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星野源は「子犬の目をした脅迫者」? 『逃げ恥』が描いた、普通の人々の「普通じゃない」美しさ

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、世にあふれる”アイドル”を考察する。超刺激的カルチャー論。

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TBS系ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』HPより。

「親子や兄弟姉妹ですら合わない部分があるのが当然なのだから、違う家庭で育ってきた者同士が合わない部分があるのは当たり前。そんな『当然』や『当たり前』を、『困る』とか『つらい』に変換するクセがついてしまうと、ふたりの間にあるパワーを奪ってしまう。そんなもったいないことって、ない」
「それを踏まえたうえで、ふたりで、たくさん話し合いましょう『どちらかが折れることを前提とした話し合い』ではなく、『どちらの望みもある程度取り入れるための話し合い』をね」
「知りたい。知ってもらいたい。その努力を惜しんだら、おしまい」
「面倒くさいといえばそのとおりかもしれないけれど、それは新しい人間関係を構築する際、避けては通れない面倒くささだと思います」

・・・・・・・・・・・・

 上の文章は、今年発売した私の本『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)からの、ほぼ原文の写しです。手前味噌の極みと思われても仕方ないオープニングで恐縮です。私の本は、『Oggi』というファッション誌で10年ほど連載していたエッセイから「恋愛がらみ」に特化したものをまとめたものでして、写した文章は、だいたい3~8年前くらいに『Oggi』にて最初に発表したものではなかったか、と記憶しています。

 本当に僭越極まりないのですが、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)の最終回を見ながら、「ああ、こういうこと書いてたわ」と思い返していました。

 それにしても本当に面白いドラマでした。ラブコメドラマ(要するに「ハッピーエンドで終わらせることが至上命題」のドラマ)の最終回で、これほどまでに「めんどくさい」「面倒」という単語が出てきたドラマは、いままでになかったと思います。

 最終回の1つ前の回で、平匡は「脱・童貞」を果たし、何やらおかしな方向に進んでいきました。「かわいい嫉妬」の体をとってはいましたが、みくりの仕事先のひとつをぶった切る。「異性が働いている場所でバイトなんかすんな」とか言って、恋人の経済のヒモを切っていくような精神的童貞や処女はけっこういます。しかし、それを35歳の平匡がやるようになるとは。平匡本人がどんなに多忙であっても、「家事のプロ」としてみくりが作ったおかずが大失敗に終わっても、料理にはきちんとポジティブな感想を出していたのに、「美味しい」とも言わなくなる。そして、「みくりが『対価の発生する、仕事』だからこそ完璧にこなしていた」家事全般を、「無償のもの」として計算し、ライフプランを立てて、ドヤ顔のプロポーズをカマす…。そんなとんちんかんなドヤ感たっぷりの提案にみくりが異議を申し立てれば、自分が悪手ばかりを打っていることに気づかないまま、「みくりさんは、僕のことが好きではないということですか?」(訳/僕のことが好きなら●●してくれるものじゃないの?)と、子犬の目で恫喝にかかる…。ええ、あれは「子犬の目をした脅迫者」としか言えない表情でした(星野源、まったくうなってしまうほどの名演です)。そのシーンの20~30分ほど前、「平匡さんは、可愛すぎる」「可愛いは最強です。可愛いには絶対服従です!」と言っていたみくりが、決然と「それは、好きの搾取です!」と言い返したシーンでは、「よくぞ言った!」と画面に声をかけてしまったほどです。このシーン、ブラック企業による「やりがいの搾取」を痛烈に批評した、みくりのセリフと対になっているあたり、この作品自体の構成のうまさにも感じ入りました。

 で、最終回。実を言うとこの最終回のいちばんの“ドリーム”は、「平匡が、『嫌な意味でも男になってしまった』自分自身を、序盤ですぐに反省する」という点ですが、これはこれで仕方がない。というのも、「避けては通れない面倒くささをきっちり描くためには、かなりの尺が必要である…。そんな判断を制作側がした」ということが、すぐにわかる作りになっていたからです。

 CMとオープニング&エンディングを除けば正味60分を切るだろう時間の中で、制作側は、「みくりと平匡の話し合い」というか「すり合わせ会議」を、ドラマ前半の中になんと3回も入れています。そのうち1回は、家に仕事を持ち帰ったみくりがしっちゃかめっちゃかになっている状態のとき。そんなときであっても、「話し合い」「すり合わせ」は必要である、という根幹から、このドラマは逃げていなかった。

 他人と関係を結んでいくのは、それが「結婚」という形をとっていようといまいと、本当にめんどくさい。当たり前のことだから、つらかったり困ったりということではないけれど、ものすごくめんどくさい。そんな厳然たる事実を、パロディを使ってポップに演出してはいましたが、正面切って描いていた。それだけでも称賛に価するドラマだったと私は思います。

 当然、どちらか一方がしっちゃかめっちゃかなときは、ただでさえめんどくさい「話し合い」なんて、うまくいくはずがありません。みくりは、平匡に投げやりな態度で「(この関係を)やめるなら、いまです」みたいな捨て台詞を吐き、家での仕事場所(浴室)にこもって扉を閉めてしまいます。

 それに対し、平匡は、「いままで自分は、周囲に壁を作っていたけど、いまはみくりさんが、それをしている」「自分の壁をノックしてくれたみくりさんに、いま自分ができることは…」と心の中で回想し、みくりがこもる浴室のドアをノックし、扉を開けないまま、話し出すのです。

「生きていくのって、めんどくさいんです。それはひとりでもふたりでも同じで、それぞれ別のめんどくささがあって。どっちにしてもめんどくさいんだったら、一緒にいるのも手じゃないでしょうか」

「みくりさんは自分のことを普通じゃないと言ったけど、僕からしたら、いまさらです。(中略)世間の常識からすれば、僕たちは最初から普通じゃなかった。いまさらですよ」

 そう言いながら、浴室の扉にかけた平匡の手は、その扉を開けることなく、平匡は静かにその場を離れます。

 平匡のモノローグは「みくりさんは僕が作った壁をノックしてくれた」的なものだったのですが、実のところ、みくりのノックとは、初期~中期の平匡にとってはむしろ「壁を蹴破る」くらいの勢いのものでした。

「結婚してよ!」
「私の恋人になってもらえませんか?」
「スキンシップはどうでしょう?」
「バカ!」
「いいですよ、そういうことしても(←平匡にとって人生初のセックスのお誘い)」

 どれもこれも、「童貞の壁」(しかも35歳)を粉々にする破壊力だったことでしょう。対して、平匡のノックは、文字通りの「ノック」であり、それも「扉を開けない」「壁は破らない」繊細さを持ったものでした。「女子の心の壁を破壊して、その心に入りこんで来るパワーを持つ男子」と、「心の壁を破られ、交際を始めて、つきあいが深まるにつれ徐々に男子のパワーの中に繊細さを加味していく女子」の組み合わせがそのほとんどを占める日本のラブコメ作品において、それは明らかに「普通じゃなかった」のです。「普通じゃなかった」のは、単に「ふたりは契約結婚からのスタート」ということだけではなかったわけです。

 冒頭に続き私個人の話をして恐縮ですが、私は初恋のときから、自分が「普通じゃない」ことを自覚していました。ドがつく田舎に生まれたゲイで、初恋は35年以上前のことでしたから。そこからは「普通でない自分」をいかに受け入れ、その次は、そんな自分を受け入れてくれる他者(性愛の相手であれ、友情の相手であれ)をいかに探すか、という道を歩いてきたのです。そして、私はこのドラマで、「ノンケの男女の相当数もまったく同じことをしている」ということを、あらためて確認した思いです。

 みくりは、「こざかしくて、めんどくさい女」という自己イメージ(明らかに「私フツーに女らしくないでしょ」という自己認識です)ゆえに、自分自身にどうしても低い点数をつけてしまう人間だった。平匡は、「ゲイはイケメンとみたら誰彼かまわず襲いかかる」「ゲイは男性の目線と女性の目線をあわせもつ」みたいな偏見丸出しの分析をしながらも、自分の分析をされるとムッとし、そしてムッとする自分自身の器の小ささ(明らかに平匡が「男らしさ」と形容しているだろう性格の対極にあるものです)に悩む日々が続く。ま、救いなのは、そんな自分の偏見や器の小ささを反省し、即座に成長の跡を見せることですが。ちなみに、「男目線」とか「女目線」とか、そんなものはありません。そんなザックリしたものは存在しないし、ヘテロであろうとゲイであろうと、個人個人が持っているのは「私の目線」「僕の目線」だけです。そういうことを、このドラマで風見(人間関係の機微をきちんとわかっているが、ややいたずらが過ぎるイケメン)がきちんと言及していたのには目を見張りました。

 また、石田ゆり子演じる、みくりの伯母・百合(ゆりちゃん)は、若さを武器に自分に牙をむく20代中盤の女子に、「多くの女性にとって、『加齢は不幸でしかない』という『普通』が、女性たちの呪いになっている」という現実を指摘しながら、「あなたがいま『価値がない』と切り捨てたものが、あなたの未来になるなんて、そんな恐ろしい呪い(要するに、普通)からは、さっさと逃げてしまいなさい」と優しく諭す。しかし、そう言いながらも百合は、自分のほうが17歳年上である風見との恋愛に、「普通の価値観」にとらわれてギリギリまで踏み出せなかったりする(最後に踏み出せて、ゆりちゃん自身も呪縛から解き放たれて、本当によかった)。

