた、密度の高いプログラム。ブライアン・オーサーとコレオグラファーを含めたチームの手腕には驚かされるばかりです。

 スペインをモチーフにした曲は「パッション」のアピールには最適なのか、フィギュアスケートの使用曲としては突出した頻度を誇ると思います。ラ・マラゲーニャ、エスパーニャ・カーニ、スペイン狂詩曲、カルメン…。なのに、スペインにはいままで有力選手がいなかった。「スペイン史上初めて」と言ってもいい実力派・ハビエルによる、スペインの曲でのパッションの表現。そりゃ似合うはずですわね…。

●宇野昌磨
 あらためて感じ入ったのは、宇野昌磨のミュージカリティの高さです。

 ほとんどの選手およびそのコーチは、印象的な「メロディー」が演技を助けてくれる、と考えているはずです。有名なクラシック曲、バレエやミュージカルの曲、映画音楽、ジャズのスタンダードナンバーなどがよく使用されるのは偶然ではないと思います。

 よく知られている旋律だからこそ、多くの観客がさまざまな感情移入ができ、結果、「いい演技」により多くの熱狂が生まれる…という化学反応を期待する部分もあるはずです。

 宇野昌磨のショートの曲は、「メロディー」ではなく「リズム」メインというか、「ビート」が主役ともいえるもの。お酒を飲むほうではなく踊るほうの「クラブ」になじみのある人でないと、盛り上がりどころをつかみにくい曲です。偏見を承知で言うなら、「フィギュアファン」と「クラブ好き」を兼ね備える人はごく少数のはず。そんな曲で、ここまで観客を引き込む18歳。まったくもって、ただものではありません

 トリプルアクセルの着氷後のエッジワークと振付! 着氷時はバックアウト~バックイン~バックアウトに乗せたところでフリーレッグを高くキック…の流れに思わずテレビの前で拍手。氷の状態(断定)にもかかわらず、コンビネーションの着氷の乱れを最小限に抑えたのも素晴らしい。

●羽生結弦
 この原稿をアップするのはフリーが終わった後ですから、ショートの演技終了後の「雄叫び」をどのように解釈したかを書くのは、後出しにもほどがあると思うので控えます。ただただ、素晴らしかったと言いたいと思います。

 羽生結弦のプログラムの何がどのように素晴らしいかは、この連載の前回分でも書いていますが、そこに追加すると…。

■4回転サルコーからのイーグルのあと、音楽が一瞬止むと同時に動きがストップ。そこから、「左足を軸に、反時計回りのターン」「右足を軸に、時計回りのターン」をするのですが、「どちらが自然な軸足か、どちらが自然な回転方向なのか」が一見わからないくらいに、どちらも精度が高い。

■4回転トゥで着氷姿勢がやや腰が沈んだにもかかわらず、コンビネーションのトリプルトゥにはその影響がまったくなく、「エアリー」と呼びたいほど軽やかで完璧だった。

■トリプルアクセル前のイナバウアーが、羽生の正面からのカメラアングルでしっかりとらえられていて、かなり嬉しかった。バレエの4番ポジションのような、非常にハードな態勢なのがわかって、あらためて羽生結弦の柔軟性にビックリ。

 という感じでしょうか。

◆男子・フリープログラム
「なんかショートプログラムのとき以上に氷が悪いかも…」と思いながら見ていたフリー。衛星中継の画質が上がると、こういうところにまで目が行ってしまうようになりますね。アメリカは言わずと知れた、ロシアと並ぶフィギュアスケート大国。その国で行われる大イベントにしては、やはりちょっと残念な気持ちが残ります…。もちろん、氷の状態を言い訳にしない選手たちへのリスペクトは大いにあるのですが。

●ミハイル・コリヤダ
 彼にとっては一世一代の演技と言っても過言ではないはず。個性的な振付で楽しかった!

 ただ、欲を言うなら、個性的な振付が「エッジと連動していない」というか、「あくまでも腰から上の振付であって、その振付をしているときのエッジワーク自体はわりと単調」なのが、今後さらに上を目指すうえでの課題になるはずです。

●ボーヤン・ジン
 4回転ルッツの大きさはやはり異常。ちょっと軸が曲がったり回転があやしいジャンプであっても、今回はとにかく「転ばない」という粘り強さがありました。

 ただ、フィギュアスケートで大事なのは「エッジの流れ」、海外の解説者が言うところの「フロー」であり、コリヤダの演技の感想と重複しますが「エッジワークと連動するような振付」であると私は思っています。旧採点方式だと芸術点にあたる「プログラムコンポーネンツ」に直結する要因。それをいかに磨けるか…というのは、フィギュアスケートファンの総意でしょう。

 エッジワークを磨いて、4分半を魅せきるプログラムを作れたら、4分半を魅せきる能力ができたら、ボーヤン・ジンは2019年以降の超有力なチャンピオン候補の一人になります。

●パトリック・チャン
 直前の四大陸選手権のフリーがあまりにも素晴らしかったので、どうしても「夢よもう一度」を期待してしまった自分がいました。しかし、結果は5位。

 2011年から2013年で世界選手権を三連覇したころのパトリック・チャンは、「圧倒的なスケーティングスキルを評価されて、ジャンプに多少のミスがあっても勝てる」という状況になっていました。しかし、2012年の世界選手権のフリーで高橋大輔が、個人的には「歴史に残したい」というほどの名演技をしたにもかかわらず2位、2013年はデニス・テンの出来栄えが非常によかったにもかかわらず2位。あくまで「テレビを通じて」ですが、会場にも明らかにチャンの優勝に納得していない雰囲気が充満していたように思います。

 個人的な推測にすぎませんが、あの2年を境に、「チャンとほかの選手のスケーティングスキルの差は、もう少し狭い幅で点数化してもよくね?」という暗黙の了解ができあがったのでは、と。距離やタイムという「絶対値」ではなく、点数という「相対値」による競技の難しさを、ここ数年でいちばんに感じたのは、私にとってはあの2年でした。

 できればチャンには続けてほしいのですが、どうでしょう。今回の「5位」という成績は、平昌オリンピックまで続けるためのモチベーションを、刺激したのか萎えさせたのか…。

●宇野昌磨
 正直、まったく悪くない、というか、胸を張っていい出来です。後半の4回転トゥの激しい転倒後にトリプルアクセルを2本成功させたことも含め、力の入ったいい演技でした。が、誰よりも本人が納得してない表情。私は何より、その「意気」こそが素晴らしいと思いました。

 宇野昌磨は、昨シーズン、4回転トゥループを取得し、トリプルアクセルの精度を飛躍的に高め、ルッツの踏切のエッジまで修正しました。そして今シーズンは、ジャンプの着氷の際に右腕をクルンと回す癖を修正してきています。「右腕クルン」は、「見る人によっては『着氷の態勢が充分ではなかったために、腕でバランスをとっている』ととらえる人もいるのかな」という程度の癖。しかし、ジャンプのような高難度の技を行う際の体の動きそのものを変えるというのは、大変な鍛錬が必要だったはずです。

 宇野昌磨は、それだけのことを成し遂げたあとでも、納得しない。つまりこの選手は、本人が思っているよりも何倍、何十倍も努力家なのだと確信しています。

 宇野昌磨が自分で満足できるレベルにまで自分を磨いたら、ちょっと空恐ろしくなるほどの選手になると私は思います。同時に、「そうは言っても、自分を追い詰めすぎないでほしい」とも思っているのですが。

●羽生結弦
 異常なまでに難易度の高いプログラムでありながら、NHK杯とグランプリファイナル、2試合続けての「驚異的」と呼びたい出来栄えを見てしまったがゆえに、私は勝手に「羽生結弦はこのレベルがいつでもできる選手である」と思っていたところがありました。それは、あれだけの難しいことに挑戦し続けるアスリートに対する、失礼な見方でもあったなあ、と反省もしてしまったり。

 ピーキングの難しさとか、メンタルコントロールとかに関しては、素人である私がうんぬんするまでもなく、本人とコーチ陣がすでに「次」を見据えて取り組んでいることでしょう。スケートファンとしては、ただただ、その「次」を楽しみに待ちたいと思います。

 あえて言うなら、宇野昌磨のときにも感じたのですが、「自分を追い詰めすぎないでほしいな」と。宇野にせよ羽生にせよ、その傾向が非常に強いタイプのような気がするので…(もちろん、その性格こそが彼らをトップに押し上げた要因でもあることは承知していますが。難しいところですね…)。

●ハビエル・フェルナンデス
 見事!