 ゆりちゃんの部下である若い女性・堀内は、アメリカからの帰国子女であるがゆえに、「普通の日本人」「普通のアメリカ人」からはみ出してしまう自分自身を自覚しつつ、自分自身をはみ出させようとする「普通の日本人像」と戦っている。同じくゆりちゃんの部下である若い男性・梅原は、ゲイであるがゆえに「普通のノンケの男女」からはみ出している自分を自覚している。そして「ノンケの普通」が回している「この世界の日常生活」では会えないからこそ、ゲイの出会い系アプリを使う。「普通のノンケの男女」に対する嫉妬も認めている。会社の人間関係でカミングアウトをするのは、心から信頼した堀内だけ。その堀内にも、「ナイショな」と、アウティング(自分の望まない人間関係にまで秘密をバラされてしまうこと)に対する牽制を忘れない。「普通じゃない」ゆえに、そこまで周到なことをしなくてはいけないことを、骨身に染みてわかっている。まだ見ぬ意中の人・沼田と出会った瞬間、その場に居合わせた、信頼する上司のゆりちゃんにもカミングアウトしたのも同然なのですが、ここにゆりちゃん以外の会社の人間がいたら、梅原は、沼田の前でまったく素知らぬ顔をしただろうと断言できます。

 男だろうと女だろうと、ノンケだろうとゲイだろうと、何歳であろうと、どんな人生を送っていようと、誰もがそれぞれに「普通じゃない」部分を抱えている。平匡が最終回で「僕たちは最初から普通じゃなかった」と気づき、風見は第4話だったかな「普通って誰が決めるんだろう。くだらない」と口にしていたように。

 それぞれの「普通じゃない」部分は、当然、それぞれに違っています。そして、「それぞれに違っている部分」それが、個性になる。「それぞれに違っている部分」こそが、多数決でなんとなく決められてしまっている「●●らしさ」(●●には、男とか女とかオジサンとかオバサンとかノンケとかLGBTとか日本人とか、とにかく好きな単語を入れてOK)ではなく、「自分らしさ」になる……。そのことをこれだけはっきり言い切った日本のドラマを、私はほかに知りません。

 お互いの「普通じゃない」を認め合うこと。認め合ったうえで、めんどくさいことから逃げずに、ノックし合うこと。そして、変わりゆく関係性に対して敏感であろうと努めること。コミュニケーションの本質は、まさにそこにあると私は思っています。ええ、ドラマが言う通り、それは本当にめんどくさい。でも、そこから逃げなかったふたりだからこそ、逃げなかった平匡だからこそ、みくりは、最終回のいちばんの盛り上がりどころで、ようやく平匡に「大好き」と言えたのです。「大好き」と伝えたあとも、「(ふたりの関係性の)模索は続きます」と言い切る平匡だからこそ、みくりは、さまざまな未来の可能性を(妄想の中ではありますが)楽しみにできるのです。

 すべてにおいて「普通」な人が誰ひとりとして存在していないこの社会。すべての「普通じゃない」人にとって、本当に優しい、素敵なドラマでした。2016年も終わりますが、この時代にこういうドラマが出てきたことを、私は素直に喜びたいと思っています。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』(小学館)で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。月刊文芸誌『小説すばる』(集英社)でも連載中。

紅白落選を本気で悔しがる【和田アキ子】の健勝を祈る! 「アッコさ~ん アッコさ~ん すきすき~」

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 二十歳そこそこのAKB48の娘たちが「世代交代のため」と言ってグループを卒業する一方、『NHK紅白歌合戦』に30回、40回と、さんざん出たおしたあげく「世代交代」などと言って「紅白卒業」を宣言する演歌の大御所たち。この対比を見ていると「世代交代ってなにかね?」という気持ちになってくる。

 大御所たちのいう「次世代」とは、どのへんの人たちを指すのだろうか? 今さら小金沢昇司とか言われても、我々としては困るわけである。

 そもそも、紅白の出場回数に制限がないからこういうことになるのだ。かの「ベストジーニスト賞」ですら、5年連続で受賞した際には「殿堂入り」となり審査対象から外されるのである。しかも、2013年からは3年連続に規定が変更されているというではないか。なんという新陳代謝! これぞ世代交代!!

 ただ、この表記も今回で最後になるだろうから敢えて使うが、SMAPの木村拓哉とか草彅剛とか、あらかたメインどころが殿堂入りしてからというもの、受賞者の選出に若干のブレが生じてきたことは否めない。「えっ、そんなにジーパンはいてたっけ?」という印象の人もさることながら、15年の協議会選出部門の藤岡弘、に至っては、ジーパンというより革パンでしょうよ! という話である。

 そう考えると、やはり大御所の人たちが常にいて、きちんと“重み”を重ねていくことは大切である。まあ、そうはいっても今回の紅白は、卒業や落選やらで大御所たちは軒並み出演しないのだが。

 そんななか、今回の紅白に対する和田アキ子の姿勢は、非常にカッコいいものであった。

 出演者発表前の11月19日の時点では、ラジオの生放送(ニッポン放送『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』)で、「紅白出場がまだ決まってないのよ。早く決まってほしいんだけど」と出演への意欲をアピール。しかしその後、落選が決まると素直に「悔しい」とコメントし、落選の報告を受けてからは「毎日泣いていた」ことを告白。最終的には「今年の紅白は見たくない」とまで言い放ったのだ。

“紅白出場”ということにどこまでストイックなんだろうか、彼女は。これまで、受信料を払わずに紅白を見ていた自分が恥ずかしいとすら思えてくる。

 もちろん、北島三郎や森進一のように「卒業」を宣言して「自ら身をひく」というのもひとつの美学である。一方で板の上に立つ人間たるもの、世間から求められなくなるまで続けるという美学も存在する。今回のアッコの場合は、紅白限定ではあるが、まさにその「求められなくなった」という事実を突きつけられたわけだ。何かとネットニュースでは叩かれがちなアッコだが、その紅白に対するストイックな姿を見て、好感を抱いた人もいるのではないだろうか。その証拠に「アッコ、紅白落選」の報は、もはや「ヒラリー落選」ぐらいの勢いでネット中に飛び交っていたのだから。

 とにかく、大みそかのアッコの予定が急きょ空いたことで、この後いろいろな大人たちが急速に動き回る気配がしてならない。

 例えば紅白の真裏、AbemaTVで「どしゃぶりの雨の中で」を熱唱するアッコ。

 内田裕也からのオファーでニューイヤーズワールドロックフェスティバルに出演し、「ジョニー・B・グッド」を熱唱するアッコ。

『ものまね紅白歌合戦』のご本人登場に出演し、司会の「アッコさん、何やってんすか!?」の問いに「本物の紅白落とされたから、こっち出てやったよ」とおどけるアッコ。

 ちょっと想像しただけで、色々なアッコの活躍が目に浮かぶ。偏見で申し訳ないが、細川たかしでは、こうはいかないだろう。

 とにかく、年の瀬にこんなうだつのあがらない中年男のコラムを読んでくれている読者の方々の来年の健勝よりも、アッコが充実した大みそかを過ごし、来年の励みにしてくれることを切に願う私なのである。

 ああ、でも、今年の紅白の視聴率次第では、来年はあっさり大御所たちを呼び戻し、見事40回目の紅白出場を果たしたアッコが、涙ながらに「あの鐘を鳴らすのはあなた」を熱唱したりするんだろうな。「紅白最高!」とか言いながら、親指立てるお得意のポーズで。

 最後に、紅白の中盤くらいでありそうな応援コメント風に締めてみたいと思います。

「紅白落選の報に涙した、アッコの瞳は赤かった(紅勝った)」

 バンザ~イ!

西国分寺哀(にしこくぶんじ・あい)
和田アキ子のモノマネをしていた吉村明宏の動向も気になる40代会社員。モノマネの際の「ハ~ヒフ~ヘホ~!」は、今やバイキンマンのものになっていることに納得がいかない。

トランプを訪問した安倍首相と孫社長にうまみ? カジノ法案の急成立をつなぐアメリカのカジノ王

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トランプ氏公式ツイッターより

 冒頭から申し上げるが、この記事の内容は、言わば筆者の想像に近いものだ。裏付けを取ろうとしても、取れるようなものではない。しかし、事実の積み重ねによって導き出された結果の想像である。

 それは、トランプ米次期大統領と安倍晋三首相、孫正義ソフトバンクグループ社長の会談と統合型リゾート(IR)整備推進法案(以下、カジノ法案)とを巡る奇妙な関連性についてである。

 現地時間11月17日、安倍首相は米大統領選に勝利したばかりのトランプ氏の、ニューヨークの自宅であるトランプタワーを訪問したことが、報じられた。米大統領に就任もしていないトランプ氏の“自宅”を訪問したことで、米政府から異議が出されるなど波紋を呼んだ。この時の会談内容は、現在に至るまで漏れていない。

 この安倍-トランプ会談の直後から、カジノ法案成立に向けた動きが急加速する。11月30日に衆議院内閣委員会で審議が開始されると、わずか6時間の審議時間で12月2日には委員会で可決され、6日には衆議院本会議も通過、7日には参議院で審議入りした。

 この法案、そもそも2013年12月に議員立法で提出されたもので、3年間も“店ざらし”にされていたものが、何故、10日程度で成立したのか? 附帯決議(案)には、「法第五条に定める必要となる法制上の措置に検討に当たっては、十分に国民的な議論を尽くすこと」と盛り込まれているにも関わらず。

 確かに、トランプ氏はカジノ・ホテルの運営会社トランプ・エンターテイメント・リゾーツを設立し、カジノ経営を行っていた過去を持つ。しかし、現在ではカジノ関連とは縁が切れているはずだ。ところが、トランプ氏の周辺にカジノに関係する人物がいる。それがシェルドン・アデルソン氏だ。

 同氏はラスベガス・サンズ(カジノリゾート運営会社)の会長かつCEO(最高経営責任者)であり、ラスベガス、マカオ、シンガポールなどでカジノやリゾートを経営する不動産王。そして、ウクライナ移民の息子でユダヤ人である同氏の、もうひとつの顔がイスラエル(パレスチナ)にユダヤ人国家の再建を目指すシオニズム運動の中心人物というものだ。

 同氏はロビー団体「全米シオニスト同盟」を結成し、親イスラエルの政治家に莫大な寄付をして、共和党の外交政策に強烈な影響力を与えてきている。大統領選挙中の5月6日、同氏はトランプ支持を表明、トランプ氏のスポンサーとなっている。

 人種差別発言が多いトランプ氏だが、実はユダヤ人とは何かとつながりが深い。実娘のイバンカさんはユダヤ人と結婚、イバンカさん本人もユダヤ教に改宗している。トランプ氏自身も、83年にユダヤ民族基金から米国とイスラエルの関係への貢献を称えられて表彰されており、04年にはニューヨーク五番街で行われたイスラエルを応援するパレードでグランドマーシャルも務めた。

 もし、日本でカジノを運営するならば、そのノウハウを含めて、大手のカジノ運営会社の関与が絶対に必要になると言われている。
 アデルソン氏のラスベガス・サンズこそが、世界の大手カジノ運営会社の中で、もっとも日本でのカジノ運営に熱心であり、日本でのカジノ解禁を推進するIR議員連盟(カジノ議連)に対するロビー活動でも、ほかのカジノ運営会社を一歩リードしていると見られている。

 では、日本でカジノ法案の審議が佳境を迎えていた米国現地時間6日、トランプ氏は面識もない日本の一介の経営者に過ぎない孫氏と何故会談を行ったのだろうか?

 もともと、アデルソン氏はカジノ・ホテル業に進出する前のビジネスのひとつに、コンピュータ関連の展示会のCOMDEXがあった。COMDEX(コムデックス)は世界最大級のコンピュータ関連展示会だったが、95年に同氏はコムデックスを売却してしまう。そのコムデックスを8億6200万ドルで購入した人物こそが、ソフトバンクグループの孫正義社長その人だった。つまり、孫社長はトランプ氏と面識はなかったものの、アデルソン氏を通じて、両者は関係していたのではないだろうか?

 こうした一連の物事の流れを見ると、安倍首相がトランプ氏を訪問したこと、その直後から日本でカジノ法案成立に向けた動きがスピードアップしたこと、孫氏がトランプ氏と会談したこと、これらはトランプ氏の大統領選挙における後ろ盾だったアデルソン氏という人物を核としてつながってはいるようにみえる。そう見てしまうのは、筆者だけだろうか?

 いずれにせよ、15日未明、ギャンブル法案は成立した。

(文=鷲尾香一)

ドラマ『逃げ恥』で大ブレイク、星野源をめぐって各局の争奪戦が激化

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TBS系ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』HPより。

 歌手で俳優の星野源をめぐって、各局の争奪戦が激化している。

 星野といえば、放送中の新垣結衣主演ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)にも出演し、ドラマのエンディングテーマも担当。12月6日に放送された第9話の平均視聴率が16.9%と自己最高を更新するなどイケイケモードとなっている。

 俳優としての活躍ぶりは当然、音楽活動にも波及している。11月29日に放送された音楽番組『ベストアーティスト2016』(日本テレビ系)の目玉のひとつとして『逃げ恥』のテーマ曲『恋』を歌唱予定だったが、過労による体調不良で急遽ドタキャン。ファンをガッカリさせてしまった。

「実は、星野は俳優業と歌手業とでは窓口となる事務所が違うんです。歌手活動をサポートしているアミューズは、日本テレビの音楽番組に出演することを了承していた。ところ、これに『逃げ恥』を放送しているTBSが横やりを入れてきたんです。TBSにしてみれば、自局のヒットドラマのテーマソングを他局の視聴率稼ぎに使われるのは、飼い犬に手を噛まれるようなものですからね」(芸能記者)

 星野に目をつけている局はほかにもある。ドラマ関係者が明かす。

「テレビ朝日がドラマ『相棒』シリーズに星野を出演させようと画策しているようです。右肩上がりの『逃げ恥』とは対照的に、7日に放送された『相棒シーズン15』第9話の平均視聴率は12.9%とシリーズワーストを記録。人気が尻すぼみになっている感は否めない。来年のシリーズでは星野投入でテコ入れを図る案が検討されています」

 ところが、これにも「待った」をかけたいのがTBS。金のなる木を簡単に手放すわけにはいかないとあって、星野の囲い込みに躍起になっているという。

「このまま行くと、『逃げ恥』の最終回では平均視聴率が20%を超える可能性が高い。TBSとしては続編を制作し、来年の放送が内定している『半沢直樹』の続編とともに来年のドラマの2本柱にしたい。そのためにも、星野を事実上の『TBS専属タレント』にしたい考えのようです」(前出・ドラマ関係者)

 星野株はいったいどこまで上がるのだろうか。

【「ハイロー」考察本発売記念】ありがとう、ハイロー。ありがとう、HIROさん。――迫害の歴史から解放されしEXILEヲタ座談会

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 12月15日に小社より発売される、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(以下、「ハイロー考察本」)の刊行を記念して、本書の中身を先行公開いたします!

 今回は、LDHヲタを招集し思いの丈をぶちまけていただいた「ファン座談会」の一部をおとどけ。

 この企画で集まっていただいたファンは、20代から30代の男女3名。いずれもアニメやアイドル、もしくはサブカルチャーなどに触れながら育った、いわゆる”マイルドヤンキー的なEXILE好き”とは少し違う層の方々でした。

 EXILE TRIBEの客層は「ギャルやヤンキー」といった偏見を彼ら/彼女ら自身も持っていたそうです。「HiGH&LOW」からEXILE TRIBEに興味がわいた方々も、そうした偏見を持っていた方、しかしハイローによってその偏見から解放され、むしろLDHの面白さに目覚め、新し扉を蹴破るようなカタルシスを味わった方も多いのではないでしょうか?

 ハイロー好きなら「うんうん」と頷ける話や、LDHヲタならではの「ハイローのみかた」などなど、もりだくさんでお届けします!

座談会参加者

A:30代の女性ヲタ。推しは今市隆二(三代目JSB)、佐野玲於(GENERATIONS)
B:20代の女性ヲタ。推しは数原龍友(GENERATIONS)、劇団EXILE
C:30代の男性ヲタ。推しは登坂広臣(三代目JSB)
(構成/森野広明)
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ATSUSHIさんがいなくても、強く…強く…強く、生きろ!

――ハイロープロジェクトが発表されたとき(15年5月の三代目ライブ初日)はどう感じましたか?

A アンコール前にいきなり発表されたんです。ストーリーの説明はほとんどありませんでしたが、琥珀さんの「お前が眠ってる間に、この街もすっかり変わっちまったよ」なんてセリフが流れてた気が。

B 大きいことブチ上げて、詳細は明かさないといういつものLDHのやり方だったよね、もう慣れたけど(笑)。配役と役名だけどーんと発表されて詳細は一切なし。それでもテンション上がりました!

A 三代目も俳優としての個人活動をすでに始めていたけど、「あくまで自分たちはアーティスト」と公言してたから、まさかドラマや映画を自分たちで作る方向に舵を切るとは思わなかったもんね。

B しかも、そのときはそれがいつから、どのテレビ局でやるのかっていう発表は一切なくて、それから4カ月くらい音沙汰なし。正直、もう、やらないんじゃないかとすら思いました(笑)。

C でも、それだけ待った甲斐がありましたよね! 僕は最初、面白いカルチャーを観察しようくらいの気持ちでLDHを追ってたんです。正直、ファン以外の人が「EXILE」を語るときって「EXILE(笑)」みたいに「(笑)」がつくじゃないですか。でも、「よく知らないのに『(笑)』してちゃいけないんじゃないか」って思って。 だから、まず『EXILE カジノ』を見始めたら、それまで「黒くて筋肉質な人達」にしか見えなかったEXILE TRIBEの一人ひとりのキャラクターがきちんと見えてきて。それで『ワイルド・ヒーローズ』で俳優業もチェックするようになったんです。

A でも、EXILEの俳優陣が出たドラマって、基本的には評判が悪かったですよね。琥珀さん(AKIRA)が出てた『HEAT』もひどい視聴率で。

C そう。だから自分たちで作るほうにいったのかもね。せっかくいい素材を持っているのに、よそでやると叩かれる。だったら自分達で自分達がかっこいいと思うものを作ろうってハイローは始まったんだと思います。でも、シーズン1の1話が始まって見てみたら、殴ってるシーンしかない(笑)。