 ジャンプに関してはもともと超一流だった選手が、小気味いい、歯切れのいいスケーティングを身につけて、振付に成熟した味も加え、ああいった曲をバックに再び頂点に立つ…。

 私は、1993年の世界選手権でカート・ブラウニングが、『カサブランカ』と高橋大輔もバンクーバーシーズンにチョイスした『道』、2つの名画の音楽を使用した、素晴らしいフリープログラムで頂点に立った試合を思い出しました。ポケットに手を入れる仕草も、カートを思わせる小粋さでした。

***

 …自戒を込めて言いますが、「オタク」というのは、本当に場所も空気も読まないものですね。原稿の分量、多すぎです…。女子についての感想は、回を改めて…。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。

【磯部涼/川崎】“流れ者”の街で交差する絶望と希望

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

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16年2月、約1年前に川崎区の多摩川河川敷で中学1年生の上村遼太くんが殺害された事件で、殺人と傷害の罪に問われた少年の裁判員裁判が開かれた。

「ダメだ、外れた……」「おお、当たってる!」。2016年2月2日、午前9時15分。寒空の下に熱を帯びた声が響く。800人以上が凝視するのは、当選番号の書かれた看板。そして、その周りを無数のカメラが取り囲む。「ウチは全滅かぁ」「○○君が当たったって!」「さすが、持ってる男は違うねぇ」。談笑する報道関係者の横で、老人が茫然と看板を見つめる。手にした額縁の中では、可愛い顔をした少年が微笑んでいる。山下公園や横浜スタジアムに程近い、横浜地方裁判所前。この日、行われるのは、当然、愉快なイベントなどではない。約1年前に起こった、近年まれにみる凶悪な少年事件――いわゆる川崎中一殺人事件の初公判だ。

 やがて、横浜地裁前の下世話な興奮は朝のワイドショーを通して全国に伝わり、以降、判決が下されるまでの1週間、すでに風化しつつあった事件は、テレビやネットで再び盛んに取り上げられることとなった。それだけではない。初公判の同日には、昨年5月に川崎区・日進町の簡易宿泊所で起こった火災事件が放火であることが判明。現代日本が抱える問題を凝縮したような、ディストピアとしての川崎区が再び注目されたわけだが、約1カ月後の現在、人々は他のゴシップに夢中だ。

 しかし、それは地元も同様である。川崎駅前の仲見世通りのバーで会った不良青年に、くだんの殺人事件のことを訊くと、彼は「まだ、あれを追ってるんですか?」と一笑に付した。「犯人グループの内のひとりは、パシリに使ってたことありましたけどね。それより、この前、もっとヤバいことがあって――」。あるいは、日進町で話しかけた、生活保護を受けながら簡易宿泊所で暮らしているという老人は、近所で起こった大火災を平然と振り返る。 「このへんは、毎晩のようにサイレンが鳴るからね。ただ、あの日はいつもより長いんで様子を観に行ってみたら、あららって」。

 老人は全国の飯場を転々とし、5年ほど前に川崎区にやってきたのだという。また、くだんの殺人事件の被害者も同地へと流れ着いた者のひとりである。そして、慣れない土地で彼を受け入れてくれたのが、後に加害者となる不良グループだったのだ。しかし、前述の青年をはじめ、川崎区の不良たちが口を揃えて言うのは、フィリピン系ハーフの少年をリーダーとするグループは地元で浮いていたということだ。やがて、不良ヒエラルキーの下位にいた彼らは、さらに下位である被害者を取り込もうとしたものの、思う通りにいかなかったため、殺人に至ってしまう。彼らはみな“川崎”というコミュニティにおけるはみ出し者だった。

ディストピア・川崎のパンクスvsレイシスト

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左上:C.R.A.C.川崎のメンバー・N。
右上:川崎区の多文化都市・桜本で行われた「日本のまつり」の参加者たち。
左下:桜本の市立小学校で催された音楽イベント「桜本フェス」に出演したフィリピン系の少女・アリサとナタリー。
右下:川崎区日進町の簡易宿泊所に住んでいる老人。

「川崎は流れ者の街でもあるんですよ」。パンク・ファッションのAは、ビールのグラスをあおりながら言う。耳たぶに空いた大きな穴から夜の川崎が見える。「こいつは地元が静岡で、オレは愛知で、どっちも田舎の閉塞感が嫌で高円寺のライヴハウスで遊んだりしてたんですけど、結局、生きるためにまた川崎っていう“ムラ”に来ざるを得なくなって」。そう話すのは、川崎区・堀之内のスケート・ショップ〈ゴールドフィッシュ〉のコーチ・ジャケットを着込んだPだ。仕事終わりに駅近くの中華料理屋に集まってもらった彼らは、この街で繰り返される、いわゆるヘイト・デモに対抗する組織〈C.R.A.C. 川崎〉周辺のアクティヴィストである。

 そして、AとPが現場仕事と安い家賃を求めて川崎区にたどり着いた際、転がり込んだのが、川崎南部で生まれ育ったNの家だ。ただし、髪をピンクに染めた彼もまた、長年、東京で暮らしていた。「川崎のヤツらって地元から出ないんですけど、オレは狭い世界にとどまっているのが嫌で」。Nは都内を転々としながら、パンク・シーンという非地域的なコミュニティの中で生きてきた。しかし、私的な事情から川崎区に帰ることになる。「最初は『またすぐ東京に戻るよ』って言ってたものの……」。次第に彼らはこの地に深くかかわっていくのだった。

「流れ着いた頃は『川崎なんてぶっ潰してやる!』みたいなことばかり言ってました」とP。「仕事を通して、この街の汚いところをいっぱい見たんで。でも、居酒屋で働いてるときに、客で来てたフィリピンの女の子たちと仲良くなったんですよ。最初はうるさいし、『また来たよ……』みたいな感じで。ただ、そのうち話すようになり、働いてるパブに遊びに行ったとき、何気なく『日本に来てどう?』って訊いたんです。そうしたら、その子が急に真面目な顔になって『夢を持って定住しようとする子もいるけど、みんな地獄を見てるよ』って。で、職場に行くと相変わらず同僚が『またフィリピン人かよ』とか言ってるわけです。そのとき、『これが差別か』とハッとして」。彼は街のダークサイドに堕ちそうになっていた自分に気づき、むしろ、その状況を変えようと考えたのだ。

 一方、川崎でも始まったヘイト・デモを気にしていたNは、Pをカウンターに誘う。「パンクには“個であれ”みたいなところがある。だから、地元にコミットする気はなかったんですけど、同時にアンチ・レイシズムはパンクの教養なんで」。やがて、彼らはカウンターを行う中で、ある場所を“発見”した。Pは言う。「レイシストに抗うのは当然として、このディストピアに希望をつくらなきゃいけないと思っていたとき、〈ふれあい館〉を知って驚いたんです。『すでにあるじゃないか!』と」。