B 本当にケンカのシーンしかなくて、大丈夫かなってドキドキしましたよね。頭の悪い人たちが集まって頭の悪いことをやっていると思われるぞ、と(笑)。

C みんなに愛と夢と幸せを与えるはずの人達がこんな暴力礼賛でいいのか、とかね。でも、映像はスタイリッシュだし、何か違うことが起こるかもしれないと思って我慢して見てたんです。

A シーズン1が終わる頃には、キャラクターも出揃って、続きが気になるくらいにはなりましたよね。

B でも、EXILE第一章から追っている古参ファンに聞くと、ハイローに対する不安感や危惧は大きかったみたいです。それまでEXILEが芝居の方面で成功したことがなかったから、もう純粋に歌とダンスだけやっていてほしいと思っていたファンもいましたよね。

A LDHのファンは迫害の歴史ですから。視聴率や芝居のことを世間の「EXILE(笑)」の人たちに面白おかしく批判されてきた。だから、「ヘタなことをしたらまた笑われる」って怯えてたみたい。

B ドラマが始まってツイッターを検索したんですけど、はじめは見てる人があまりいなかったもん。それがいまや大盛り上がりだから、よくぞここまで持っていけたなと思います。

C ハイローによってEXILEやLDHに対する世間の偏見が徐々に解かれていくのを見るのも気持ちよくないですか? 三代目にハマる前までは僕も「EXILEなんて絶対一生触れないだろう」と思ってたクチなんで、ハイローから入ったオタクの人たちが「まさか自分がEXILEの音楽を聴くようになるなんて!」と言っているのを見ると「そう! わかる!」って思いますもん(笑)。

HIROは龍也か琥珀か……? ハイローは「EXILE物語」である

C 僕たちファンは、EXILEが今置かれている状況を重ねながらハイローを見ていたりします。浅い読み方かもしれないけど、功労者であるオリジナル・メンバーたちが続々と勇退して、若手たちが入ってきて、会社が組織としてでかくなっていった。一方で、ATSUSHIさんはEXILEから離れてソロ活動のほうに没入していったじゃないですか。そんな彼に対して、もしかしたらオリジナル・メンバーが抜けたことでやる気を失っているんじゃないかと、ファンも不安に思っていた部分はあって。だから僕は最初、「変わっていくことと、仲間を失うことは全然違う」っていう龍也のセリフは、HIROさんからATSUSHIさんへのメッセージなんじゃないかと思ったんです。

――龍也=HIRO、琥珀=ATSUSHI説ですね。

A 私は最近、HIROさんの著書を読み返して、龍也も琥珀も両方HIROさんなんじゃないかという気もしています。だから、ハイローはもしかしたらHIROさんの脳内宇宙なんじゃないかって。

C  全部HIROさん(笑)。

A HIROさんは、EXILEとしてデビューするために、前身のJ Soul Brothersの名前を捨てることに対してすごく葛藤があったと著書で話しています。JSBを”無限”にしたかった気持ちがあったけど、次のステップに踏み出すためにEXILEという新しい名前を選んだ。これって、まさにMUGENを今後どうするかで衝突した龍也と琥珀の心情に重なるんじゃないかと。

B そのほうがしっくりきますね。私は最初、古参ファンへ向けた「変わっていくけど、本質としてEXILEは何も変わらない」というメッセージだと思ったんです。昔からのファンは今のEXILEやLDHのやり方に懐疑的な人も多いから、そういうファンに対する説得でもあるのかなって。

――龍也=HIRO、琥珀=ファン説もあると。

B でも『THE RED RAIN』(以下、『RR』)のラストに琥珀さんが戻ってきたことで、琥珀さんの「MUGENを永遠のものにしたかった」というマインドは物語に今後も残り続けるんじゃないかと思えた。そうなると、琥珀さんの懐古主義的なものがファンを指しているだけとは思えなくなってきて。だから、琥珀さんがHIROさんの一面を象徴しているという意見は腑に落ちる。実際、HIROさんは自分が勇退しても、新メンバーを迎えながら「EXILE」の名前を残したい思いが強いですし。

C 『THE MOVIE』はそんな琥珀さんを改心させる物語でしたが、立ち直らせるのはコブラたち若い世代。それでいうと、コブラたちには三代目やGENERATIONSなど今の若手を投影しているんでしょうね。「俺を変えられるくらいの力を持てよ」という激励にも見えます。

A やっぱり元々のLDHファンはハイロー世界の歴史やヒエラルキーを、LDHやEXILEの歴史やヒエラルキーに読み替えながら見ますよね。そうやって深読みできる楽しさも魅力なんです。

雨宮雅貴=TAKAHIROの抱える闇

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江原啓之にも「仕事のプレッシャーでお腹こわしたりしたでしょ」って言われてたもんね!

B 雨宮雅貴の物語も、実際にTAKAHIROが歩んできた物語を知ってると、より切ないんですよ。『RR』のラスト、兄・尊龍を殺した敵である上園を殴りながら殺したくなるんだけど、尊龍の教えや弟・広斗のことを思い出して自ら拳をぐっとこらえる。『THE MOVIE』で琥珀さんは仲間に止めてもらえたけど、雅貴はひとりで拳をおさめるんですよ。あのシーンはHIROさんからの「TAKAHIROはひとりで苦難を克服しろ」っていうメッセージに思えて、切なくなりました。

C  その「苦難」とは、ATSUSHIさんが不在になるこの2年間のことも指しているんですかね。

A 琥珀さんに対してコブラたちが身体を張るのは、パフォーマー同士の絆だなって思う。でも、EXILE TRIBEという組織においてボーカルは常に孤独ですよね。

C TAKAHIROはATSUSHIさんのソロ志向が強くなっていくにつれ、自分から率先して後輩に対して兄貴分になったり、ここ数年はTRIBEを先頭に立って背負ってきたと思います。

A 第一章のメンバーでEXILEに残っているのは、もうATSUSHIさんだけじゃないですか。そうなったとき、今後のEXILEを背負っていくのは第二章からのTAKAHIROとAKIRAになる。だからこそ、ハイローでもこの2人が重要な役どころだし、むしろこのプロジェクト自体が、2人にEXILEを託すための装置なんじゃないかとも思えます。

B 『RR』のラストシーンはそういう意味でも深いですよね。雅貴が一番信頼していたのが実は琥珀だったっていう。

A そうそう! TAKAHIROとAKIRAが2人で守っていかなければいけないものの象徴としてのUSBであり、つまりそれってEXILEなんですよ!

C USB=EXILEという新説が出ました! あんなぶん投げられてたのに!(笑)

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コネ入社のツケが回ってきた!? フジテレビ秋元、生田アナの離婚協議に人事部がハラハラ

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秋元優里アナ。フジテレビアナマガより。

 離婚にむけて話し合いをしていることが明らかになったフジテレビの秋元優里、生田竜聖両アナカップル。秋元アナの不倫疑惑も囁かれるなか、腫物を触るように、皆が2人に気を遣い、アナウンス室の雰囲気も最悪とか。2人の今後の処遇にも注目が集まっている。

「別居報道以降、互いに避けているのかアナウンス室ではニアミスしないよう気を遣っているようです。周囲も2人の話題には一切触れずピリピリモード。特に生田は意気消沈していて、目に見えてげっそり痩せて元気がない。廊下を歩いている時も下を向いて誰とも目を合わせないようにしています」(フジテレビ局員)

 さすがに離婚が現実になれば、2人をこのままアナウンス室に残すとは考えづらく、来年の人事でどちらかが異動させられる可能性が高いという。

「年齢や今回の不倫騒動も考慮すると秋元が他部署に異動させられる可能性が高いでしょう。新人時代の生田に手をつけたということもあり、上層部の印象も良くない。年齢的に女子アナとして伸びシロもなく、広報あたりに飛ばされそうです」(同前)

 そんな声がある一方で、秋元は“アンタッチャブル”な存在だと指摘するむきも。

「秋元の父親は元外交官で、現在は宮内庁式部官長という大物。フジ局内にも仕事絡みで関係のある人間が少なくない。関係を維持する意味でも、本人の意向を汲んでアナウンス室に残留させる可能性もあります。しかし一方の生田もジャニーズとの繋がりもあり異動させるのは難しい。コネ入社を甘やかしてきたツケがまわってきたと揶揄する声もあります」(別の局員)

 アナウンス室から去るのは果たしてどっち!?