“じゃぱゆきさん”の子どもたちが川崎の子どもたちになるまで

「桜本は私の地元。みんな友達だし、すごくいい街だよ」。そう言って、ナタリーは笑った。つい先ほど、ステージで友人のアリサと一緒に、アリアナ・グランデと絢香のヒット曲を歌っていた、フィリピン人の両親を持つ16歳の彼女は、数年前、川崎区・桜本に越してきたという。「将来? 歌手になりたいな」。後ろの壁には、1月31日の、桜本を狙ったヘイト・デモに抗するカウンターの人々の写真が飾られている。ドアの向こうの音楽ホールでは、フィリピン系のハーフと、日本人の若者たちのバンド・TINKSが演奏するモンゴル800「小さな恋のうた」に合わせて、小学生がモッシュをしている。川崎市立さくら小学校で行われていた音楽イベント「桜本フェス」は、クライマックスを迎えつつあった。

 桜本フェスの主催は、さまざまなルーツを持つ人々が暮らしている桜本の、コミュニティ・センター〈ふれあい館〉だ。職員である鈴木健は、今回で2回目となる同イベントが始まった背景に関して、以下のように語る。「00年から05年くらいにかけて、桜本でフィリピンの子どもたちが目につくようになって。何が起きたのかというと、90年頃にエンターテイナー(興行ビザ)でやってきた女性たちが、本国の両親や親戚に預けていた子どもを、もう10代になったからということで日本に呼び寄せたんです」。在留フィリピン人は90年を境に急増している。00年頃、桜本にやってきたのは、いわゆる“じゃぱゆきさん”の子どもたちだ。女性たちの中には貧困のシングルマザーも多く、少年少女が置かれた環境は決して良いとは言えなかった。「ましてや、子どもたちはいきなりフィリピンでの生活を断ち切られて、言葉もわからないところに放り込まれたわけですからね。そういった中で、荒れていく子も多かった。そして、彼ら彼女らに居場所をつくったのが、川崎ではヤクザだったんです」。当時、川崎では、不況によってシノギが減り、さらに、規制強化によって動きづらくなっていた暴力団が、新たな手口として、外国をルーツに持つ少年少女を取り込むケースがまま見られたという。「もちろん、ヒドいことなんですが、彼ら彼女らを受け入れる土壌が社会にはなく、その代わりをヤクザが担ったというのも事実です。また、交渉しに行ってなんとか解放してもらえた子どもたちも、数年たつと、結局は性風俗店で働き始めたり、あの苦労はなんだったんだとがっくりしたこともありました。しかし、あきらめてはいけないと、若者たちとガチで向き合うプロジェクトを立ち上げて。そして、昨年から始めたのが桜本フェスなんですね」。

 イベントを観ていて、アウトローだったBAD HOPがラップを通じ、社会とかかわり始めたように、流れ者だった子どもたちを音楽がすくい上げてくれるのではないかと感じた。しかし、鈴木は「現実はそんなに甘くない」とため息をつく。「この1年で彼ら彼女らを取り巻く環境が変わったかっていうと、はっきり言って変わってませんよ。ただ、生活が苦しいと、『オレはこれだからダメなんだ』と不幸な記憶が積み重なって、身動きが取れなくなっちゃうんですね。それに対して、『でも、あの日は愉しかったよな』ってフェスのことを思い出し、『また良いことがあるかもしれない。もう少し頑張ろう』と考え直してくれたら。そういう、小さくてもいいから、拠り所となる幸せな記憶をつくっていくこと。それって、『勝てないかもしれないけれど、負けないための生き方』なんじゃないか。これは、僕の一方的な、祈りに近いような想いですけど」。

 ただ、着実に変わった点もある。それは、皮肉なことだが、ヘイト・デモが起こったことによって、子どもたちに、地元に対する愛着が芽生え始めているのだという。「今の桜本の子どもたちは、親の世代がいろいろあって流れてきたケースが多いんですが、街の危機だからこそ、自分たちが住んでいるところがどういう場所なのか意識するようになっている。『オレたちの街っていろんなヤツがいるけど、それを当たり前のこととして、一緒に生きているんだ』って。桜本フェスが終わったあとも、事情があってこの街に住めなくなってしまった子が、『それでも、ここがオレの地元だ』って泣いていました」。

 前述のPも、今や川崎を“地元”だと思っていると語る。「そもそも、“地元”みたいなものが嫌で田舎から出てきたわけですけど、オレたちが今やっているのって、結局、新しい故郷を自分たちの手でつくる作業なのかなって。流れ者として街に来て、洪水で溺れてる人がいたから助けて、そのまま去ってもよかったんだけど、街の人たちと一緒に『じゃあ防波堤をつくろうか』という話になって。計算したら15年はかかるぞと」。果たして、流れ者たちはどんな街をつくりあげていくのだろうか。(つづく)

(写真/細倉真弓)

【第一回】
【第二回】
【第三回】

磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

翻訳モノの売り上げも落ち込む一方――これだけじゃ、食ってけない!! 年収252万円・翻訳者の仕事事情

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『翻訳家になろう!』(青弓社)

――版権エージェントの仕事内容については本文の通りだが、実際に外国語の文章を日本語に翻訳するのは翻訳者の仕事である。最近の翻訳者事情について、翻訳者でもあり翻訳会社アイディの代表も務めた柴田耕太郎氏に聞いた。

「翻訳ものが売れなくなってきている中、翻訳者の懐事情はますます苦しくなってきています。今は翻訳者の印税は6%~8%が中心。初版部数はせいぜい5000~6000部ですから、印税7%とすると1冊定価2000円として、6000部では84万円にしかなりません。

 1冊翻訳するのに少なくとも3カ月はかかりますから、計算上は年間4冊。しかしこれでは疲弊するし、常に仕事がくるとは限らないから、せいぜい年間3冊でしょう。84万円×3冊で年収252万円。これでは翻訳者が食えない仕事と言われるのも仕方がありません。大ベストセラーになれば話は別ですが……」

 しかも3カ月で1冊というのは、並の分量の小説の話。専門的な内容や分厚い上下巻の大著だと、1年がかりになることも珍しくない。

「私の知り合いは、長期間の仕事をする際、技術的な英文を扱う産業翻訳など、ほかの仕事と併行する人が多いですね。金銭面でもそのほうが都合がいいし、気晴らしにもなりますから」

 柴田氏いわく、翻訳者はもともと作家になりたかった人が多く、翻訳とは原著という枠組みがありながらも、ある程度翻訳者が自由に解釈できる、半創作のような世界だという。我々が目にしている翻訳小説の文章も、翻訳者の個性の賜物かもしれない。

中高年男性のなかで萌え広がる【高嶋ちさ子】への気持ち……燃えろ高嶋 萌えろちさ子

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 何を隠そう、私は以前より、高嶋ちさ子には“ツンデレ”要素があるのではないか? と睨んでいた者である。

 いや、正確には「ツンデレであってほしい」といったところか。

「さっきの『G線上のアリア』、スゲーよかったぜ」

「別に……アンタのために弾いたんじゃ……ないんだからね」

 高嶋ちさ子のツンデレ妄想だけで、同人誌を1冊書きあげるぐらいの勢いだ。

 そんなツンデレ願望が、現実となる事件が起きた。“ゲーム機バキバキ事件”である。

『東京新聞』に掲載された「躾の一環として、子供のニンテンドー3DSを真っ二つにした」という自身が書いた子育てコラムが大炎上。ネット上では、「虐待だ!」「任天堂に謝れ!」「これはクリリンの分!」などと非難の声があがり、ワイドショーなどでも連日とりあげられた。

 この間、本人からの弁明は一切なく、まあ彼女のキャラクターからいって「うるせー!」と逆ギレするか、「バカは放っておこう」とスルーするのではないかと思っていた矢先、事態は急変。「直撃LIVE グッディ!」(フジテレビ系)で行った彼女への電話取材では、「本人はとても反省していて、ツイッターが炎上しているのを見ては、毎日ため息をついている」とのこと……。

 何それ~何そのギャップ~。チョー萌えるんですけど~!

 さらに、さらにである。「週刊文春」3月3日号に掲載されたインタビューでは「任天堂に持っていけば、修理してもらえるような壊し方をしたうえで、2カ月後のクリスマスに“サンタさんから”と言って息子にのところに戻した」というではないか。

 何その不器用な優しさ~。もうね、そのニンテンドー3DSの半分は、優しさでできているよね。

 まあ正確にいえば、“ツンデレ”というか“ギャップ萌え”なのだが、元祖男前キャラである和田アキ子も、テレビ番組でドッキリなどを仕掛けられた際「ウチ、こんなんアカンね~ん」と弱気なところを見せることがある。だが、カメラが回っている以上、見ているこちらとしては多少なりとも「演じているのでは?」と邪推してしまうのは否めない。

 翻って今回の高嶋ちさ子の一件は、本人が予期せぬ批判に思わず「だけど、涙が出ちゃう。女の子だもん」というリアクションをしてしまったところに、リアルさが感じられるのだ。この“漏れ出た感”がたまらない。

 今回のこの一連の流れを知って、久しぶりに心の奥に火が灯るような、そんな気持ちになった中高年の方々は、さぞ多いことでしょう。

 もはや、綾小路きみまろの漫談のような節回しになってしまったが、事の顛末を知っても批判を続けるネット民たちの裏には、こうして萌えている中高年たちがいることを忘れてはならない。

 若い世代からしてみれば「子どももいるし、おばちゃんじゃないか」という向きもあるだろう。しかし、中高年の恋愛事情において、同世代の女性が「2児の母」というのは“オプション”ぐらいの感覚なのだ。さらに人妻という妙味。不倫・浮気のキッカケの上位が「同窓会」であるという週刊誌の情報をあなどってはいけない。

 こういうことがあると、つくづく私は「ロリコンじゃなくてよかったー!」と「地球に生まれてよかったー!」ぐらいのテンションで叫びたくなる衝動に駆られる。決してロリコンを否定するわけではないが、難儀な性癖にならないよう育ててくれた両親に改めて感謝をしたい。若い人たちにも、いずれわかる時がくるだろう。そういう日本であってほしい。

 そして、まだ中高年のみに沸き起こっている、この高嶋ちさ子への“萌え評価”。今後メインストリームになるのではないかと私は踏んでいる。

 そうなる前に、来月の「サイゾー」で取り上げてみてはどうだろう? ヴァイオリニストである彼女のことだ、『彼女の耳の穴』とかであれば、相当面白い話が聞けるはず。

 と担当編集に提案したところ『マトリックス』のキアヌ・リーブスばりにかわされてしまった。

 こういうことは恋愛と一緒で、相手が弱っている時にアタックするに限る。グズグズしていたら、どっか行っちゃうよ。この意気地なし! 他誌に先を越されても……知らないんだからね。

西国分寺哀(にしこくぶんじ・あい)
これまでにクリアーしたゲームはひとつもない元ファミコン戦士。最後にプレイしたのは小5のときの「ドラクエIII」。コントローラーにボタンが3つ以上あるとパニくる。

【世界選手権開幕直前!】フィギュアオタが見る、羽生結弦と「メディアを変えるアイドルパワー」の関係性

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、芸能報道を斬る。男とは、女とは、そしてメディアとは? 超刺激的カルチャー論。

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『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』(文藝春秋)

 フィギュアスケートシーズンを締めくくる、もっとも重要な大会である世界選手権が、3月28日から開催されます。私は1980年のレークプラシッドオリンピックからのフィギュアファン。自分で言うのもなんですが、相当に年季が入っています。選手ごとにお気に入りのプログラムがあり、それを全部語ろうとしたら3日4日はかかってしまうほど。

 例えば、「伊藤みどりのショートプログラムなら、88年はオリンピックよりも世界選手権、90年の世界選手権と91年のNHK杯がベスト」みたいな感じです。もちろん、それぞれの演技の何がどう素晴らしかったか、までもガッツリ語りますので、心おきなく語ろうとしたら半日はかかります。で、「伊藤みどりのフリー」を語りだしたら、そこでまた半日。やっかいにもほどがあります。

 Youtubeが一般的でなかった2005年以前にそんな細かいことを言っても、周りでその感覚を共有してくれる人はマツコ・デラックスくらいのもので、寂しい思いを感じていました。そんな私にとって、昨今のフィギュアスケートブームは本当にありがたい。選手たちに対するリスペクトが大きくなったのも喜ばしいことです。ちなみに私は、個人的に推す選手はもちろんいますが、「ほかの選手をディスる」タイプのファンではなく、アスリート全般をリスペクトしている観客です。

 私がフィギュアスケートにハマった1980年から本田武史が出てくるまで、日本のフィギュアスケートは女子選手を中心に回っていましたが、ここ10年ほどの男子の隆盛っぷりにも目を見張ります。もともと天才的なミュージカリティを持つ高橋大輔が、階段を3つ4つ一気に駆け上がる勢いで「化けた」最初の演技である2005年のスケートアメリカのフリー。「この演技がバンクーバーで出来ていたら…」と思わずにはいられない織田信成の2009年エリック・ボンパール杯のフリー。小塚崇彦の端正なスケーティングの魅力が、ジャンプノーミスによって「芸術」にまで高まった2011年の世界選手権フリー…。スペースの都合上ひとつずつしか挙げませんでしたが、それぞれの選手がそれぞれに素晴らしいパフォーマンスをいくつも披露してくれたのも、現在の隆盛の大きな原因であると思います。

 私はこの連載で「アイドル」を中心に語ってきましたが、もともと「フィギュアスケーター」と「アイドル」は非常になじみやすい、というか、ありようが似ている存在です。相当若いうちから、衣装を着て、音楽をバックに人前でパフォーマンスを披露すること。熱心なファンであればあるほど、その成長を段階的に感じ取ることができること。その「成長」に付随する「物語」も、ファンの求める大きな要素のひとつであること。加えて、強力な裏方の存在が、彼らの成長に不可欠であったこと…(私にとっての最初のアイドル・松田聖子を例に挙げるなら、「強力な裏方」は作詞家の松本隆になります。羽生結弦にとっての強力な裏方を挙げるなら…、本当は歴代のコーチにこちら側から順位をつけてはいけないのでしょうが、私は阿部奈々美氏とブライアン・オーサー氏を挙げたいと思います)。

 現在、男子フィギュアで真っ先に名前が挙がるのが羽生結弦であることに異論をはさむ人は少ないと思います。羽生結弦は超一級のアスリートであり、なんかもう「アイドル」と言うよりは「スター」と言ったほうがいいような気もしますが、それでも、2010年の世界ジュニア選手権のフリーで披露したラフマニノフの『パガニーニ』、2012年のシニアの世界選手権のフリーでの『ロミオとジュリエット』、そこから1年経たずに披露した2012年のスケートアメリカのショートプログラム『パリの散歩道』…と、節目節目で驚異的に成長する様子を目撃してきたわけです。「スケーター・羽生結弦のファン」として以上に「フィギュアスケート好き」として、血をたぎらせてきた、というか。