【「ハイロー」考察本発売記念】”MUGEN”こそが夢だった――EXILE HIROという男が紡ぐ物語のゆくえ

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 きたる12月15日、小社より「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(以下、「ハイロー考察本」)が刊行されます。

 本書では「HiGH&LOW」を紐解くための「LDH研究」も行っておりますが、サイゾーpremiumでは2013年あたりから、EXILEおよびLDH研究を(勝手に)進めており、

「メディア統制と”教祖”HIROの徹底教育――”黒いジャニーズ”EXILEのゴシップはなぜ出ないのか?」(13年11月15日公開)

「ジャニーズと張り合うEXILE一族の最終兵器! 三代目J Soul Brothersが”嵐”になる日」(14年12月25日公開)

「本当にATSUSHIは脱退してしまうのか? EXILEの影なるカリスマの孤独」(14年7月16日公開)

 その中で培われた研究・考察の成果もぎゅっと凝縮して詰め込みました。

 さて、ここでは「ハイロー考察本」に収録されている「HIRO大研究」記事の一部を先行公開。ヤンキーマンガや映画を長年見続けてきたライター・藤谷千明氏による「HIRO論」をお届けします。LDHの総裁にして、「HiGH&LOW」創造の父でもある”EXILE HIRO”が紡ぐ物語のゆくえやいかに……。

「ムゲンを永遠のものにする」――琥珀とHIROの願い

(文/藤谷千明)

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ハイローをより考察したくば『Bボーイサラリーマン』を読むべし。

「違う、捨てたんじゃねぇ。変わってくんだよ。みんな同じ時間で止まってる訳じゃねえ。変わっていくことと、仲間を失うことは全然違う」

『HiGH&LOW』のシーズン2で龍也が琥珀を諭すときに口にするセリフだ。『THE MOVIE』の回想シーンにも出てくるこのセリフは、『HiGH&LOW』の根底にあるテーマのひとつでもある。

 これまでにも繰り返し述べてきたが、『HiGH&LOW』はEXILE、ひいてはEXILE HIRO(本稿では尊敬と親しみを込めて「HIROさん」と呼ばせていただく)の経験や思想が色濃く出ている作品である。つまり、EXILEの歴史とは、喪失と変化の歴史なのだ。しかし「変わっていくことと、仲間を失うことは全然違う」というものの、HIROさん自身の歩みを振り返ると「喪失」をきっかけに「変化」していったというほうが正しいかもしれない。

 HIROさんの小説風自伝『Bボーイサラリーマン』(幻冬舎)によると、ZOO解散後、どん底を味わっていたHIROさんは91年のボビー・ブラウンの日本公演にバックダンサーとして参加。この公演が、どん底からの浮上のきっかけのひとつとなるのだが、その時にボビー・ブラウンから「Japanese Soul Brothers」と紹介されたことがHIROさんを強く勇気づけたのか、再起をかけて結成したユニットの名前を「J Soul Brothers」と命名する。99年のことだ。

 当初はHIRO・MATSU・USA・MAKIDAIの他に、SASAというボーカリストがいたのだが、作家活動に専念したいという理由でグループを脱退してしまう。その後紆余曲折を経て、当時から『ASAYAN』(テレビ東京系)で注目されていたATSUSHI、山口県のとあるオーディションで発見されたSHUNを誘い、ツインボーカルの6人編成になり「EXILE」と改名した。HIROさんは『Bボーイサラリーマン』内で改名の理由について、J Soul Brothersへの愛着は残しつつも「ここからが正念場だ。過去を白紙に戻し、生まれ変わったつもりでゼロからスタートしようと思った」と語っている。「喪失からの変化」はEXILE誕生からすでにはじまっていたのだ。

 EXILEは01年9月に「Your eyes only 〜曖昧なぼくの輪郭〜」でメジャーデビュー。ドラマの挿入歌として起用されたことから話題になり、スマッシュヒット。以後も順調にファンを増やしていく。02年に現在のLDHの前身となる「エグザイル・エンターテインメント」を設立。EXILEの初期メンバー6人が50万円ずつ出し合って有限会社の資本金300万を捻出したという話は語り草になっている。03年にはアルバム『EXILE ENTERTAINMENT』がミリオンヒット、紅白歌合戦にも出演。04年には初の武道館公演。05年には初のベストアルバム『PERFECT BEST』を発売し、これもミリオンセラーを達成。HIROさんが『Bボーイサラリーマン』を上梓したのもこの頃である。

 何もかもが順調にいっていたように見えたが、ここで転機が訪れる。06年に、清木場俊介としてのソロ活動に専念したいとSHUNが脱退を発表。そしてAKIRAの加入、新しいボーカルをオーディションで決定する「EXILE VOCAL BATTLE AUDITION」の開催。そこで優勝したTAKAHIROの加入。「EXILE」に「第○章」が付くようになったのもこの時期だったように記憶している。変化を余儀なくされたEXILEの規模はこれを機にどんどん拡大していく。

 逆境に対してHIROさんは自著『ビビリ』(幻冬舎)では、「ぜってぇ、負けねえ」と語り、SHUNの脱退があったからこそメンバーがひとつになれたと語っている。ここで、SHUN脱退やメンバー変更について、HIROさんの言葉を引用したい。

「すべてのものには終わりがあるのだ。EXILEだって、もちろん永遠ではない。(中略)永遠に続くグループなんてない。いつかどこかで、必ずいろんなことが起きて、解散しなきゃならなくなる。それが運命なのだ。けれどこのまま、その運命とやらのなすがままに、ここまで積み上げてきたものを、すべて無にしてしまっていいのだろうか。EXILEはもう終わりなのか。運命をひっくり返して、永遠に輝き続ける方法はないのだろうか。(中略)永遠は無理かもしれないけれど、その永遠に挑戦することくらいはできるはずだと思った。」(『ビビリ』より)

 琥珀の思想である「ムゲンを永遠のものにする」の萌芽がすでにここで誕生している。

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日本が世界に誇る「官能的絵画」を“殺した”のは誰か? 春画、1世紀半の不幸なる近代史

「江戸時代の日本の豊かな性愛文化」の象徴――。そのような文脈で語られ、大きなブームを巻き起こしている春画。しかし明治以降の歴史を眺めてみれば、むしろ愚劣低俗なものとされ弾圧されてきたというほうが正しい。いま、春画の近代史をたどる!

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明治33(1900年頃)『出雲のちぎり』寺崎広業幕末・慶応2(1866)年生まれの日本画家、寺崎広業が明治末期(1900年頃)に描いたとされる連作『出雲のちぎり』のなかの1枚。寺崎広業は、東京美術学校(のちの東京芸術大学)の教授も務め、横山大観らと並ぶ大家である。

 2015年9月19日から12月23日まで、東京都・文京区の美術館「永青文庫」で「SHUNGA 春画展」が開催された。来場者数は20万人を突破、特に女性客が多かったことで話題となった。

 フェミニズムの第一人者として著名な社会学者の上野千鶴子は、春画について次のように語っている。

「春画には女の快楽がきちんと描かれています。(中略)快楽が女に属するものであり、女が性行為から快楽を味わうということが少しも疑われていない。この少しも疑われていないということが他の海外のポルノと全然違うところなんです。能面のような顔をした、男の道具になっているとしか思えないようなインドや中国のポルノとは違う」(青土社「ユリイカ」2016年1月臨時増刊号)

「美術手帖」2015年10月号(美術出版社)では女性のための春画特集が組まれ、蜷川実花×壇蜜による春画グラビアなどを掲載。かくして春画は現代女性の共感を得、「江戸時代の豊かな性愛文化の象徴」といったイメージのもと、ここ数年大きなブームとなっている。実際「春画」と付く出版物は、2015年発行のものだけで15冊以上を数える。

 しかし「春画」とは、後世の呼称である。「春画」全盛期の江戸期には「枕絵」「笑い絵」「笑本・艶本(いずれも「えほん」)」などと呼ばれ、版画の場合その多くは12数1組、本の場合は3巻の体裁を取っていた。名だたるほぼすべての浮世絵師が描いたとされ、前述の春画展で展示されたのも、主に喜多川歌麿、鈴木春信、葛飾北斎、鳥居清長、歌川国芳など著名な絵師のもの。男女の性の営みを大胆に描き、性器を大きく誇張した作品が多い。

 これら春画を含む浮世絵には木版画と肉筆画がある。木版画は大量に刷ることができ、貸本屋などを通して流通。対して肉筆画は、富裕層が絵師にオーダーした、贅を尽くした“一点もの”作品である。江戸期に花開いた木版画は、その技術の高さと芸術性から世界的にも評価が高く、現在出回っている浮世絵や春画も多くは版画作品だ。

 かといって当時、春画が自由に売買されていたわけではない。1722(享保7)年、江戸中期の享保の改革によって、好色的な書物は発禁となった。だがその影響力は徹底しておらず、庶民の間ではこっそりと、しかし相当量が流通していたとみられる。売れるから儲かる、儲かるから新しい作品制作に存分な資金と高度な版画技術が注ぎ込まれ、発展していったのである。

 さらに内容はといえば、性愛表現だけでなく大らかさやユーモアにもあふれ、現代的なポルノグラフィとは違うとされる。「SHUNGA 春画展」の企画に携わった、東洋古美術専門の美術商・浦上蒼穹堂代表で、自身も春画をコレクションしている浦上満氏は、「春画は人間讃歌」だと語る。

「後ろめたさがなく健全な作品。展覧会でも女性たちがワイワイと話しながら見ていました。おそらく江戸でも、このように楽しまれていたのでしょう」(浦上氏)

 下半身を露わに交わる男女の背景には和歌が添えられたり、中国古典文学のパロディが書かれたりと読み手の教養が要求されるものもあり、作家の創造性を存分に発揮する手段としても機能していたとみられる。こうした表現内容の多様性やそれに対する評価も踏まえ、昨今の「春画ブーム」があると見てもよいだろう。

 しかし春画に対するそのような評価は、普遍的なものだろうか? 江戸期には「芸術」などではなくもっと日常的なものであっただろうし、一転、明治期以降においては「西洋化」の波のもと“わいせつ”なものとして厳しく取り締まられ、結果として春画そのものの衰退を招いた。また学問的にも研究対象からは疎外され、実はその全容の研究にいたっては、やっと端緒に就いたばかり……という状態なのだ。