 今の羽生結弦は、なんかもう「進みすぎちゃってる」というか、一介の素人である私が「ここがいい!」とポイントポイントで指摘するのが野暮でさえあります。オリンピックや世界選手権の金メダリストたち、エフゲニー・プルシェンコやスコット・ハミルトン、タラ・リピンスキー、カート・ブラウニングなどによる絶賛のコメントや解説を参考した方が、はるかに有益でしょう(私としてはこのメンツの中に、金メダリストではないのですが、「ジョニ江」ことジョニー・ウィアーも入れたい)。それでもあえて、「私のツボ」を箇条書きにしてみると…。

◆ショートプログラム
●インサイドのイーグルを含むステップから直ちに4回転サルコウを跳び、すぐにアウトサイドのイーグル、そのまま滑らかにチェンジエッジしてインサイドのイーグルへとつなげる
●「トリプルアクセルの前にステップ必須」というルールはないのに、イナバウアーを含めた複雑なエッジワークを入れて跳び、バックアウトのエッジで着氷した後、着氷の流れのままにバックインのエッジを入れていく
●助走のための「漕ぎ」がプログラム全編にわたってほとんどない。ステップシークエンスの「1歩」の距離が異常

◆フリープログラム
●ショートプログラム同様、ほぼすべてのジャンプの前にコネクティングステップが入っている。で、助走にあたる「漕ぎ」も本当に少ない
●特に、「自分にとってのナチュラルな回転方向ではない」、時計回りのツイズルを入れてから(これ、地上で1回転しただけでバランスを崩します)、即、本来の回転方向である反時計回りのトリプルアクセルを跳び、そのままトリプルサルコウまでのコンビネーションにつなげるシークエンスは、何度見ても意味がわからないくらい驚く
●「アイドル」の文脈で扱ってはいけないくらいの高貴さというか、アンタッチャブルな存在感が出てきた

「好きなところを挙げるのに半日かかる」傾向をグッと抑えて、ポイントを挙げるとこんな感じでしょうか。

 今までの日本において、長期間にわたって「アイドル」「スター」であり続けるスポーツ選手は、野球選手とサッカー選手に限られていたようなところがあります。あと、年配の人にとってのゴルフ選手も、そこに加えていいと思います。

 そういった状況は、「スポーツメディアを仕切っているのが、ほとんどオヤジ」という部分とも大いに関係があると思っているのですが、体操の内村航平とか、テニスの錦織圭とか、そしてフィギュアスケートの選手たちの長期間にわたる活躍によって、メディア内の「野球・サッカー・ゴルフ」の独占市場が変わってきていることも、その3つのスポーツに非常にうとい私にとってはありがたい。

 スポーツの世界だけに限ったことではありませんが、メディアを変えるのは、活躍するアイドルたち、スターたちであり、彼ら・彼女たちを支えることで「数字」を残すファンたちなのです。

 3月28日からの世界選手権。羽生結弦はもちろんですが、宇野昌磨の、実年齢よりはるかに先に進んだ成熟した演技も楽しみですし、宮原知子の非常に精緻で洗練された演技も、本郷理華の「スポーツを観戦する」というワクワク感をいっぱいに味わわせてくれる、躍動感いっぱいの演技も待ちきれません。そして忘れてはいけない、ファンである私にとっては「第一線で競技を続けていること自体がありがたい」浅田真央も。ここでは挙げきれませんが、数々の海外選手にも大きな期待をしています。

 来週は仕事が遅れに遅れてしまうことでしょう。各社の担当編集者さんたち、ごめんなさい…。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。

「ブルーノ・マーズがアイドルをプロデュース」って本当? K-POP誇大宣伝から見る扇情的報道の弊害

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本人の意図せぬところで「夢の共演」となっている事実を、ブルーノ本人はどう思うか。

 去る2月23日に韓国でファースト・フル・アルバム『Press It』をリリースした人気アイドル・グループ〈シャイニー〉のメンバー、テミン。リリース後、韓国のアルバム販売量集計サイトの週間チャートで1位を獲得するなど、大きな反響を呼んでいる。その話題性を後押ししたのが、先日行われたアメリカの祭典「スーパーボウル」のハーフタイムショーにも登場したアーティスト、ブルーノ・マーズ【1】との“共演”という報道だった。アルバムに先駆けて公開された「Press Your Number」がその共演曲で、テミンのファンのみならず、ブルーノのファンまでも取り込み、韓国をはじめ、日本でも大々的に報道された。ネットでは「ブルーノがテミンの才能を認めるなんて!」といった称賛の嵐が巻き起こったが、ブルーノは自身のブランディングに異常なまでのこだわりを持つアーティストとして知られている。まずは、米国のブルーノのマネジメントに話を聞いてみた。

「『Press Your Number』は、ブルーノ・マーズ名義でお蔵入りとなっていた『Press It』を下敷きにした楽曲です。『Press It』は、ブルーノが(当時の)共作者であるステレオタイプスと6年ほど前に制作した楽曲であり、ブルーノは作曲を担当したまでで、テミンというアーティストのためにプロデュースしたという事実はありません」

 韓国のメディアはこぞって「夢の共演」などと囃し立てたが、真相はお蔵入りとなっていた楽曲を買い取り、使い回しただけだった。

 ちなみに、ブルーノはデビュー当初こそ、ステレオタイプスと共作をしていたが、後に袂を分かつことになる。つまり、テミンの「Press Your Number」は、「Press It」の原盤権を持っていたであろうステレオタイプスが、テミンの所属するSMエンタテインメントに売却しただけではないかと思われる。

「過去にブルーノとステレオタイプスは、アジア人ヒップホップ・グループのファー・イースト・ムーヴメントに『Rocketeer』(10年)という楽曲を提供しています。もともとはサビをブルーノが歌っていたのですが、『デモ用に歌っただけで、彼らの楽曲に参加するつもりで歌ったわけではない』という理由から、サビは違うボーカリストに差し替えられました。そのくらいブルーノは完璧主義者です」(音楽ライター)

 実際、旬のプロデューサーや海外アーティストとの共演がK-POPアーティストの躍進を後押しする例もあるが、今回のような強引な誇大報道は、ファンへの背信行為とも取られかねない。では、なぜSMエンタテインメントは、ここまでして話題作りに奔走したのだろうか?

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テミンに譲渡されたブルーノのお蔵入り「Press It (Slower Version)」は、YouTubeに複数アップされていたが、SMエンタテインメントの手早い動きによって削除。

「近年では、東方神起が分裂してできたグループ・JYJ(C-JeS エンターテインメント)がカニエ・ウェストと共演したり、ブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムが2NE1(YGエンターテインメント)に惚れ込んで、自らプロデュースを買って出たり、4ミニッツ(キューブエンターテインメント)が欧米のダンスミュージック・シーンを牽引するプロデューサー、スクリレックスのプロデュース楽曲を発表しています」

 つまり、「競合する韓国のアーティスト/事務所に水をあけられた形になったからではないか」と前出の音楽ライターは話す。

 また、同じSMエンタテインメントに所属するBoAや少女時代の全米デビューに至っては、お世辞にも“大成功”とは言えない結果に終わったが、両者「アメリカ公演、満員御礼!」などと、空席が目立つ会場写真を加工してまでも“捏造”に必死であった。

過剰報道で生まれる音楽業界の由々しき問題

 そもそもこの大袈裟で過剰な誇大報道こそアジア諸国の悪しき音楽文化のひとつで、海外から足元を見られる原因を作っていると指摘するのは大手レコード会社のベテランディレクターだ。