 かように時代に翻弄されてきた春画。そのときの社会背景を反映しながら、愛され、焼かれ、そして今また愛されようとしている。以下、そのような「春画の近代史」を概観したい。

(文/安楽由紀子)

高畑裕太にレッテルを貼ったのは誰だ!発達障害が増加した?“アスペ・バブル”の真相

――近年、発達障害が増えているともいわれる。それと関係しているのか、いつしか“アスペ”というワードが世間に浸透し、アスペルガー症候群のみならず、ADHDなど発達障害全般を一緒くたにした隠語としてネット上にはあふれている。つまり今、ある種の“アスペ・バブル”にあるといえるのではないか──。発達障害をめぐる精神医療の現場から、アスペルガー症候群を描いた映画・小説まで見渡しながら、この妙な盛り上がりの実態に迫っていきたい。

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15年5月、発達障害のひとつの注意欠如障害(ADD)であることをカムアウトした栗原類。こちらは、彼の著書『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』(KADOKAWA)。

 去る8月23日、俳優の高畑裕太が強姦致傷容疑で逮捕。この時、母・高畑淳子がテレビ番組で語った彼の少年時代の逸話などから、「高畑容疑者はアスペルガー症候群では?」との疑いが持ち上がった。週刊誌では高畑が性的暴行に走った原因を精神疾患に求める精神科医のコメントが載せられ、かたや主にネット上では高畑を“アスペ”認定し、半ば誹謗する動きも見られた。

 こうしたケースは一例にすぎず、近年、メディアやネットでアスペルガー症候群をはじめとする発達障害がクローズアップされたことで、個人のコミュニケーション不全や問題行動が“アスペ”なる俗語の一言で頻繁に片づけられるようになった。本稿では、この“アスペ・バブル”ともいうべき事態について考察したい。

 そもそもアスペルガー症候群とは自閉症圏疾患の1タイプで、知的障害を伴わないが対人コミュニケーションや社会性に障害があり、特定分野への非常に強い興味・こだわり、または反復的・常同的な行動パターンが認められる疾患。また、詳しくはページ下の図表に示したが、アスペルガー症候群は、かつては発達障害を構成する概念のひとつ「広汎性発達障害」のサブカテゴリーだった(ほかに「自閉性障害」、「レット障害」、「小児期崩壊性障害」、「特定不能の広汎性発達障害」が含まれる)。だが、2013年にアメリカ精神医学会による診断基準「DSM」の改定で、この広汎性発達障害に代わり「自閉症スペクトラム障害(ASD)」という名称が採用され、アスペルガー症候群や自閉性障害などの診断名は削除された。これは自閉症的な特徴を「スペクトラム=連続体」として捉え、軽度なもの(アスペルガー症候群)から最重度のもの(自閉症)まで様々な段階があることを意味する。

 つまり現在、少なくとも医療の現場ではアスペルガー症候群は死語になりつつあるわけだが、一般には依然として“アスペ”が一人歩きしている。

「以前、“発達障害”というワードで新聞記事を検索したことがありますが、2000年前後から急激に増えている。なぜ増えたのか。その答えは、少年犯罪です」

 そう語るのは、精神科医の岩波明氏。具体的には、00年の豊川主婦殺人事件、03年の長崎男児誘拐殺人事件、04年の佐世保小6女児同級生殺人事件のことだ。

「どの事件も、弁護側が情状酌量を狙って加害者はアスペルガー症候群だと主張し、家庭裁判所もそれを受け入れました。ただ、その診断には疑わしい部分もあり、豊川市のケースでは弁護側の主張はどう考えても診断基準には当てはまりません。事実、この事件では精神鑑定が2度行われ、最初の鑑定ではアスペルガー症候群の可能性が排除されています」(岩波氏)

 この精神鑑定結果に世間やメディアは飛びつき、“少年犯罪=心の闇=アスペルガー症候群”という図式が生まれた。

 他方で、アスペルガー症候群はポジティブなニュアンスで語られることもある。すなわち、アスペルガー症候群の人は「少し変わったところがあるが、特定の分野においては驚異的な能力を発揮する天才タイプ」という認識である。例えば歌手のスーザン・ボイルがアスペルガー症候群をカミングアウトし、世界中を驚かせたのは記憶に新しいところだろう。

アスペルガー症候群の診療ガイドラインはない

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岩波氏によれば、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは、ASDだった可能性が高いという。

 もちろん、バブルがもたらした困った傾向もある。ネット上で手軽にできるアスペルガー症候群の自己診断などに惑わされ、自分もアスペルガー症候群だと思い込む大人が増えた。この背景には、「発達障害は生まれつきの疾患で、成人してから罹患するものではない」という事実が意外と知られていないことや、コミュニケーション能力が過剰に問われる現代社会で、他者とうまくかかわれない原因を発達障害に求める心理もあるだろう。

「我々の病院(昭和大学附属烏山病院)には約10年前から成人向けの発達障害外来がありますが、受診される方のほとんどの主訴は対人関係の問題。しかし、実際にアスペルガー症候群(現在はASD)と診断されるのは約3割で、それ以外は健常者か、うつ病や対人恐怖症、統合失調症といった疾患を抱えるなど、本人の訴えと一致しない場合も多い」(同)

 逆に、一部の医師やカウンセラーには、コミュニケーション不全=アスペルガー症候群という認識が広まってもいる。

「アスペルガー症候群の診断で一番多い間違いは、同じく発達障害の1分類である注意欠如・多動性障害(ADHD)との混同。ADHDはその名の通り不注意と多動、衝動性を中核症状とするので、アスペルガー症候群とは診断基準が明確に異なる。しかし、ADHDの人の一部には対人関係に問題があったりするので、表面的にはアスペルガー症候群と区別がつきにくい場合があります」(同)

 先述の通り、発達障害の概念や分類は現在進行形で更新されている。それに医療の現場が追いついていないのか?

「もともと発達障害は児童精神科の領域の疾患なので、実際に患者に触れる機会がないまま医師になる方が非常に多い。医師ですらそんな状況だから、カウンセラーの方は推して知るべしです。また、成人の発達障害を積極的に診療しようという病院も徐々に増えていますが、絶対数はまったく足りていません。特に地方は深刻で、東京にある我々の病院に広島や和歌山から来られる方もいます」(同)

 さらに、精神科のある病院でも、発達障害の患者を避ける傾向にあるという。その理由は、発達障害ではいまだ治療のスキーマが確立されていないからだ。

「うつ病も大変な病気ですが、薬の処方などについて一応のガイドラインが定められています。でも、アスペルガー症候群などにはそれがない。しかも、医師は薬で症状を改善するのが普通ですが、ASDに効く薬は今のところないし、治療にも非常に時間がかかる。だから、診療を断る病院がほとんどです」(同)

 発達障害の診療の需要は増したものの、とても供給が間に合っていないのだ。

ADHD治療に使う“クスリ”の是非

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今年、公開されたディズニー/ピクサー映画『ファインディング・ドリー』。主人公の魚・ドリーは“極度の忘れんぼう”だが、どんなときも明るく前向きという長所があった。デジタル先行配信中。11月22日にMovieNEXもリリース。発売:ウォルト・ディズニー・ジャパン (c)2016Disney/ Pixar

 ところで、そもそも発達障害は小児期に診断されることが多い障害。では、子どもの診療方法とは? 主に小学校入学前の幼児の療育を行う横浜市南部地域療育センター所長の井上祐紀氏はこう話す。

「私どもの療育センターでは、グループ療育や専門家による個別指導などもしていますが、もっとも大きな課題は、お子さんが普段置かれている環境の適正化。具体的には、その子が通う幼稚園・保育園を職員が巡回し、現場の様子を見ながら保育士さんに生活上・教育上の工夫についてアドバイスしています」

 発達障害は、IQテストのような検査で測れない(IQテストでわかるのは、知能の遅れのみ)。特にASDはコミュニケーションや行動パターンに特性が見られるため、子どもの挙動と共に、取り巻く環境もじっくり観察する必要がある。

「例えば、幼稚園・保育園でお子さんにとっては苦痛となっているなんらかの規則があったり、家庭での親御さんの接し方が適切でなかったりするために、問題行動が見られるケースもあります。よって、単に外見上の問題行動で判断するのではなく、社会が設定する枠組みとお子さんの相性を見立てた上で、慎重に診療していかなくてはなりません」(井上氏)

 子どもだからこそ慎重な診療が求められるわけだが、療育現場でもっとも大きな問題になるのは薬物療法。先述の通り、ASDの特効薬は現在はないが、ADHDの治療では00年代後半にコンサータ(メチルフェニデート徐放錠)とストラテラ(アトモキセチン)が厚生労働省の認可を受け、処方されている。

「ADHDのお子さんは落ち着きがなかったり、授業中に急に席を立ってしまったりと、運動面の抑制が効きにくくなっています。それはドーパミンなど脳内の神経伝達物質に関連した脳機能の問題があると考えられており、コンサータもストラテラも、それら神経伝達物質の血中濃度を上昇させる効果があります」(同)