「1999年、ジャネット・ジャクソンを育て上げた大御所プロデューサーのジャム&ルイスが宇多田ヒカルの『Addicted To You』を手がけたことが大きな話題となり、ダブルミリオンを記録した。しかし、あの曲はふたを開けてみたら、ジャネットが98年に発表した『Together Again』のリミックスの焼き直しといっても過言ではないものでした。『Addicted To You』は作詞・作曲が宇多田本人ということもあり、じっくり聞けば別曲として捉えられます。しかし、問題は『日本人をプロデュースすれば金になる!』【2】と海外に思わせてしまう、煽るアジアのメディアにあります。

 昨年、三代目J Soul Brothersがアフロジャックと共演した楽曲『Summer Madness』が多方面で話題になりましたが、あの曲に至っては、スティーブ青木とアフロジャックの共作『Afroki』に少々手を加えただけの代物と言っていいでしょう。ちなみに欧米でも、話題の共演などは事前にメディアが報道することもありますが、いわゆる今回のテミンや、日本国内のニュースサイトなどに顕著な『なんと、○○が××をプロデュース!』といった煽り方はしていません」

 音楽アーティストを多数抱える大手事務所のスタッフが続ける。

「日本の売れているアイドルやアーティストが、箔を付けるためにも海外の著名プロデューサー/アーティストとの共演を切望する気持ちはわかります。しかし、その提供してもらった楽曲に対し、アーティスト自身も事務所もレコード会社も、『もしかして、既発曲の焼き直しかもしれない』ということを疑うべきなんです。今でこそ値崩れしていますが、『日本はCDが売れている』と思い込んでいる海外プロデューサーらは、いまだに法外なプロデュース料を突きつけてきます」

 さて、今回のテミンの誇大宣伝以外にも、数々の過剰報道を行ってきた韓国メディア。知らぬ間に名前を使われたブルーノ・マーズは気の毒だが、事実を知らぬままに「ブルーノが僕のためにプロデュースしてくれた楽曲」としてテミンが心から歌っていたとしたら、それはさらに気の毒で仕方ない。

 ここから透けて見える「お金次第で大物との共演が可能」「トップアーティストの名前を出せば話題性抜群」と考えている音楽業界の浅はかな体質。売れるための手段を考えるのは必要不可欠なことだが、アーティストの意思やキャリアを無視してまで作る過剰な誇大宣伝に、本当の価値は付与されないだろう。

(田口瑠乙)

【1】ブルーノ・マーズ
日本でも高い人気を誇るハワイ出身のシンガー・ソングライター。「Just The Way You Are」や「Marry You」は、国内の結婚式の定番ソングとしても定着しているようだ。

【2】日本人をプロデュースすれば金になる!
本文で触れたように、これまでに数々の著名アーティストが海外のプロデューサーやアーティストとコラボを果たしている。その報酬額はピンキリだが、最低でも数百万円といわれ、もっとも高いものでは数千万円の例も。近年は国内の辣腕プロデューサーが、海外と比較しても遜色ない楽曲を制作しているが、報酬はベテラン勢でも100万を超えることは滅多にない。

覚せい剤報道が加熱するマスコミの裏側――清原逮捕で見えた!芸能人シャブ報道の功罪

――2月2日に逮捕された清原和博容疑者をはじめ、このところ芸能人の覚せい剤による逮捕報道が続く。そして、続いて出るのは、次に誰が捕まるのか? だ。こうした報道では、疑惑と称して実名で芸能人の名前が挙げられることもしばしばだが、それらは果たして人権侵害とならないのだろうか?今回は、清原逮捕をテキストにし、芸能人のシャブ逮捕報道はどのようにして作られるのか? を検証していこう。

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にこやかな笑顔を見せていた「番長」清原は今……。

「覚せい剤を使用したことに間違いありません」などと、ついにその容疑を認めたとされる元プロ野球選手でタレントの清原和博容疑者。清原は2016年2月2日に覚せい剤所持容疑で逮捕され、23日には覚せい剤使用容疑で再逮捕されている。

 その逮捕は、2年間で延べ300人を行動確認に投入した警視庁・組織犯罪対策5課が勝利した瞬間だった。実はここ数年、組織犯罪対策5課は中高年を中心に蔓延しているという覚せい剤撲滅キャンペーンに乗り出しているようだ。

「全体の覚せい剤事件の検挙者数は『第3次覚せい剤乱用期のピーク』と呼ばれた97年の約2万人の半分、約1万1000人。ところが、40代以上の検挙者が全体の約6割を占め、2割超程度だった97年の3倍近くに膨らんでいるのです。現在では、40代以上による覚せい剤購入が、暴力団の資金源になっている。組対5課としては中高年の有名人常習者を中心に検挙し、暴力団の資金源の根絶と、中高年の覚せい剤犯罪抑止効果を狙っているのです」(警視庁関係者)

 組対5課は、14年5月には歌手のASKAを逮捕(懲役3年、執行猶予4年の東京地裁判決が確定)。その薬物密売ルートでもあった「新宿の薬局」の異名を取る、東京・歌舞伎町に本部を持つ指定暴力団住吉会系大昇会の組幹部ら23人を覚せい剤取締法違反などの疑いで逮捕した。

 同課は、「新宿の薬局」ルートの壊滅作戦を展開し、2年弱に及ぶ捜査を経て、ほとんどの密売拠点を壊滅させるに至ったといわれるほどだ。

「組対5課がASKAと同時期に行動確認を進めていたのが清原でした。『新宿の薬局』の捜査の一方で、交友関係や入手ルートなどを把握し、覚せい剤を使用した直後に踏み込み、清原を現行犯逮捕することができたのです」(前出・警視庁関係者)

 時期は異なるものの、ASKAと清原の運転手は同一人物だったとされており、清原の逮捕はASKAルートとも重なっているとされているが、目下、マスコミと世間が注目するのは、清原の交友関係や入手ルートから芋づる式に摘発される中で、有名人の逮捕があるかどうかだろう。

「清原容疑者は携帯電話を4台持っていて、暴力団幹部や今回のシャブ入手ルートとされる群馬県内の通称『シャブばばあ』と呼ばれる大物女密売人などを電話番号登録している可能性がある。こうした人物やほかの有名人との通話履歴を組対5課が解析している」(芸能記者)

 現在、報道で実名が挙がっているのは、『週刊新潮』(新潮社)が『帝国ホテルのスイートルームに2人で籠ってシャブを決めていた』と報じる長渕剛のほか、元プロ野球選手として新庄剛志、橋本清、格闘家の秋山成勲、老舗洋食店たいめいけんシェフの茂出木浩司……。余談だが彼らに共通する点で興味深い指摘があった。それは「顔が黒く焼け、歯が真っ白」という点だという。

「『シャブ中になると、目の周りにくまができて、ドス黒くなる』と言われており、それをごまかすために日焼けサロンで体を焼くケースもあります。また、シャブの効果が切れかけているときにイライラして、通常の人間では出せないほどの力で歯を食いしばるため、歯が欠けてボロボロになることもある。だから、シャブ中の人間は差し歯にしたり、入れ歯にするために真っ白の歯になるというのです。逆に、見た目だけでそのように判断されているケースも否定できないので、こうした憶測に近い報道には注意が必要です」(芸能事務所社員)
 これらに加えて、インターネット上では、虚実ないまぜになった芸能人の名前が複数挙がっている。

「芋づる式摘発といえば、77年に俳優・岩城滉一の逮捕(覚せい剤取締法違反)を皮切りに、芋づる式で、研ナオコ、井上陽水、内田裕也(3人は大麻)らが摘発されたことがありました。以来、芸能マスコミは、有名人が薬物で逮捕されるたびに、次に芋づる式に摘発されるのは誰かと報道することがパターン化しているんです」(前出・芸能記者)

 覚せい剤を所持していたり、使用した人物よりも、次に誰が捕まるのかを求めるのは大衆心理なのかもしれない。そして、それが求められるのであれば、取材に乗り出すのがまた商魂たくましい芸能マスコミの仕事といえるだろう。

「シャブセックス=気持ちいい」ネットで拡散していく懸念

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3度の覚せい剤所持で、15年に実刑を受けた小向美奈子。思えば、シャブ使用発覚後からも、怒涛の人生を送っているが……。

 しかし最近は、こうした報道が少々過熱気味に思える節がある。

「それだけ、芸能界やスポーツ界には薬物が蔓延していることの証左といえるかもしれないが、警察関係者も薬物疑惑についてはメディアにリークしやすいようで、次々に名前が挙がる。しかし、実際に検挙するのにはシャブの所持・使用の現場を押さえることが絶対条件で、清原の件を見てもわかるように、少なくとも2年はかかるのです。“クロ”な有名人たちも清原逮捕後必死になってシャブ抜きをしているために、捕まるとはしばらくは考えにくいのです」(同)

 しかも、テリー伊藤が「本当にこれは暴力」と指摘したように、インターネットの普及でこうした有名人の名前が虚実ないまぜとなって広がり、人権上の問題ともなっている。警察も行きすぎた報道については痛し痒しな状態のようだ。

「覚せい剤報道は、犯罪抑止効果を狙って容認しているのですが、一方で有名人が逮捕されると、『あの有名人もやっていたなら』と影響を受けやすい一定の層がシャブに興味を持ち始めてしまう。清原の場合も『薬物をやっていたから3試合連続ホームランを打てた』という情報を聞けば、シャブにはそれくらいの効果があるのかと、ワーカホリックなビジネスマンなどが手を出しかねないのです。また、09年の酒井法子の逮捕後の週刊誌報道をきっかけに『シャブセックスが気持ちいい』という話が知れ渡ってしまった。そんなにも気持ちがいいのかと、ますます覚せい剤に背徳的な関心が高まってしまったことも事実で、こうした動きには署内でも懸念が広がっています」(警視庁関係者)

 15年10月にはアイドルで女優の高部あいが都内の自宅マンションでコカインを所持していたとして、麻薬取締法違反(所持)の疑いで逮捕されているが、その際にも「薬物セックス」の効果が大々的に報道された。その行き着く先が「シャブセックス」というわけだ。

 芸能マスコミにとっては格好のネタではあるのだが、その影響力は計り知れないというわけだ。

清原=番長を広めたマスコミの功罪

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念願の巨人に移籍した頃は、まださわやかな顔を見せていた清原。以降、番長と持ち上げられ、裏社会とのつながりが表沙汰になることも増えた。

「マスコミも、書き放題の姿勢を改めるべきでしょう。特に清原問題の一因には、そもそもスポーツマスコミが清原を『番長』とはやし立てて、彼をカン違いさせてきたことにあるのは事実。今回の逮捕でも清原容疑者は『子どもたちの夢の存在だった』などと報道しますが、現役時代の後期は、彼に子どものファンはほとんどいなかった。スポーツマンらしからぬ態度を持ち上げて乱闘などを礼賛してきたマスコミが、清原『番長』というイメージを増幅させてきたのです。それに応える形で、清原容疑者は刺青を入れ、チンピラ的な行動を取ってきた。本人は、本当の自分と虚飾にまみれた世間が期待する自分とのギャップに耐え切れなくなってシャブに手を出した、ともいわれています」(スポーツジャーナリスト)

 とはいえ週刊誌は、スポーツマスコミのように、礼賛報道一辺倒だったわけではない。週刊誌も清原とは穏やかならぬ因縁があった。

「清原といえば、『週刊ポスト』が00年に掲載した『やっぱり!“虎の穴”自主トレ清原が「金髪ストリップ通い」目撃』という記事をめぐり発行元の小学館を提訴。地裁で1000万円の損害賠償が認められた事件がある(高裁で600万円に減額)。その後の有名人に対する名誉毀損裁判の慰謝料高額化の一因となった事件としても知られている。コレを受けて清原をめぐる週刊誌報道が、トーンダウンしたのは間違いない」(週刊誌記者)

 一方、度重なるスキャンダル報道で清原との距離が縮まったのが『フライデー』だ。『フライデー』は80年代には西武ライオンズ時代の清原のモデルやクラブママとのスキャンダルを次々に報じて、険悪な仲だったが、97年に清原が読売ジャイアンツにFA移籍すると「おう、ワイや! キヨハラや」と勝手に語り口調で始まる不定期連載「番長日記」をスタート。清原本人は「ワイ」とは自称していないと否定したが、番長というニックネームとともにその呼称を定着させた。08年の引退後には『番長伝説』として一冊にまとめたほどだ。

「マスコミ関係者の誰もが疑っていた清原の薬物中毒を初めて大々的に報じたのは、『週刊文春』(文藝春秋)14年3月13日号の『清原和博緊急入院薬物でボロボロ』です。しかし、これを受けて清原が『「週刊文春」を訴えようと考えています』と独占告白したのが、これもまた『フライデー』14年3月28日・4月4日合併号『薬物疑惑の真相、全部しゃべったる!』だった。さらに15年10月30日号でも『わかった、もうゼンブしゃべる! 清原和博激白60分』と薬物逮捕情報から格闘家転向情報まで語りつくしている。ここまで同誌と良好関係になった有名人は、そうはいないだろう」(週刊誌記者)

 ともあれこれでは、マスコミも共犯なのではないか? そしてもちろん、そうした情報を求めるのは大衆心理。私たちが、芸能界とシャブという構図の端っこを背負っている可能性さえあるのだ。

 くれぐれも情報には踊らされずにありたい、ということで、ここではスポーツ界にまで蔓延するシャブの実態を知り、それを報じるメディアの裏側を追跡してみた。犯罪報道の功罪について、清原のシャブ逮捕を通じて考えていきたい。

(文/松井克明)

『NEWS23』キャスター就任もおじゃん! TBS・小林悠アナ、電撃退社の裏に“山本モナの呪い”アリ!?

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『TBSアナウンサーカレンダー2016』

 週刊ポストの熱愛デート報道から約1カ月、TBSをスピード退社することになった小林悠アナ。体調不良により依願退職する趣旨のファックスを出したのみで、突如表舞台から姿を消してしまった。ポストの報道直後から小林アナの不可解な行動も目撃されており、局内外で様々な憶測が飛び交っている。

「週刊ポストに記事が掲載されると知るやいなや、知人を介して編集部サイドに探りを入れるなど、かなり動揺していました。特に気にしていたのが写真の有無。後ろめたいことがあったのか、うろたえる姿が局内でも目撃されています。プライベートでも親しい同僚の加藤シルビアに相談しましたが、あまりの狼狽ぶりに加藤も驚いていたようです」(TBS関係者)

 これまでにも同僚ディレクターとの“路チュー”をフライデーに激写されるなど、スキャンダルへの免疫はあったはず。自身が担当するラジオ「たまむすび」では交際報道をイジられても、笑いで受け流す余裕を見せていただけに、退社の一報にスタッフも驚きを隠せなかったという。

「一部では既婚との報道もありましたが相手のITベンチャー企業を設立した起業家は既に離婚しています。ただどうも離婚のタイミングと小林との交際がスタートした時期が被っているという疑惑もあり、局の上層部から厳しく叱責され『NEWS23』降板が決まりました。しかも報道を機に起業家からの連絡が途絶えてしまったとか。看板番組のキャスターの座だけでなく、支えてくれるはずだった交際相手まで失いパニックになってしまったのが退社の理由のようです」(週刊誌記者) 