 ただ、いずれの薬もすべての人には効かず、効き方にも個人差があり、副作用もあるため、薬物療法はあくまで補助的な方法として捉えているという。逆にいえば、ADHDの特徴が極めて明確で、周囲の工夫や配慮だけでは療育が難しい場合に限り、薬物療法に踏み切るのだ。

「その際も、最終的には本人が苦しんでいるか否かが重要な判断材料になります。医療はそもそも自覚症状を緩和するためのものなので、例えば本人は教室でどんな気持ちで椅子に座っているのか、どんな気持ちで席を立たざるを得ないのかを徹底的に聞きだしていく。本人も授業中はじっとしなきゃいけないのはわかっているのに、自分でコントロールできない。その葛藤や懸念が見て取れれば、薬物療法をお勧めします。もちろん、本人とご家族の意向を尊重した上ですが」(同)

 そして、子どもの発達障害でも、個々の医師の診断技術にばらつきがある可能性は否めないと井上氏は危惧する。

「厳しいことを言わせてもらえば、診断のみを行うのは片手落ちで、やってはいけないことだと私は思います。発達障害の人は子どもも大人も、生活上の工夫と周囲の配慮が必要な場合がほとんどです。であれば、その工夫と配慮について助言できる医師にだけ診断してほしい」(同)

 井上氏は実際に幼稚園・保育園や小学校へのアドバイスをしたり働きかけをしているが、それが必ず実るとは限らない。

「残念ながら、発達障害だからといって特別扱いはしない方も多くいらっしゃいます。先生方からは、我々のような対応は子どもを甘やかしすぎだと受け取られる場合もあり、そこはお互いの子ども観、教育観で齟齬が生じる部分でしょう。ただ、『幼児教育はかくあるべし』といった枠組みが強固すぎると、その教育現場に合わない子はずっと合わないままになる。そうした懸念は常にあります」(同)

 その意味では、発達障害は医療の問題であると同時に、教育の問題でもある。

「コミュニケーションや社会性の問題にだけ注目が集まるあまり、ASDに特徴的な“こだわり”の症状が見落とされています。例えば、電車や工事現場の重機などメカニカルなものを何時間も眺めていたり、自宅から特定の場所へ行くまでの道順を絶対に変えられなかったりするなど、儀式的・常同的な行動ですね。そんな特質を持っているにもかかわらず、知能は低くないので、問題行動を起こさない限りはあまり目立たない」(岩波氏)

 本来であれば、学校教育でそういう子どもたちに適切な処置を施すべきだが、いかんせん日本では集団教育が主流であり、教師にも個々の生徒に目を配る余裕がない。結果、そこそこ成績がよくて素行に問題がなければ、発達障害の疑いのある子どももスルーされてしまうという。

「そうやって小中高、大学までは乗りきれても、就職の段階で不適応が表に出てしまう。あるいは、平社員のうちは適応できても、部下をコントロールする管理職になると、もう無理ですよね。ASDの人は技術職など専門分野では能力を発揮しやすいですが、日本の会社は技術職でも総合職的な職能を求めがちですから、なかなか厳しいものがあります」(同)

 大人も子どもも、発達障害の人にとって“良薬”となるのは、周囲の理解と寛容な社会だといえる。その意味では、“アスペ”とレッテル貼りをして排除する行為は理解や寛容さの対極にあるだろう。それを踏まえた上で、明日以降公開の記事では、企業と発達障害、フィクションの中の“アスペルガー”について見ていきたい。

(文/須藤 輝)

各疾患の特徴とは?ASD、LD、ADHD……発達障害の概念

このような概念で構成される発達障害。一言で説明するのは難しいが、それぞれの障害の主だった特徴を見ていきたい。

発達障害
ここ数年で「アスペルガー症候群」や「発達障害」といった言葉が世の中に急速に浸透した。しかし、一口に発達障害といっても、その症状はさまざまである。というより、そもそも発達障害という用語は、アスペルガー症候群や自閉症を含む「自閉症スペクトラム障害(ASD)」、「注意欠如・多動性障害(ADHD)」、そして「学習障害(LD)」という3つのカテゴリーを包括する総称にすぎない。ここでは、カテゴリーごとの疾患の特徴をまとめてみた。

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自閉症スペクトラム障害(ASD) ※旧名:広汎性発達障害
自閉症とアスペルガー症候群などを包括した概念。かつては広汎性発達障害の下位カテゴリーとしてアスペルガー症候群や自閉症などが並存していたが、13年にアスペルガー症候群から自閉症までを「連続体」として捉える自閉症スペクトラム障害に更新された。この概念は、「社会的交流」「社会的コミュニケーション」「社会的イマジネーション」という「3つ組の障害」で定義され、この3つ組の障害が年齢や知的水準によって多様な表れ方をするのが特徴とされる。

【アスペルガー症候群】
・言語発達および知的能力の障害が見られない
・対人関係が苦手で集団生活において問題を起こしやすい
・他者の気持ちや言外の意味を理解することが困難
・反復的で常同的な行動パターン

【自閉症】
・他者の存在をきちんと認知していない
・言語によるコミュニケーションの障害が見られる
・相手の言葉をオウム返しで言う
・「外出の道順」「物の位置」など特定の事柄に対する強いこだわり

学習障害(LD)
1999年の文部省(当時)の定義では、学習障害とは「全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力の習得と使用に著しい困難を示す、さまざまな障害」とされている。学習障害は脳の特定部位におけるなんらかの機能障害に起因すると推定されているが、明確な結論は得られていない。また、学校などで学習障害とみなされている子どもの少なくない部分が、実はADHDや自閉症スペクトラム障害であり、診断という観点から見直しを要する。

・読字障害
・算数障害
・書字表出障害
・特定不能の学習障害

注意欠如・多動性障害(ADHD)
自閉症スペクトラム障害と共に注目されている発達障害のカテゴリー。ADHDは通常「多動」「衝動性」と「不注意」の症状を持つといわれる。その原因は脳の構造的な異常によるものではなく、ノルアドレナリン、ドーパミンなどの神経伝達物質の機能障害に基づくものと想定されるが、明確な原因は特定されていない。ADHDは生まれながらのものであり、その症状は3~4歳で顕在化することが多い。また、発症には遺伝的な要因が関係していると考えられている。
・注意集中ができない
・手足をモジモジさせ、キョロキョロする
・授業中に席から離れる
・じっとしていられない

参考:岩波明著『発達障害と生きる』(講談社)

さほどイケメンでもない! 演技も微妙! なのに映画主演級が続くナゼ――【山﨑賢人】“王子バブル”終了!? ゴリ押し後に問われるその真価

――原作付き実写映画ばかりが量産される邦画業界で、“王子”の名をほしいままにしている山崎賢人。数多くの恋愛マンガ原作映画にヒロインの”相手役”として抜擢されてきたが、なぜそこまで人気なのか? むしろ本当に人気があるのか? 事務所のゴリ押しを疑うような山崎賢人の、映画主演の背後にある業界の事情とは。

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数冊発行されている山崎賢人の写真集。映画やテレビではなかなか見られない、文字通り赤裸々な姿にお目にかかれる。ファンでなくとも好きになる!?

 今シネコンに行けば、必ず山﨑賢人の主演映画が上映されている――これは決して大袈裟な表現ではない。この1年で見ても『ヒロイン失格』(2015年9月)、『orange―オレンジ―』(15年12月)、『オオカミ少女と黒王子』(16年5月)、『四月は君の嘘』(16年9月)と、4本もの映画で立て続けに主演に抜擢されている。さらにその間、テレビドラマでも、連続テレビ小説『まれ』(NHK/15年3月~)、『デスノート』(日本テレビ/15年7月~)、『好きな人がいること』(フジテレビ/16年7月~)と、連続して主役クラスで出演。そして17年には映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』(夏公開予定)、『一週間フレンズ。』(17年2月)、『斉木楠雄のΨ難』(公開日程未発表)など原作モノの実写化作品に主演する予定。これは不自然なほどの超ハイペースだ。

 しかも山﨑が一躍有名になったのは、ほんの2年ほど前、14年に公開した映画『L♡DK』からだ。剛力彩芽と共に高校生の恋愛を演じ、「壁ドン」ブームの火付け役にもなったが、だからと言ってほかにも人気の若手俳優は多くいるため、これほどまでに主演に引っ張りだこになるような器なのか、と聞かれれば疑問が湧いてくる。もちろん『L♡DK』以来、“王子”と評され、女子高生を中心とした若い世代に人気があるのは確かだ。しかし世間のイメージは「最近出てきたばかりの若手俳優のひとり」というのが大半であり、主演クラスの俳優というイメージはないだろう。この山﨑賢人連続主演現象の裏側には、単に“売れっ子”という言葉だけでは片付けられない何かがあるのでは――そう考えずにはいられないような状況となっている。

大手芸能事務所の“売れっ子誕生”方程式

 こうした現象を見て、事務所がむやみやたらと山﨑を押している、いわゆる“事務所のゴリ押し俳優”だと思う向きも多いことだろう。山﨑が所属するのは北川景子や山田孝之など今をときめく俳優が肩を並べる超大手芸能事務所スターダストプロモーション。「もちろん事務所の力は大きいと思います」そう語るのは、映画製作関係者のA氏だ。