 またTBSがスキャンダルに神経質にならざえるをえない事情もあるようだ。

「『NEWS23』はもちろん、報道スタッフは山本モナのスキャンダルがトラウマになっており、女性キャスターの色恋沙汰はご法度。小林を抜擢した際には“身体検査”もしていたはずなんですが、脇が甘いと言わざるを得ません。これなら膳場を続投させたほうが良かった。“呪われた番組”と揶揄する局員も少なくありません」(前出TBS関係者)

 スタート前から前途多難なようだ。

“恋愛”よりも”絆”を求めて…嵐、Sexy Zoneと『君に届け』に見る「いま女子が本当に欲しいもの」

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、芸能報道を斬る。男とは、女とは、そしてメディアとは? 超刺激的カルチャー論。

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『アラシゴト』(集英社)

 芸能人、スターに何を求めるか。若い人たちは、アイドルという存在に、何を見ているのか。

 今まで飽きるくらいに繰り返し議論されてきたテーマです。それはすなわち、「答えが確定しないというより、時代時代によって変わるため、変わるたびにその議論が起こる」ということなのかもしれません。

 意識したり言語化できるほどには明確になっていないけれど、人々が熱烈に求めている『何か』。それが、アイドルを含む芸能人に投影される。だからこそ、一世を風靡した人に対して「時代に選ばれた」などという表現が使われてきたのでしょう。

 その意味で、80年代後半から90年代はじめまで、バブル経済と歩調を合わせるかのように、飛ぶ鳥を落としてバリバリと食ってしまう勢いだったユーミンこと松任谷由実が「美空ひばりさんが日本の復興の象徴なら、私は繁栄の象徴だと思う」「私が売れなくなるときが来るとしたら、都市銀行がつぶれるような時代になったとき」というコメントを残したのは、その嗅覚の鋭さも含めて感服するよりほかありません。

 グループ単位の男の子アイドルといえば、私がリアルタイムでその全盛期を知っているのはシブがき隊が最初になります(たのきんトリオは、「アイドルグループ」ではなく、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人のアイドルをまとめた“総称”みたいな感じなので、「グループ」からは除外)。で、今の若い男の子グループで、かろうじて知っているのは、Kis-My-Ft2、Hey!Say!JUMPとSexy Zoneくらいになります。

 そりゃまあ、シブがき隊の時代からゆうに30年はたっていますので、今の若い方々が動画サイトでシブがき隊の昔の姿を見ても、「衣装がダサい」「曲がダサい」「振付がダサい」というご感想を持つくらいのものでしょう。まあ、「若い人たちに人気があるものの中には、時代が変わると急にダサく見えてしまうものがけっこうある」ものですが、オバちゃんの立場から、もうひとつ。私はリアルタイムで経験してきた者として、たのきんトリオやシブがき隊が「どういうふうにキャーキャー言われていたか」を知っています。当時と今とで変わったのは、ステージに立つ人たちの問題だけではありません。

 今のアイドルグループと、昔のグループの決定的な違いは、何か。それは、「メンバー同士の関係性」に萌えている人がいるか、いないか、ということだと思います。昔の男の子のアイドルグループは、「疑似恋人」としての役割がメイン(というか、役割のほぼすべて)でした。メンバーの中の誰か(シブがき隊ならヤックンとかモックン。フックンは…どうだったか…笑)にキャーキャー言うことはあっても、たとえば「ヤックンとフックンの関係性」に萌えたり「メンバー同士の仲の良さ」を愛でるポイントに挙げたり…ということはなかったのです。

 私の体感では、男の子のアイドルグループに「関係性萌え」を見出すファンが現れたのは、SMAPがガッツリ売れ始めた頃、あるいはKinKi KidsやV6がCDデビューをした頃、つまり90年代の中盤くらいから、と記憶しています。なので、当時は「過渡期」というか、たとえば「木村くん(←中居くんでも香取くんでもOK)がいるから、SMAPにお金を落としている」「とにかく光一(←剛でももちろんOK)が大好き!」という人もけっこうな数いましたが、いま、若い子の多くは、それぞれに「いちばん好きなメンバー」がいつつも、「嵐は、5人で嵐」「Sexy Zoneはやっぱり5人全員そろっていないと!」と感じている部分もかなり大きいのでは、と。その前提の中で「潤くんと相葉くんの関係性にキュンキュンしてる」とか「勝利と健人は、やっぱり鉄板のコンビ!」といった感じで、アイドルを楽しんでいる。ま、あくまで私の体感にすぎないのですが。

 その原因を「BL的なニュアンスが一般の人々の間でも消費されるようになった」とする人もけっこういるでしょうが、私は少々違った考えを持っています。先ほど言った、「意識したり言語化できるほどには明確になっていないけれど、人々が熱烈に求めている『何か』。それが、アイドルを含む芸能人に投影される」ということに当てはめれば…。

「若い方々にとっては、『疑似であっても恋人がほしい』ということ以上に切実な問題がある。それは『自分の人生に、強いつながりで結ばれた“他者”がいてほしい。その相手は“恋人”でなくてもかまわない』ということではないか」と思っているのです。

 男の子グループと並んで、若い女の子たちが熱烈に『何か』を投影するものと言えば、少女マンガです。この15年間ほどの少女マンガで、部数的にも圧倒的な数字を残した作品といえば、『NANA』(矢沢あい・作)と『君に届け』(椎名軽穂・作)を挙げたい私です。まだ完結していない両作品ですが、『NANA』の主題は明らかに「ナナとハチ、それぞれの恋」ではなく、「それぞれに恋をしていても、ゆるぎも薄くもならない、ナナとハチのつながり」ですし、『君に届け』は「主人公・爽子と風早翔太の恋」を描くだけでは、ここまでの人気作にならなかったでしょう。私が『君に届け』を読む限り、あの作品で最大瞬間風速が吹いたのは、第2巻です。「地味な世界に属する、爽子。そして、一見派手な世界に属する、ちづとあやね。その3人が確かなつながりで結ばれた」シーンが、『君に届け』をここまでの人気作にした、と確信しています。

 一般人にとっては「よくなっている」とは一瞬も感じられない景気のせいなのか、それ以外にも理由があるのか、それはわかりませんが、「かつて自分にも10代だった時期、20代のはじめだった時期があった」大人の立場で言わせていただくなら、いまの若い人たちを取り巻く環境の殺伐さを思うと、私の背すじはひんやりしてしまいます。「自分の中の一部を明かしても、ゆだねても、この人は、『私』という存在を拒否しない」と信じられる相手が周りにいない…。その苦しさは、自分のセクシャリティを周りの誰にも明かせなかった、かつての私自身の苦しさと重なります。「あの時期は私が成長するために必要だった」と今でこそ思えますが、「じゃあ、あの時期をもう一度経験するか」と尋ねられたら、「絶対にいやだ」と即答できるほどに、苦しい時期。その苦しさを、現代の多くの若い人たちも抱えていると思うと、いい大人であるはずの私の胸が今でも痛くなるほどです。

その環境が、いますぐ劇的に変わる…という可能性は、残念ながら低いでしょう。ただ、そうならそうで、若い人たちが抱える「何か」にこたえる仕事をしている人(表舞台に立つアイドルだけでなく、アイドルを作っている制作側・裏方側を含みます)には、「関係性に切実な希望を見出すたくさんの人たちが、自分たちの仕事を支えている」ということは頭に入れておいていただきたい。その希望が「目に見える状態になっている」ことで、現実の社会そのものが変わっていく可能性もあるはずです。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。

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