「特にスターダストのように、芸能事務所が映画の製作委員会に出資している場合は、売り出しやすい。うまく自社の俳優が主演で映画の企画が通ったら、その脇役だけでなく相手役(ヒロイン)にまでも同じ事務所の新人俳優をねじ込んできたり、さらには他作品への出演を交渉してきたりもする。製作側は主演ありきで企画を提案するので、数字を持っている俳優の所属事務所の意向は無視できないことも多い。ジャニーズなどは、相手役の選出にまで口を出してきますよ。山﨑賢人だけでなく、山田孝之、岡田将生、小松菜奈などスターダスト所属の俳優が並ぶ『ジョジョ~』は、さすがに、やりすぎだと思いましたけど(笑)」

 こうした政治力を使えるのは、やはり一部の大手事務所に限られる。

「大手のプロダクションでは、期待の新人を売り出すために自社からも多く出資して映画の製作委員会に入るわけです。やはり名もなき若手俳優は、とにかくできるだけ早く主演になることが大事。一度主役を演じれば、“主演クラス”という格がつく。そのために、出演料を大幅に下げてでも主役にねじ込んでいきます。そうすることで、次作やテレビドラマ、CMなどへも“主演クラス俳優”として売り込むことができるんです。ホリプロやジャニーズ、アミューズなどの大手から、役者中心のトライストーンなどの事務所も、映画と合わせて若手を売り出す手法でテレビ局や配給に営業をかけています」(芸能記者B氏)

 実際に山﨑は、テレビドラマで俳優デビューを果たしてから、わずか1年足らずの11年に映画『管制塔』という作品で主役を演じている。そして、それから3年後に『L♡DK』でひとつ名を売ることになるが、その間にも『リアル鬼ごっこ3』(12年5月)『アナザーAnother』(12年8月)『ジンクス!!!』(13年11月)と3作品で主演もしくは主演に次ぐ役で出演を果たしているのだ。やはりこれは、事務所ゴリ押しの賜物なのか?

「山﨑賢人は、製作側にとって起用しやすいというのもある。これは製作側のダメなところなんですが、主演で演技しているのを見ると、なんとなく格があると思ってしまうんですよ。例え演技がぱっとしなくても、主演ならばカメラが向いてる時間も長くなるし、現場は主演を中心に回しますからね。上層部に企画を通すときに、過去作の視聴率や過去作の興行収入などは大前提ですが、それでも俳優として“主演クラス”という格がないと企画が通らない」(前出・A氏)

 さらに晴れて一流の俳優として認められたとしても、製作側としては安心して起用できる場合ばかりではない。

「週刊誌にもしばしばとりあげられますが、関係者の間で“小栗組”と呼ばれる若手俳優の派閥があるんです。小栗旬を筆頭に、生田斗真、松本潤、藤原竜也、綾野剛、山田孝之あたりが頻繁に飲み会を開いて演技論を語っているそうです。彼らは役者として作品にかなり口出しをしてくるので、製作としては面倒くさい存在なんですよね。彼らは当然、出演作品も相当選びますし、あの監督と組みたい、なんて話を平気でする。もちろん、青春胸キュンな少女マンガ原作映画になんて、出演しませんよ」(前出・A氏)

 まだ22歳、経験の浅い山﨑はその点では扱いやすいのだという。

「若ければいいってものでもないですが、ジャニーズの俳優などは、若手でも事務所からの指示や本人たちからも意見が上がってきたりして、扱いにくい。それに比べたら、スターダストは、俳優の演技などについては、ある程度は自由にさせてくれますから、山﨑賢人に需要があるのも頷けます」(同)

 小栗組に属すといわれる俳優たちは概ね30歳以上。若手枠の山﨑は、今のところ、演技よりもまずは扱いやすさというところなのだろうか。

“少女マンガ原作の男”を超えられるか?

 そして山﨑の主演映画連発には、もうひとつ理由があるという。それが昨今の“少女マンガ原作ブーム”だ。

「『シン・ゴジラ』や『君の名は。』がメガヒットを記録しましたけど……でも費用対効果で考えると、1億円で映画をつくって10億円入ったら大勝ちなんですよ。それで言うと、VFXもほとんどいらない胸キュンの青春映画なんて5000万円もあればつくれちゃうから、少々のヒットで十分に“勝ち映画”になるんですよね」(A氏)

 さらに少女マンガ原作となれば、あらかじめファンがいるため、ある程度の動員が見込めるというわけだ。そんな映画界のローリスクを求める風潮にうまく乗れたことが、今の主演作激増につながっているのだ。実際、山﨑は『L♡DK』から来年公開予定の『一週間フレンズ。』まで6作連続ですべて少女マンガ原作の作品に主演。「王子キャラ」というイメージもついたことで、製作側がさらに使いやすくなっているようだ。また、こんな話も。

「恋愛マンガの実写作品が、なかなか映画館に来ない女子中高生を中心とした層を呼び込んで、安定したヒットを生み続けていますが、芸能事務所からすると所属女優をそのヒロインとして送り出すことは、決していい話ばかりではない。

 ティーン向けの胸キュン青春作品は映画としての格が低くて海外の映画祭などには当然出せないし、これだけヒット作が連発していると、失敗すれば逆に悪目立ちしてしまいますからね。そんなときに、恋愛マンガの実写化で相手役として実績がある山﨑賢人を起用するとあれば、ある程度は安心して出演に応じることができます。実際、その手の映画にはこれまでほとんど出演してこなかった二階堂ふみが『オオカミ少女と黒王子』(16年5月公開)に主演したのも、そうした背景があったという話も聞かれました」(某配給会社社員)

 そう考えると、デビューを果たしてから、俳優・山﨑賢人の本当の評価はまだ下されていないのかもしれない。真価が問われるのは来年からだろう。相変わらずマンガ原作の作品ではあるが、『斉木楠雄のΨ難』での主演は、これまでの恋愛映画とは打って変わってギャグを演じなければならず、ひとつの指標となりそうだ。当然本人としても、俳優としての幅を見せたいところだろう。

ゴリ押しを履き違えた先に待つ芸能人の地獄

 もちろん、悪い結果が続けば、製作側もさすがに使いづらくなる。超人気マンガ原作の実写映画化『ジョジョ~』でも主演を張ることが決定しているが、コアなファンが多い作品だけに、ヘタな演技を見せれば大きな期待が倍となって返ってくるだろう。

 一方で、業界関係者中には、事務所のマネジメントに対して懸念する向きもある。

「正直、スターダストは、若手のマネジメントがそんなにうまくないですからね。芸能マネージャーは、タレントのアピール方法や、現場での立ち振る舞いなど、その売り出し方を総合的に考えて指示するのも仕事のひとつですが、スターダストのマネージャーは、タレントをうまくコントロールできていないと思う。

 仕事を与えるだけ与えて、あとは本人に任せて自由にさせるというのが、スタイルなんですかね。裏では、『彼らは、スケジュールの管理くらいしかしない』なんて、陰口を叩かれていますよ。だから山﨑賢人も、今は自分の力で結果を残し続けるしかないでしょうね」(A氏)

 こうした声は、少なくない様子。

「ある清純派のイメージがある若手俳優が、飲食店で喫煙しているところに出くわしたことがあります。仮にも売り出し中の若手俳優、ひと目がつくところならば、マネージャーは、こっそり吸わせるとか注意を払ったほうがいいと思いますけどね」(B氏)

 過去には当時所属だった沢尻エリカを自由にさせすぎたが故に、かの有名な“別に事件”を起こしてしまった。

「彼女は根が素直ないい子なんですよ。ただヤンキー気質なところがあって、あの発言も取材した人間なら、あれが彼女の“地”だってわかる。事務所側も人気をいいことに自由にさせていたから、取材したことのある関係者はみな、彼女はいつかやらかすんじゃないかと思っていた。可愛くて演技もうまかったから戻ってこられましたけどね。あの事件でスターダストは、芸能関係者からの評判を落としてしまったフシがある。売れっ子も多いけれど、彼ら1軍の下には、見るも無残な屍の山が重なっています」(同)

 さらにもし、ゴリ押しによって有名になっても、そこには別の地獄が待っている。

「事務所からものすごく推されていたけれど、とんと見なくなった俳優もたくさんいます。最近で思い当たるところだと、大政絢とか、すっかり目立たなくなってしまった。

 もちろん、自分で持ち味を出すことで世間からも認められ、有名になる俳優もいますが、一般に認知されて稼ぐようになると、ある日突然社長案件になって事務所の上層部から活動方針に対する細かいチェックが入ったり、ほかのタレントを売り出すためのかけひき道具にされたりする。

 ももいろクローバーZなどはそのいい例で、事務所の底辺で沈んでいた彼女たちがアイドルブームに乗っかって売れだした途端、その持ち味が押さえられてしまった。リーダーの百田夏菜子は今、かなり苦しんでいるそうです」(芸能事務所幹部)

 今のところ山﨑の悪い話は出てこないが、主演映画がこれだけ続けば、近い将来、問題を起こす可能性もあるのだろうか? 少なくとも来年の映画の結果次第では、さらに芸能メディアの標的になっていくことだろう。

 山﨑本人は自分の置かれた現状をどうとらえているのか。まだ弱冠22歳、女子高生の“キャーキャー”に天狗の鼻を伸ばしているのか、それともしっかりと危機感を覚えているのか。どちらでもなく、ただ次々と舞い込む仕事にあたふたしているだけというのがリアルなところかもしれないが。

(文/黒崎さとし)

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